The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

音楽、楽しみたい。

私には表現したいものがない。私を表出させることに魅力を感じない。自分なんてしょうもない人間だと思ってる。子供の頃あんなに曲を作るのが楽しかったのは、自分という人間が、自分の感性が、価値あるものだと感じられていたからなんだと今ならわかる。大人になったらこんな風に多くを感じられないだろうから、今感じる世界を音楽に閉じ込めたい、そう思ってた。でも、録音する環境なんてなくて、音楽は生まれては消えていった。ただ思うがままに、知ったばかりの難しい言葉を使ったりして、歌詞を書いては、ピアノの伴奏に乗せて、時にギターの伴奏に乗せて、歌った。それだけでよかった。誰に聞いてもらえなくたって、評価されなくたって、それだけで満足だった。高校生になってから、ガラッと私と音楽の関係は悪くなってしまったなと思う。私は、自分の作る音楽を形にしなくてはいけないという義務感に駆られてた。音楽を楽しむ感性なんてもう、あの時にはなかったのかもしれない。評価されなきゃいけない、目立たなきゃいけない、そんな焦りがあった。周りからも期待されて、つらくて、楽しくなくなった。焦れば焦るほど、音楽は遠くなった。DTMを始めてみたけど一人でやれる自信がなくて、だめだった。やる気も伴わなくて、どんどん萎れていった。そんな高校時代を経て期待を胸に大学に入ったら、精神疾患になって音楽から見放された。思い出すだけで胸が張り裂けそうになる。周りが音楽活動をしている中、何もできなかった。社会と音楽から見放されたショックで人生が変わった。鈍った腕でギターを抱えて、絞り出すような声で歌った曲がサンクラにある。リズムもふらふらで、ギターも下手くそで、声は震えてて、聞くにも耐えないけど、あれが全てだった。そんな時期から5,6年経って、今は音楽との関係は少しマシになった。楽しく聞けるし漁れるし、たまーにDTMに触る気にもなる。音楽学の本も読んでて、以前と違う角度から音楽と関わることができてると思う。ピアノも買った。まだ届いてないけど。私が最初に出会った楽器、最初に作曲に使ったのはピアノだから、やり直してちゃんと弾けるようになりたいと思ったから買うことにした。すごく楽しみだし、生きる希望になってる。さっき音楽から見放されたと言ったけど、そう思っていた時期も毎日欠かさず音楽は聞いていた。みんなが聞いてたようなエレクトロニックやヒップホップやオルタナやロックはつらくて聞けなかった。だから代わりに、甘々の海外のポップスを馬鹿みたいに聞いてた。ポップスなんて興味なかったから、自傷的に聞いてた。だけどおかげで今、世界中のポップスを開拓するっていう趣味ができた。見放されてなんてなかった。そのことに気付けたのはここ1年ほどのこと。すごく嬉しかった。おかげで、音楽、またやろうかなって思えた。技術もないし、やる気も足りてないし、才能もないけど、きっとまだ純粋に音楽を作ることが楽しいと感じる心は残ってるはずだから、何かやってみようって思えた。ずっと触ってなかったギターに触るのはものすごく怖かった。でも弾いてみると、ちゃんとコードが鳴って、その瞬間、鳥肌が立った。体が覚えててくれたことが本当に嬉しくて、泣きそうになったことを覚えてる。そのあとたまにDTMも触ってみて(これは元彼の助けのおかげ。本当に感謝してる。)、曲も作ったりした。ショボい曲ばっかりだけど、個人的には気に入ってる。これからも時間とやる気が生まれたら触ろうとは思ってる。でも義務感になるとまた疲れちゃうので、あくまで、楽しむためにやろうと思ってる。

 

私は幼稚園生の頃ピアノを習い始めてからこの20年、おそらく音楽を毎日欠かさず聞いてきたし、切り離すなんて無理なんだと思う。見放されたなんて思ってかなりの間音楽との関係に苦闘してたけど、かなりその悩みも緩和されて、落ち着いてる。一番つらかった頃、2014年2015年のことを考えると未だに胸はきゅっと縮むようだけど、その頃を彷彿とさせる人物と2年近く付き合ったりもしたこともあって、あんまり気にすることもなくなった。純粋に音楽が楽しいなとか好きだなとか思えることの方が多くなった。本当によかった。5,6年に及ぶ長いジャーニーだった。これからも音楽と仲良く楽しくやっていきたい。義務なんてないんだから、好きなようにしていきたい。子供の頃みたいに、新しい音楽や新しい知識に心躍らせたい。大人だから、過去の音楽に想い馳せたりしたい。あわよくば、自分を表現することに楽しさを感じたい。必要なのはなんだろう、もう少しのナルシズムなのかな。まだよくわからないけど、思索と行動で答えを導いていきたい。音楽、楽しみたい。