The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

ひどく春な日

ひどく彩度の高い日だった。

空も海も山もあまりに青いものだから、私は真っ白なシャツを着た。

母の日のプレゼントに、ふっくらした蕾のたくさんついた、赤いカーネーションを買った。咲ききった花は、あとは散るだけだと思ったから。

 

レースカーテンがゆっくりと呼吸をしている。

この呼吸が記憶を呼び起こす。

5歳とか、6歳の記憶。まだ犬のミミちゃんがいた頃。一緒に窓際で寝転がり、呼吸を肌に感じながら、庭のみんなを眺めた。

蝶々が踊って蜂が泳いで、草木は風に小さく揺れ、国道からは車の音。片方の脚の脛だけが、太陽に当たってあつい。

全く同じような顔をした、全く違う時が流れている。

 

私には居場所がない。

この家を出た三年前のあの日から、私には居場所がない。どこにいても後頭部が引っ張られるように痛み、足は浮腫んでいて、少し眠い。

なんてわがままなんだ、と思う。

 

私はどこにいても満たされない。

刺激を求めて動き回っては、疲れてその場に座り込んでしまう。気づいたら知らない場所にいて、不安になって、唇と指先が痺れるほど強く呼吸をする。

なんて不器用なんだ、と思う。

 

洞窟に映る自由の影を見つめ、それが影だと知りながらも、触れたい手に入れたいと、手を血まみれにしながら奥へ奥へと掘り進んできた。

そろそろ私は、洞窟の壁に目を逸らし始めた。

そこには何もない、何もない。

恐ろしいほど何もなくて、誰もいない。

看板もなければ時計もなくて。

 

 

近くの山へ登った。

長い海岸線を縁取る何色もの青と緑、それから柔らかな黄色、人の粒々。

どうして好きな気持ちは、それだけで存在してくれないんだろう。好きな気持ちは、いつも余計なものを巻き込んで、思考の終いには悲しくさせたりするんだろう。

好きで、そばにあって、それだけじゃ、どうしていけないんだろう。

 

鮮烈な春は、優しすぎる人たちは、幸せすぎる出来事は、嘘っぽくて泣いてしまう。ひどく良い日だった。明日もきっと、こんな調子なんだろう。