The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

精神科通院6年目の感想

精神科に通い始めてから6年ほど経ちます。2014年と2016年にとてもきつい波が2度ありましたが、2019年現在、病状はとても落ち着いています。

 

 2014年はストレートで大学に入った年でした。生活が始まって1ヶ月ほどでだんだん混乱することが増えて、朝が起きられなくなり、なんとか大学に行っても頭痛と吐き気と呼吸の苦しさが出るようになり、不安や恐怖に駆られていました。自傷行為も始まり、寝たきりの日が増え、精神科に頼ることにしたのが6月の終わりでした。適応障害と書かれた診断書を提出して休学、母親や兄の協力を得ながら治療に努め、2015年の春もう一度1年生をやり直しましたが、結局体調不良をぶり返し、6月には退学しました。退学前に留学を計画しており、2015年の残りは英語の勉強をしながら治療に臨みました。

 

 2016年は、三ヶ日開けにはもうイギリスにいました。Everything is new to me!と空港からホストファミリーの家へ向かう時に口にしたことを覚えています。7月までは大学入学準備コースにいたのですが、事はかなり順調でした。無理せず慎重に生きようと決めていたし、体調もよく、もう寛解したんだなあと思っていました。しかし8月、大学に本入学してから、少しずつ状態が悪化していきました。だんだんと通学が億劫になり、朝起きられなくなり、キャンパスを歩いていると不安でたまらなくなりました。家を出るときは人の視線が怖くてフードをかぶっていたし、人の話し声が嫌でノイズキャンセリングイヤホンを常につけていました。自傷行為も再発していたし、かなりダメになってしまいました。2017年のお正月に一時帰国した時、帰りのフライトの前日に、私は熱を出しました。頭はボーッとして、不安でたまらなくて、心ここに在らずの状態でした。心配した母親に福岡に戻ってくるよう言われ、何も考えず羽田から福岡へ飛びました。

 

 そして2度目の退学に至ったのが2017年の2月のことでした。再発してしまった、私は一生こんな体調不良に悩まされなくちゃいけないのか、大学で学びたい気持ちはこんなにあるのに、どうしてだめなのか。もう本当に、腰を据えて治療しなくちゃいけない、そうでないとこれからもこんなことを繰り返すだけだ。そう思いました。今思うと退学でなく休学でよかったのではないかと思うけど、当時はイギリスに戻るなんて怖くて怖くて怖くて仕方なくて、とても無理だと感じていて、「綺麗さっぱりやり直すこと」が好きな私は、退学を決めてしまったのでした。2017年は予備校に通ってみて失敗したり、フリーターになって週5で働いてみたりしました。病状は以前と少し変わり、不安が何より強くなりました。離人感覚が強く、生きている心地がしない日々が続きました。ですが実家生活は穏やかで、私の心もかなり癒されました。福岡でかかっていた医者はとても優秀で優しい方で、とても助かりました。そしてそんな風にゆっくり過ごしながら、「最後に一度だけ、大学を目指そう」と決めました。アルバイトの生活は向いてました。楽しかったし、人との交流や規則正しい生活を通して、かなり健康にも近づきました。自分は大学で学ぶより働く方が向いてるのだろうかと考えたりもしました。実際そうなんだと思います。でも、病気なんかに強い学びの希望をへし折られてしまっていることが悔しかったし、今しか親の援助を得ながら大学に通えるチャンスはないと思い、最後にチャレンジしようと決めたのでした。

 

 東京の大学に行きたかったので、東京生活と勉強の両立の訓練のために、2018年は都内で予備校に通うことにしました。最初は順調でしたが、最終的には集団授業に出るのが困難になりました。体調や計画の遂行も上手くいかなくなり、国公立志望だったのも私大志望に変えてしまったし、9月頃にはもう個別指導の授業にしか出られなくなってしまいました。そして、(読んでる人にはこの先はわかると思うんですが、)予備校も辞めることにしたのが11月です。直接のきっかけは婦人科疾患にかかり不安が爆発したことでした。自分の体の脆弱性に飽き飽きしたのと、2018年を振り返って、この調子じゃもし大学に受かってもちゃんと通えるわけがないと判断しました。あの時の判断が正しかったかはわかりません。でも当時はそれしかないと思っていました。

 

「何故そんなになんでもすぐ辞めるんだ」と読んでる人は思ったでしょうが、多分私は規模の大小に関わらず「計画通りにいかなかったら気持ち悪いしつらいからさっさと諦めて次にいきたい」という気持ちがあるんだと思います。例えば酷い時、7時半には起きて9時には勉強を始めて〜をして〜をする、という1日の計画があるとして、もし7時半や8時までに起きられなかったら、その時点で私はもう何もしたくなくなり、どうしたらいいかわからず、1日を無駄にしたりしていました。大学も、予備校も、どれもそんな感じです。状況が変わったら柔軟に計画を変更してまた新しい目標を立てて頑張ればいいのに、「思うようにいかなかった、もうダメ、どうしたらいいかわからない、辞める、他のことをする」という思考に至ってしまっていたんだと思います。

 

 そして迎えた2019年には、慶應の通信課程へ入学しました。調子は上々です。相変わらずPMSで体調が良くない日も多いけど、良い日も増えました。不安で動けなくなることも減ったし、外でパニック発作が起きることも同様です。そしてもしそれが起きても、冷静に対処できるようになりました。そして!なにより!音楽を作れるようになりました!(喜) 私は最初適応障害になって以来、楽器に触れること、ましてや曲を作ることなんてとてもできなくなっていました。初期は抑うつのせいで音楽への関心がなくなっていたし、その頃周りが楽しそうに音楽をやっているのを見るのがあまりに苦痛でトラウマになっており、音楽への関心を取り戻しても音楽のことを考えると悲しくて仕方なくなってたまに激しく泣いたりしていたのですが、先月カウンセリングを受けて自分の気持ちと向き合ったことをきっかけに、曲を作ることに抵抗がほとんどなくなりました!この点に関しては、本当に私はよく頑張ったと思います。6年間放置していた傷、腐っていて醜くて触ると痛むひどい傷を、やっと治すことが出来ました。どんなに体調が少しよくなっても音楽を聞くたびに悲しくなっていたのが日々の蟠りでしたが、かなり取り除くことが出来て、今は好きな音楽を好きと言うことも、歌詞を書くことも、キーボード(本当に触れなかった)を叩きながらメロディに体を身をまかせることもできます。本当に嬉しいです。

(音楽に関する悲しい気持ちは音楽にして昇華しようと決めて書いた歌詞にメロディをつけた曲があるので、よかったら聞いてね↓)

音楽を聴きたくない by 奥 飛鳥 | Free Listening on SoundCloud

 

 まだ完璧に寛解したわけではありません。まだ抗うつ薬を飲むのを勝手に辞めると調子が悪くなるから飲み続けているし、何もできずに終わってしまう日もあります。でも、この6年間で本当に私は自己理解が進んだと思います。私が不調になって、さらに深みにはまっていってしまったのは、物事の理由やメカニズムがわからなかったからなんだと今なら思います。例えば、昔は朝起きれないと「早寝したのにどうして?どうしてこうなの、私が悪いの?どうしたらいいの?もうわからない、悲しい、お父さんお母さんごめんなさい」と思っていたけど、今なら「はぁん、PMS来たな」と思えるし、何もしたくなくて何となくつらい時は「あ、今日の計画が既に崩れてるしやること溜まってるのにちゃんとこなせる自信がないから嫌になって逃げてるな」と思えるので、「とにかくできそうなことからやろう、家じゃ集中できないからとりあえず環境を変えるため外に出よう」と対処できます。そんな風に、生活のうちで何かが上手くいかなくても、体調が悪くなっても、何故そうなるのか大体わかるから対処ができるし、怖くありません。混乱してパニックに陥ることもありません。発達障害の傾向があるのは明らかだと思うんですが、ADHDの薬ではなく少量の抗うつ薬とカウンセリングだけでこうやって満足のいく生活をできていて、とても良い感じなんじゃないかと思います。

 

 まだまだ気は抜けません。またいつ大波が来るかわからないし、小さな波が来るかもわかりません。だけど、この6年間で得られた理解と対処能力があれば、なんとか乗りこなせるんじゃないかなと思えています。全体的に大変だったし、結果として大多数とは違う人生を歩むことになったけど、後悔は特にないし(後悔したところで特に得るものもないし)、現状に割と満足しています。いつも自分に満足できず苦しかったので、今こう感じられているのは素晴らしいことです。でもだからといって、私らしいチャレンジ精神を失うつもりはありません。通学課程に慶應の通信にした理由である希望のゼミがあるので、通学課程への編入試験に向けて勉強を頑張ります。今はとにかく単位を取るために頑張るだけだけど、8月の夏期スクーリングでは毎日キャンパスに通ってみて通学の練習にしたいと思ってるし、それが上手くいけば秋以降も通学の練習を積もうと思っています。

 

 私は高校卒業以降の人生、全く上手くいきませんでした。2度挫折しているし、経歴も中退やら空白やらでボロボロです。だけど今みたいに穏やかに幸せに暮らせているのは、もちろん家族や友人や恋人のおかげでもあるし感謝しているけど、何より自分が頑張ったからだと自負しています。私は自分を誇りに思います。治療を諦めて自滅の道に走らなかったこと、クソ真面目にカウンセリングノートを書いて気持ちを整理したこと、それをカウンセリングできちんと話して、事後にもノートを書いてまとめて以後に生かしたこと、色んな病院に行ってみたこと、人に頼るのが苦手なのに頑張って頼ったこと... 私は周りの人達と同じ生活を当然のように送れない欠陥がたくさんあるけど、生命力は強いのかもしれません。それは私が努力して得たものではないから、結局私は運がいいだけなのかもしれません。世の中、そんな生命力もなく破滅の道を行く人たちも沢山いるので。だけど、私は私のその強さを認めたいです。人に自慢するでもなく、ただ「私のいいところなんだ」と認識していたいです。

 

死にたい気持ちはあります。でもその気持ちを肯定しているし、だからといって毎日悲しいわけでもありません。生きるしかないから、それなら楽しく生きようと思っているし、その妥協的な考え方で安定しています。かつては今みたいに精神的に楽な日々が訪れることを渇望していたので、とても幸せです。これからも大変なことは沢山あると思うけど、私はこの体でこれからも生きていきます。楽しくやっていきたいです。

 

終わり

 

 

 

追記

私は「生きづらいな」と感じている人の味方でいようと思っています。なので、何かに困っていて誰かに話したいけど誰に話せばわからないとかいう状況の人がいたら、話を聞くので気軽に話しかけてください。私情を挟みすぎず対応するよう心がけます。生きづらくてつらい人たちが少しでも生きやすくなりますように。