The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

大学受験を辞める

まさかこうなるとは思ってませんでした。

本気に最後までやり遂げるつもりでした。

私は、何かを達成する喜びを感じるのが下手です。いつも完璧の虚像しか見えていなくて、いつも無力感があって、自信がありません。だから今度こそ、結果がどうであれ、最後までやり遂げて達成感を味わおう、そう思っていました。それゆえ、受験を辞める決断を下すのはとてもつらいものでした。悔しくて悲しくて、情けなくて悲しくて、たくさん悩んでたくさん泣きました。

 

そもそもどうして辞めることにしたのか。事の発端は、10月後半の生理前、胸に痛みを感じ触診していたら、しこりを見つけた事件でした。とても怖くなりました。痛いし、不安だし、何かしたいけど何もできなくて、空白の日が1週間以上続きました。勉強する気満々でいて割と波にも乗っていた、そんな時に起きた事件でした。結局乳腺外科にかかって良性腫瘍だろうと診断されましたが、黄体期が終わっても日々違和感があるし、夜は痛いし、本当に嫌です。そろそろまた黄体期で胸が張るし、痛みが強くなってきました。大概にしてほしいです。この事件を受けて、私は自分の心と体の脆弱性を再確認しました。誰も好きで重いPMSを経験しているわけでもなければ、胸を痛めているわけではありません。好きで不安から寝込むわけでも、好きで精神科に通っているわけでもないです。だけどそうなってしまっている事実を、受け入れるしかないです。今年大学受験の勉強を始めたのが2月ごろ。6月まで頑張れればあとは大丈夫、そう信じて予備校に何とかすがりついた夏前。夏期期間で授業も減り自分のペースで勉強ができて好調だった夏。2学期が始まり、結局またいけなくなって、気がついたら個別指導しか行かなくなって、そして、これです。大学生活のための訓練期間、試用期間であった今年でしたが、状況を見てきた限り、結果として、来年からの通学は難しい。そう判断しました。妥当な判断だと思います。この調子でほぼ自学で勉強してどこかに滑り込んだところで、きっとまた通学できなくなるのがオチです。そう確信できたのが、今年の収穫だったということにします。

 

来年度からは、(受かれば)慶應の通信課程で勉強しようと思っています。自分の状況や意志、将来したいことや学生の間したいことなど、色んなことを考慮しながら何度も通信課程と通学課程を細かく比較しました。そうやって導き出した結果なので、納得しています。慶應の通信は卒業が難しいと評判ですが、覚悟はあるし、4年で卒業を目指します。既に4年で卒業するために役立ちそうなブログはブックマークしてあるし、先取り学習のためにフランス語の教材は買ったし(まだあんまりやってないけど)、準備は万端です。提供される科目のシラバスは一通り見ましたが特に不満もないですし、早くレポートを書かせて!という気持ちです。学生証がもらえるのであらゆる場面で学割の恩恵を受けられるし、キャンパスの図書館も使えるし、文句がないです。でも騒がしい授業には出なくていいしグループワークもない。朝一の必修授業に出られなくて泣くこともありません。卒業できたとしても所詮通信の学位かもしれないけど、それでも私は欲しいです。欲しいし、得るまでの過程を楽しみたいです。とにかく受からなくてはいけないので、そろそろ気合を入れて第一次選考用の小論文を書こうかなと思っています。ちなみに慶應の通信課程だと、一定の単位を取ったところで二年次編入試験が受けられます(内部生以外は受けられません)。もし三田キャンパスにまともに通えそうだったら、編入を目指してもいいのかなと思ったりしています。それを目的に通信課程に入学するつもりはないし、あくまでそこで卒業するつもりで入学しますが、通学課程の強みとして私がつきたい先生のゼミやそこでのコネクションというのがあるので、可能性として残しておくために、編入試験に必要な英語と第二外国語の勉強は、特に力を入れようと思っています。まあ通学は無理だとは思いますが。一応、4月からはアルバイトのない日は三田キャンパスに通って勉強する習慣をつけたいなと思ってはいます。

 

決断を下してから約2週間、しばらくは引きずっていた大学受験への名残惜しさも薄れてきて、自分の能力や健康状態に合った道を歩もうと思えるようになりました。でもふとした時、ひどく空しくなります。私は何も達成してこれなかったな、こんな人生嫌だったな、もっと滑らかに生きたかったな、これからもこの経歴と生きていかなきゃいけないんだな、つらいな、と。最近アルバイトの面接をいくつか受けました。面接の帰りは、ほぼ毎回、電車で泣いてしまいます。履歴書に書かれた中途退学の文字を見るたびに胸が苦しくなります。もう23歳だという事実。同い年は学位を取って、大学院に入ったり働き出したりしているのに、私は何をしてるんだろう、情けない、恥ずかしい、こんなはずじゃなかったのに。そう思うと堪らなくて、泣かずにはいられなくなります。自分の選択に後悔は一つもありません。いつだって真面目に真面目に考えて決めてきました。それだけが救いだけど、それでも、やっぱり、こんな人生は嫌でした。自分から荒波に突っ込んでいくような選択もしてきたし、つらい思いをしているのは自業自得の部分もあります。例えば、青学を辞めた時点で大学は諦めて働き出していれば、今頃居場所を見つけていたかもしれません。少しは人生がマシだったかもしれません。だけど、その道を選ばなかった。大学の勉強がしてみたかった。やりたいことがないから働くしかない、じゃなくて、やりたいことがあるからつらそうな道でもチャレンジしてみよう、そうやっていつも主体的に生きてきました。そのことに対して恥じらいはないし、むしろ私の強さだと思っています。そしてそんな私を支援してくれる人たちに心から感謝しています。ああ、自ら大変な道を選んで、親の脛をかじって、失敗して、悔しい思いをして、傷ついて、こんな人生嫌だったと嘆く私は、何がしたいんだろうか。とにかく悔しい、そもそも病気にさえならなければこんな思いしなくて済んだのに。私はただ大学に通う普通のことができない。私には普通のことができない。できない、できない、できない。そうやって時々、混乱したりしています。

 

最近は、毎日基本的にぼんやり過ごしています。連日面接を受けて疲れてゴロゴロしたり、積ん読を消費したり、勉強してみたり、映画を見たり、掃除をしたり、お昼寝したり。3月まではバイトをしたり好きな勉強をしたりして過ごそうと思います。自由で、暇な日々です。そろそろ生活に柱を立てたいところです。毎日ちゃんとTO DO LISTを使って勉強をしようと思います。バイトがどこか決まったら、そっちも頑張ります。

 

近況はこんな感じです。まあつらい時もあるけど、暇なせいもあると思うし、なるべく予定を入れたいですね。人生ボロボロだしつらいけど、やっていくしかないです。目の前のことを楽しむぞ。早く大学生になりたい。

 

おわり。