The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

志望校

志望校を決めました。第一志望を北大文学部、第二志望を慶應文学部にします。北大は人間システム科学専攻行動システム科学講座にすごく入りたいゼミがあります。今まで色んな大学の学部学科ゼミ教員その教員の論文、たくさん調べてきたけど、一番「ここだ!」と思いました。「どうしてもここがいいー!わー!」とこの一週間毎日思ってます。朝目覚めたら、札幌駅徒歩15分以内/築10年以内/2階以上/1LDK/オートロック/バストイレ別/コンロ2口以上の物件のベッドルームで目覚めた気がします。そして「さーて大学行くかぁ!」と言いながら体を起こしています。慶應は文学部心理学専攻が面白そうな実証心理学をやっていていい感じなので、東京ならここがいいなあと思います。これだけ親の脛をかじって生きてきてそれがストレスになっているというのに、金持ちの巣窟みたいな大学に行くのは抵抗があるし、自分に合わない校風だろうなとは思うし、他人にどんな印象を与えるかを想像しても頭が痛いけど、でも、やりたいことができる大学にしか行きたくないし、アリかな〜と思えます。東京だと東大や一橋もいい感じですが、来年入るのは無理なので諦めます。二次に数学は無理です!それに受験は、来年で終わらせたいです。第三志望以降はまだ考えてませんが、早稲田人間科学部とか上智心理とかICU(調布から通える)とかかなあとぼんやり思ってます。

 

北海道に住むとなると一人暮らしだし客観的には心配だけど、主観的には「かなり元気になってきてるし、なんとかなるのでは?」と思ってます。以前留学を決めた時なぜイギリスにしたかというと、やりたい学問の本場だったからだし、学校選択の際には場所がどこかとか偏差値がどうとかより、やりたいことができるかを重視してしまいます。最初福岡から東京に出てきた時は適応障害になったし、イギリスに行ったら不安障害になったし、今も治療を続けてて、自分が環境への適応能力に問題があるのは明らかです。二度あることは三度あるとも言うし警戒はしています。なので、今後の調子次第では、九大文学部(実家から通える)や東京の大学(兄と暮らせる)にする可能性もあるかなと思います。(またはもっと下のレベルしか狙えない可能性もあるけど・・・。)でも、そろそろ一人で暮らせるようになりたい気持ちがあるし、こんな不適合者でありながら新しい環境が大好きというのもあって、もどかしいです。札幌には二回行ったことがあるんですけど、福岡の次に好きな地方都市だなと思ったし、かなり住んでみたいです。冬が極寒なのも年間平均気温が低いのも海鮮が美味しそうなのも福岡から遠いのも、全部いいなあと思います。可愛い電車も走ってるし、広い土地でドライブもしてみたいし、九州にはいない鳥もいるし、雪国ってすごく憧れるし・・・。(あと涼しさが自傷跡隠しの長袖生活に優しそう)(最高)

 

今年改めて東京に出てきて、以前と同様兄と生活して(いただいてい)るんですが、兄曰く「杉並の頃よりエネルギーがある感じがする。ちゃんと朝起きてご飯作ったりしてるし。前は本当につらくて何もできないって感じだった。」だそうですし、自分でもなんだかちゃんと生活できてるなって感じます。杉並の頃と違ってきよちゃん(愛鳥)がいるから生活にハリがあって、あまりに愛しいので毎日笑顔になるし、住んでる調布が開放的な雰囲気だから外出しても疲れないし、部屋が広くて明るいおかげかなと思います。私はゴチャゴチャした街や狭い部屋には住めないと思います。要は東京が向いてないんだと思います。笑 それを考慮しても、札幌はいいかなあと思ったりします。留学先だったNorwichは穏やかな地方都市で、街はそれなりに充実してるけど少し離れれば緑が多く、キャンパスは大規模で自然がいっぱいでウサギがそこらをピョンピョンしているようなところでした。最終的に不安障害にはなったけど、あれは対人能力の低さが主な原因だったと理解しているし、当時周辺環境には全くストレスを感じていなくて、3年間住む気満々だったので、ああいう環境を求めていくべきかなと思ったりします。東京は魅力的だし住んでいたいけど、多分調布くらい落ち着いた街の広くて明るい部屋じゃないとつらいし、他の都市にも興味があるので、引っ越すのもアリかなと思います。色んな街に住みたいです。でも、そうやってフラフラしてるから友人関係も恋愛関係も安定しなくて精神的にも落ち着かないんだとはわかってるから、次こそは4年間住み続けたいです。高校卒業してから4年半で、もう4回も引っ越してしまいました。次こそ定住したいです。

 

一昨年イギリスから一時帰国して、飛行機に乗るのが怖くて熱を出してイギリスに戻れなくなって、1年6ヶ月が経ちました。時間の感覚がありません。長かったとも感じないし、短かったとも感じません。過去の自分と今の自分が連続したものだと感じられなくて、記憶が、どこかで人から聞いた話みたいです。鏡に映る自分が自分と思えなくて怖いし、夜になると人の気配や視線を感じて不安になります。でも、朝から予備校に行ける日も増えたし、行けなくても、ひどい罪悪感や不安に駆られて何も手につかなくなることが減りました。朝に倦怠感がひどくて起きれないと、起きれない事実がさらにストレスになって動けなくなってたけど、切り替えるのが上手くなった気がします。自分の人生が劣っていると思えて仕方なくて生きているだけで恥ずかしいと感じることもなくなったし、私は私でいいや、良いところもある!と思えるようにもなりました。私は頭が固くて、融通が利かなくて、完璧主義者で、ストレスが体調に反映されやすくて、気分に波があって、生理が重くて、人間関係の維持ができなくて、本当に面倒くさいです。でも最初に適応障害になって以来嫌になる程自分と向き合ってきて、自己理解も進んで、少しずつ自分の取り扱いが上手くなってきた気がします。気持ちに余裕が出てきたからか、人と関わることの楽しさを感じることも増えました。今までひどく苦手意識のあった同性の「友達」とも、腹を割って話して、楽しめるようになってきました。人と関わるって大切なことなんだなと実感するし、悪くないなと思います。「健康な生活をするためには人と交流しなくてはいけない!人間は社会的動物だし帰属感を得なくては!」みたいに考えてバイトをしたりしてたけど、そう考えすぎず肩の力を抜いて、他人と付き合っていけるかも、と思えてきました。これはかなり大きな成長だと思います。サークルに入って勉強もやってバイトもやって、サークルの友達と飲んだり合宿行ったり、バンド組んでライブしたり遠征したり、ゼミで論文書けるようになったり研究したり、留学してペラッペラになったりインターンしたりなんたりかんたりで、圧倒的成長!を経験する4年間は過ごせなかったけど、私なりの色んな成長はできた4年間だったなあと思います。丸くなったし、強くなったと思います。来年どこかしらの大学に入れたら、また学生としてやっていくわけだけど、年寄り学生ではあるけど自分なりに楽しく過ごして、また更に良い方向に変化していきたいなあと思います。希望としては、体系的に好きな学問を学んで、師事を仰いで、好きなことを研究できるようになりたいです。それがやりたくて大学に入ったのに2度も挫折していて悔しいので、20代の内にやり遂げたいです。もう早く大学に入りたい、というか好きな勉強がしたくてたまらないです。あとは、交友関係でも恋愛関係でも安定した関係を築けるようになりたい、けど、これはまあ、それなりにできるようになればいいかな。元々一人が好きだし、無理してオープンマインドに変える必要もないかなと思うので。でも、人と心が通じて嬉しいなと思える瞬間が増えたらいいなとは思います。

 

 

 

 

うーん、その成長・変化の場が、憧れの土地、北海道だと良いな・・・。うーん、何としても受かりたいです。頑張ります。来年の今頃は札幌駅徒歩15分以内/築10年以内/2階以上/1LDK/オートロック/バストイレ別/コンロ2口以上の部屋にもそろそろ慣れて、バイトを探し始めたりしていますように・・・!うわあ落ちたら怖いなアー!アー!アー!アー!アー!アー!アー!アー!あ

 

おわり

七月の反省

●七月の問題点

「夜ちゃんとやろう」→やらない

「日曜まとめてやろう」→やりきれない

「午後から頑張ろう」→時間足りない

「やると決めたタスクはしっかり完了させよう」→時間がクソかかる→1日にやる科目が偏る→週に1度も触らない科目が出て来たりする

 

先延ばしの癖+完璧主義のせいでタスクが全然終わらなくて本当に最悪だった。パニクる。わけがわからない。夏が終わって、同時に私の受験生生活が終了してしまう。二浪になる。怖い、無理。特に後回しにしてしまう理科と社会が進んでなくて本当に焦る。焦る焦る焦る。パニクる。

 

自分がいかに"勉強ができない"かがわかった。計画通りにやれないし、記憶力も大して良くないし集中力も大してないし、無能すぎる。私が高校生になって成績が落ちた理由がわかった。勉強なんてやるかよ!私は音楽をやるんだ音楽!高校なんて中退するぞ!と多少思っていたのもあるけど、主な理由は自学しないと授業についていけないからだ。私は自学ができない。中学までは家で最低限の宿題以外やってない。(今考えるとやってはいたけどいつもギリギリだったし、毎日ノートをビッシリ埋めることに拘っていた宿題を先延ばししまくって夜遅くなり、親にもう寝なさいと言われると嫌すぎて号泣しながらやったりしてたし、今も昔も先延ばし癖+完璧主義だった...)あと、塾に行ってたから成績が良かった。高校では塾に行ってなくて、しかも校風が死ぬほど嫌い+最初にコケたからもう勉強が嫌になってしまい(今思うと完璧主義)授業は寝てたし、課題も嫌で全然出さなかったから、あんなに成績が落ちたんだと気づいた。私は自主的に勉強したことがない。習慣がない。やり方が全然わからない。ウーーーーーーーでも嘆いていても発達ガー!と言い訳をしても成績は上がらないので、改善策を講じて活動するしかないですね。

 

 

●改善策

朝から何でもいいから手をつける。

予備校に行く日行かない日に関わらず遅くとも9時には勉強をスタートできるようにする。浪人生なら当たり前のことなのかもしれないけど、今までできてなかった基本的なこと...。心身の調子悪かったせいでもあったけど、調子良くなってきてるから心がける。この前決めた通り、勉強場所は家は避ける。予備校がある日は朝から予備校、ない日は近くの学習室かカフェに行く。

 

・一日の計画はタスクだけでなく時間も一緒に設定する。

毎日英語からやるけど2時間もかけてしまったりする。馬鹿すぎて絶句。得意科目だしむしろ後回しにすべき。「数学に4時間かけて、英語に2時間もかけて、うわあ他のが全然終わらない!あたふた!もうだめだ!もういやだ!(パニック)」のパターン、ゴミ。一日の計画は時間ではなくタスクで設定することをベースにしてたらこんなことになってしまったので、時間も一緒に設定する。なんでこんな基本的なこと今までしてこなかったんだろうか...。

 

・その日に予定している科目全てに、少しでもいいから必ず触れるようにする。

各科目の内容を予定通りしっかりやろうと思って時間をかけてしまうから、最終的に科目が偏ってしまった。完璧主義の弊害。しかも私はノロい。時間はないんだから全てのタスクをパッパとこなすようにする。傾向として私は時間の見積もりが死ぬほど甘いことを自覚する。作業中に「これ時間足りるのかな?」と疑うようにする。もし「ああもう時間が足りない!」と焦ったら、とりあえず30分でも10分でもいいから触ってない科目に触れる。少し読むだけでもいいし、数問解くだけでもいいから。反復が一番大事。でもただ目を通すだけだと記憶に残らないので、脳の色んな部分を刺激する。読みながらイメージを想像して紐付けする、音読する、歩きながら読む、など。タスクをこなすことに気を取られて上の空で勉強しない。

 

七月はゴミだったしもう過去は忘れて、また計画を立てて直してやっていきます。回す参考書が多いので減らして、満遍なく、全範囲をこなせるように考え直す。勉強って本当に難しい!科目多いし!子供の頃勉強ができたのに高校くらいから脱落する私みたいな人たちって一定数いる気がするけど、そういう人たちって、みんな記憶力や思考力はあるのに「勉強という行為」ができないのではないかと思った。でも「子供の頃は頭が良かった」とか「勉強できないのは発達のせい、定型発達はズルい」とか思いたくも言いたくもないし、現実を受け入れて、現状把握と改善を積み重ねていくしかないかなという感じですね。過去を見ていても仕方ないし。

 

●七月の良かった点

・夏期講習は(今の所)一日も休んでない→クソえらい

抗うつ薬の副作用で生理不順になったので予定が狂って不本意にも大混乱して勉強できなくなったけど(とことん融通が利かない)、頑張って精神科に行ったから気持ちが整理されてリカバリーできた→すごい

・人と遊んで元気になれた→よかった

・きよぴと毎日遊んで幸せだった→素晴らしい

 

あんまり良かった点は多くないけど、講習全部出てるのがスバラ。特に今週は月曜から金曜まで一日も休まず朝から講習に出ていて本当にえらい。元気な人は当然できることだろうけど...私的にはすごい!えらい!来月も頑張ろう!

 

 

 

 

 

 

 

先延ばし癖と完璧主義思考は本当に私の欠点であらゆることに悪影響を与えているし勘弁してくれという感じだけど、いい点もあったし!八月もコツコツやっていこう!頑張ろう!脳のクセに負けないぞ!頑張ります!

 

おわり

恋をしてない

今、恋をしてない。

ふとした時に好きだった人のことを思い出して、目の前がぐらつくことはある。

でも、脚の力が抜けて立てなくなることも、感情さえも忘れた顔面を絶え間なく涙が伝うことも、喉が枯れて鼻が詰まって呼吸もできなくなるほど激しく泣くことも、なくなった。

 

私の恋をしていた時間の中で、幸せだった時間より、悲しかった時間の方が、大きな割合を占めていたような気がする。

 

 

私は、人ときちんと向き合えたことがあるんだろうか。

深い絆を感じたことがあるんだろうか。

 

 

 

「とても言えないけど もしかしたらこれは愛かも」という宇多田ヒカルの歌詞に思いを馳せてきた。いつか、自分なりの愛を見つけられるものなのかなだなんて、ぼんやり、期待してきた。

でも、まだ全然わからない。愛。無数の定義、形、解釈、歴史。

もう来月には23歳になるというのに。

 

きっと、自分なりのそれは、一人じゃ見つからないんだろうな。きっともっと、信頼しあったり、理解しあったり、想いあったり、しなきゃ見つからないんだと思う。

人と繋がることって、ひどく難しい。

 

 

私は、人ときちんと向き合えたことがあるんだろうか。

受け入れて、心を開いて、信頼して、信頼されて。

 

 

私ときたら、いつも勝手に傷ついて、わがままを垂れて、困らせて、殻に閉じこもって自分を守って、壁をどんどん厚くして。

私は何をしてきたんだろう。

どうしていつも、一人になるんだろう。

 

一人でいることは、私にとって苦痛なんかじゃない。

友達だって少ないし、恋人もいないし、属してる社会組織もない。だけど随分それにも慣れてきてしまった。

いつも、自ら一人を選んできた。

そばにいたいと思った人ができても、結局一人を選んできた。

もう少し大人になればいいのに。もう少し我慢すればいいのに。

 

 

 

どうして一人を選んでしまうんだろう。

知らない街に住もうとするんだろう。

天気のいい日も、部屋にこもってしまうんだろう。

どうして終わりばかり、探してしまうんだろう。

始まってもいないのに、何を恐れるんだろう。

 

 

幸せな恋愛が何なのかわからない。

だから恋しくない。

幸せだった瞬間もきっとあったけど、真っ黒な絵の具で塗りつぶされて、もう見えなくなってしまった。

このまま、傷つくことなく生きていたい。

 

そうやってまた一人を選んでしまう。

繋がることにこの上ない喜びを見出す日が、いつか、訪れるんだろうか。

始まりや終わりより、生きている見つめあっているその瞬間を大切に思える経験が、待っているんだろうか。

そうなんだろうか。

 

 

 

 

ああ私はやっぱり怖い。

深い絆が深い傷に変わる前に、浅い傷を残して、消えてしまいたいと思う。

何もかも、消してしまいたいと思う。

恋をしていない。だから誰とも、向き合っていない。

今日も一人で、とっても幸せだった。

自傷行為

理由なんて明確にはわからない。承認欲求を満たすための愚かな迷惑行為だと揶揄されても仕方ない。否定できない。誰かに見てもらいたいからやるんだろうか。酷暑の中でも毎日長袖で外出しているのに?

 

 

私の自傷行為は主にアームカットと吐き気を催すまでの過食。親が持たせてくれた薬や精神科でもらった向精神薬オーバードーズしたりもした。ベッドから落ちたり包丁やハサミを叩きつけたりして痣を作ったりもした。始めたのは大学に入ってからだし、それまでは自分がこんな傷だらけになるなんて思ってもみなかった。学年に数人いる、家庭環境が恵まれてないちょっと変わった女の子が、隠れてやるものだと思っていた。私とは無関係だと。

 

始めた当初は、誰かに助けを求めてやっているわけじゃないんだ、と自分に言い聞かせていた。助けてほしいなんて思わなかった。とにかく自分でなんとかしないといけないと思っていた。でも物事が上手くいかない。どうしていいかわからず、混乱の中一人で立っているしかなかった。頭は重くて痛くて、肩も凝ってだるくて、あまりに精神的に苦痛で心臓が痛くてたまらなかった時、腕を切れば、少しは楽になるなかなと思い立った。息もしづらくて何が何だかわからない中、よろけながらベッドを抜け出し、カッターを手に取った。血を見たら落ち着いた。2014年の6月、同期が楽しい大学一年生生活をやっている頃だった(笑)

 

カッターを兄に隠されたら包丁で切った。カッターも包丁も職場に持っていかれたら、コンビニまでカッターを買いに行って切った。全然切れない安全剃刀で何回も同じ場所を切った。その力もなければただベッドから落ちることを繰り返した。最初は少し痛かった。後悔もした。でも繰り返していると、痛みも和らいできた。後悔もしなくなった。もっと傷跡が欲しくなった。もっともっと傷つけたいと思った。腕、二の腕、肩、首、脚、足、と範囲は広がっていった。ヒリヒリ痛むお風呂にも慣れた。自傷行為が私の尊厳を保っているような感覚になった。痛めつけることが私の中で正しいこと、唯一私を私たらしめるもののように感じて、ひどい時は脚を切り落としてくれ、腕を切り落としてくれと大声で泣いたりした。とにかく体をボロボロにしたかった。そうでないと、私は認められないと思ったのかもしれない。

 

救済だと思った。やめたいと思った。異常だと知っていた。自分が気持ち悪いと思った。やめたくないと思った。

 

2015年の春、親に精神疾患のことも伝え調子も良くなってきたので、本当にやめてやると意気込み、思い切って、ケロイドの切除手術を受けた。でもそれで綺麗になるわけもなく、傷跡は今もしっかり目視できる。どうせ消えない傷跡があるのなら、どうせ隠さなくてはいけないなら、いくら傷つけてもいいだろうと思ってしまう。だから今も時々やる。

 

 

私は他人が自傷行為をしていてもやめろとは言わない。それがその人にとっての唯一の救済である可能性があるから。私は何度も人にやめなさいと言われた。精神科医、カウンセラー、好きな人、知らない人から。好きな人に「傷つけているのを見るのはつらいのでやめてほしい」と言われた時は、やめようかと思った。だけど結局大した抑止力にならなかった。唯一の救済を我慢して私がつらい思いをすれば、それが相手の幸せ?そんなの全然優しくないと思った。所詮友達以上恋人未満でしかないくせに、にしかなってくれないくせに、なんなんだと思った。親からもらった体を傷つけるなんて親不孝だ、なんて言われても、誰もこんな醜くて機能不全な体に産んでくれなんて言ってないし、と思ってしまいダメだった。私は自分を傷つけることでしか幸せになれないのに、なんでやめさせられなきゃいけないんだ。

 

動機については自分でも色々調べたり考えたりしてきた。人によると思うけど、私の場合は一種の解離状態から解放される感覚を求めてやり始めて、ハマっていったのかなと思う。血を見ると過呼吸も動悸も収まって正気に戻れる感じがしたから、病みつきになった。あとは、承認欲求を満たすためというのもあると思うし(自傷画像をツイートするとファボがつくので)(悪習)。何者にもなれない惨めな自分に、メンヘラというアイデンティティが虚飾を与えてくれたと思う。メンヘラを"演って"いれば即物的なメリットはある。仲間ができるし、コンテンツ力になる。でもそんなのカスで、私自身の状態の改善には全然繋がらない。むしろ悪化する。もっとあの人みたいに深い傷を、あの人みたいにODで救急車に運ばれなくては、自殺未遂してからが本番、そんな思考に取り憑かれて、ヒートアップしていく。強迫観念に近いかもしれない。

 

 

もう自傷行為が知らない世界のものだった時のことは思い出せないけど、知らない世界のものである人たちにとっては、自傷行為なんてわけがわからないだろうなと思う。でも、説教くさいことは書きたくないけど、やってる人たちは、どんなに傷が浅くたって、絶対になんらかの問題を抱えている。だから、理解できなくても(そもそも未経験の異常行為を完全理解なんて無理)、心の中では馬鹿にしても、ダサいと思っても気持ち悪いと思ってもどうでもいいけど、表出しないでほしいなと思う。浅い傷跡の写真をあげてるアカウントを馬鹿にしてRTしている人たちを見ると、すごく不快だ。たくさんRTされて本人は嬉しいのか、私と同じように不快なのか、わからないけど、少なからず私はすごく嫌悪感を抱く。浅い傷=精神的な損傷も小さいわけじゃない。傷跡の写真を上げるなんてマナー違反なのは確かだし、スパブロするならすればいい。なぜそうせず、晒し上げるのか?「見ろよこいつ、深い傷作る勇気もなくて浅い傷作ってかまってちゃんアピールしてやがる」とでも言うように、なぜみんな揃ってRTするのか?もしそういう反応を受けて「もっと深い傷を作らなくては」と本人が思ったらだなんてことは考えないのか?もっと切れば、深く切れば、笑わないのか?究極的には自殺すれば、認めてもらえるのか?

 

自殺すれば認めてくれるんですか?自殺すれば私の苦しみは認めてもらえるんですか?自殺すればいいんですか?自殺するまでは、なにもかもが「甘え」や「かまってちゃん」なんですか?自殺すればいいんですか?自殺したら辛かったんだねと言ってもらえるんですか?

 

そう思いながら腕を切ってる人たちを見てるし、自分の傷を眺めているし、これからも生きていくんだろうなと思う。

 

 

私は誰かに助けてほしいというモチベーションで腕を切ったことなんてない。自分でなんとかしたいのに、なぜかできないから、自分を助けるために、切っているだけ。だけど気づきつつある。私は人の助けが必要なのだと。私は人間関係の構築が下手だから、助けを求められないから、合図を送れないから、現実で誰に見せるわけでもなく、糸にも縋る思いでインターネットに赤い画像と辛い言葉を垂れ流して、自分を少しでも癒そうとしていたんだと。

 

 

 

随分人に頼るのも上手くなってきたと自負してる。おかげさまで、まだ切ってしまうことはあるけど前よりは浅くなったし、あんまり問題視してない。いつになったら全く切らなくなるかわからない。これからもこの一生消えない傷跡と生きていく。暗い過去はつきまとう。未来はいつも眩しい。現在はいつも、何が何だかわからない。

クイックノート 夏の計画1週目の反省

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うーん1週目、前半は調子良かったけど、金曜の午後から死ぬほど怠く眠くなってしまい、土曜は1日死んでいて、やり残したことが結構ある。反省してる。

 

でも、今回定めたスケジュール方式(前記事に書いたやつ)はかなりいい感じだと思った!毎日タスクがあるだけでそれぞれの学習時間までは設定してないから、あんまり「計画が崩れた!どうしよう!(混乱)」とならない。1週間の内に全科目に触れられるのも良い。あと、タスク1つ1つに対するハードルを下げたから、気持ち的に楽。(例)時間がない日はとりあえず世界史の参考書をしっかり読んだだけでもタスクをこなしたと認める。

 

しかし!ハードルを下げて精神的負荷が軽くなったのはいいけど、今週は1日の勉強時間が6,7時間とかで良くないので、来週は1日最低8時間はやろうと思います。移動時間も何かやって、家事をもう少しパパッとこなして、隙間時間にスマホを触るのをやめます!(大汗) 1日10時間とか12時間とかやるべきなのかもしれないけど、そうやって力んで折れてしまうのが怖いので、今夏はコンスタントに8時間〜やれる習慣と体力を身につけるのを目指します。

 

これから1週間はPMS期間なので、毎朝起きるのがつらい、一日中だるい、一日中眠い、やたら頭痛や腰痛になる、なんか頭働かない、わけわからないミスが多い、異様に食欲がある、と最悪だと思いますが、無理せず、かつなるべく毎日やることをこなして乗り越えたいです。健康第一!明日から3日間は夏期講習があって8:30には予備校に行きたいので、今日は早く寝ます...。

 

日記みたいな内容になったけど、将来大学合格した時に見返して「こんな時期もあったな...しみじみ...」となりたいので書きました あはは。来週1週間も頑張るぞ〜。

 

おわり

夏の学習計画

学習に関するレポートです。

1学期が終了しました。過去を省みる暇はないので夏の予定のことを書きます。

 

 

2学期が始まるまでの2ヶ月間は、55段階個別指導25コマと、夏期講習5つ、それから自主学習で基礎固めを頑張ります。

 

夏期講習で取ったのは

・世界史文化史(ほぼ強制参加)

・日本史文化史(ほぼ強制参加)

・図形と方程式基礎編(本当に無理)

・整数の性質(本当に無理)

・センター地学基礎(無料)

です。予備校側はもっと大量に取らせようとしてきたけど、莫大なお金がかかる上にあんまり必要性を感じなかったのでやめました。もう最近は2カ年計画にしようと思えてきてるし・・・

 

 

 

今夏自習に使用する教材は以下です。

 

◎国語

現代文 : センター過去問、頻出入試漢字コア2800、頻出現代文重要語700、予備校テキスト適宜

古文 : 読んで見て覚える重要古文単語315、(予備校の古文単語帳)、予備校の古典文法テキスト、ステップアップノート30古典文法基礎ドリル、古文上達基礎編 読解と演習45

漢文 : 予備校テキスト、理解しやすい漢文

◎数学

予備校テキスト、黄チャートⅠA,ⅡB

◎英語

鉄緑会東大英単語熟語鉄壁、灘高キムタツの東大英語リスニング、英文標準問題精講、英文要旨要約の解法、スーパー講義英文法・語法正誤問題、予備校テキスト適宜

◎理科

生物基礎 : 予備校テキスト、田部の生物基礎をはじめからていねいに、資料集

地学基礎 : 予備校テキスト、きめる!センター地学基礎、資料集

◎社会

日本史 : 山川教科書、書き込み教科書、詳説日本史研究、用語集、資料集、(実力をつける日本史100題)

世界史: ナビゲーター、山川教科書、書き込み教科書、詳説世界史研究、用語集、資料集、(詳説世界史ノート)

 

一つの参考書をやり込むのが一番だとはどこでも繰り返し言われていることなので、そうします。私はダメな学習者なので色々手を出したくなるんですが、出しません!そのために、上記の参考書だけを棚に並べたりしました。やり込むぞ!

 

 

 

学習計画はこんな感じです。

変更の可能性はあるけど。書き起こす必要もないと思うので写真にしときます。笑

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↑浪人経験者や現役浪人生、塾講師など、何かアドバイスがあったらよろしくお願いします。

 

私は計画を立てるのは好きなんですが、その通りにいかないと「えっ!計画が崩れたんだけどどうしたらいいの!えっ!えっ!」と頭が混乱して、やる気がゼロになってしまう、という融通の利かなさがネックです。そのせいで適応障害や不安障害になったと言っても過言じゃないと思います。自分の思う通りにいかないと、もう本当に、どうしていいかわからなくて、寝転がって無になってしまいます(汗)。それで頭痛やダルさや腹痛が来るし、時には熱が出たりするし、本当にやめてほしいです。この厄介な性格がこの春痛いほどわかりましたので(めっちゃつらかった)、反省を踏まえ、夏は工夫してやっていこうと思います。

 

 

大切にすること

⒈週ごとのスケジュールを立てること

大枠の週間スケジュールを元に、講習や55段階やその他の予定を踏まえたスケジュールを毎週組む。

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↑こんな感じ。タスクが完了したら線を引っ張って消す。

授業や用事や体調不良のせいでさっきの週間スケジュールの通りにやれなかったら、また混乱困惑することが予想されるので、授業や用事やPMSを考慮したスケジュールを毎週緩めに立ててみようと思う。柔軟性の無さは情けないし面倒くさいなと思うけど、多分これはもう性格だし、受け入れて対策するしかない。

 

⒉スケジュールに固執しないようにすること

もしその日の予定通りにタスクを完了できなくても、翌日にそれを引きずらない。ストレスになるから。あくまでその日の指定科目をやること。やり損なった内容は日曜や来週に持ち越せばいいから大丈夫!と思うようにする。

 

⒊完璧を求めないこと

一つ一つのタスクを完璧にやろうとして、その日のやるべきことをやり尽くせなかったら、その日の終わりに後味が悪い。それで後悔したり、焦ったりして、ストレスを感じる。それが積み重なると混乱の谷に落ちてしまう。だから高いクオリティより、すべてのタスクの完了を目指す。とにかくTO DO LISTを棒線で消すことを目指そう。

 

⒋ゼロの日を作らないこと

何もできないやりたくない、心も体もつらい日も、とりあえず何かに触る。英単語見るとか、古文単語見るとか、資料集眺めるとか、最悪、海外ドラマ見てリスニングの練習した気になるとか。何か少しでもやれば更にやる気になるかもしれないし、ならないとしても、ゼロよりはマシ。ゼロは、精神衛生に非常に悪いから絶対に避けたい。

 

⒌楽しむこと

楽しいな〜と思いながらやると記憶に残るし、逆に「やらなきゃやらなきゃ!」と焦ると完璧主義が作動して効率が下がったり、不安が強くなって集中力が落ちたりする可能性が高いから。それに、学ぶことを楽しみたいから大学に行きたいんだし、色んな科目の勉強を楽しみたいから国公立志望にしたんだし、何より人生は楽しいことが一番大切なので。映画『きっと、うまくいく』のランチョーがトップの成績を取ってたのだって学問を楽しんでたからだったしね。(ドおすすめ映画なのでぜひ見てください)

 

⒍毎日外に出ること

これも春の自分を見ていてわかったことだけど、やっぱり家じゃ長いこと勉強できないから、とにかく外に出て勉強する。授業がある日はなるべく朝から行って、ない日は近くの学習室やカフェで勉強する。家で憂鬱な気分や不安な気持ちでも、外に出れば環境に適応してモードを切り替えられる。

 

⒎おやすみを取ること

毎日勉強することはもちろん大切だけど、肩の力を完全に抜く時間を取ることも、同じくらい大切にする。毎日ストレッチ、マッサージ、筋トレ、瞑想をする。睡眠は7〜8時間とる(それ以上はとらない)。月に数回は人と会って話す。映画や海外ドラマを見たり好きな本を読んだりする。

私はこの数年、自分は罰当たりで、生きているだけで間違いだと思っていたし、明らかな体調不良で寝込んでる時くらいしか"然るべき、肯定された休養"を取れている心地にならなかった。体調が悪い時しか、私は"休む"ことが"許されない"ような気がしてた。でもそれじゃ、疲れやすくなったりパニックになるのも仕方ないなと思う。去年は「私は私を幸せにする選択をする」をテーマにして生きてみて、今年はある時「私は私を幸せにしていいんだ!私は私でいいんだ!」と謎の閃きと自己肯定感の芽生えがあった。それ以来、幸か不幸か、私はかなり自分に甘くなったし、全体的に調子が良くなってると思う。情緒も割と穏やかだし。でもまだ漠然と何かが不安で動けなくなったり、憂鬱で何もしたくなくなったりして不安定だから、意識的に”肯定された無の時間”を作るようにする。私は休んでいいんだ、これは必要な時間なんだ、と思って、ゆっくりする。

 

 

 

9月の上旬に夏の成果を確認するために駿台の模試を受けようと思うんですが、その時の偏差値の目標は一応・・・

英語70

国語 現代文70 古文60 漢文60

数学ⅠAⅡB50

日本史50

世界史60

生物基礎地学基礎55

総合 60超えたい(ゆるい)

英語はクソつまらん引っ掛け文法問題を落とさないようにしたい。読解は時間配分に気をつけてコンスタントに満点取りたい。リスニングはわかんないけどとりあえず満点取りたい(不穏)。英語で落とすとイライラするので頑張りたいです。

センターレベルの現代文もコンスタントに9割以上取りたい。こちらも落とすとイライr

文法と句形を入れれば得意になるであろう古文漢文をさっさと60台に乗せたい。

特にできの悪い数学(やることが膨大でつらい)、日本史(初学)、世界史(現役時使ったのにすべて飛んだ)を全体的にやって50超えたい。日本史世界史は現役生の学習進度を考慮して出題範囲が限定されてると思うけど、気にせず全範囲やる。

理科も全範囲を一周〜して、とりあえず「なんとなく正解する問題」を増やしたい。もちろん確固たる理由で答えを選べるようにならないといけないけど。

 

正直どんな結果になるか全然予想もつかないからあんまり言えることもないけど、こんな感じです。

 

 

ブログ書いてる暇あれば勉強しろとは思うけど、事始めって大事だしね!

大切にすることの部分は自分で繰り返し読むためにも書きました。手持ちのノートにも書いてあるけど、スマホで読める方が触れやすいし。

 

明日から早速予定通り進めていけるよう頑張ります。

夏、充実させるぞ〜!

 

 

 

 

P.S

毎日、割と穏やかに生きています。あと、このⅠヶ月で3kgちょっと痩せました。8月末の誕生日までにさらに5kg痩せてみせます。ダイエットに燃えています。脂肪も燃えてくれ。

インターネットの女の子

ここ4年、私が好きになった人たちは、インターネットを介して出会った人ばかりだった。

 

19歳になるまでは、好きな人がいても付き合うことはなかった。中学の頃一度周りに押されてバスケ部のキャプテンに告白してみたけど、ルーズリーフに汚い文字で書かれた返事で恋は終わった。高校の頃はインターネットで仲良くなった他校の男の子に恋をしたけど、一度オフをした途端冷たくされ、深い傷跡を残してそれも終わった(この時容姿コンプレックスが過激化した)。その後楽器が上手い先輩に一目惚れしたけど、一度デートして告白されたら冷めてしまった(主な原因はカラオケでゴールデンボンバーの『また君に番号を聞けなかった』を歌われ興醒めしてしまったから)。最初に都内の大学へ入学して間もない5月、同じ学部の男の子に縦書きの便箋に綺麗な文字で認められた恋文をもらったけど、受け入れることができなかった。ショックだった。気持ちに応えられないことがつらくて、罪悪感でいっぱいになった。今思うとあの苦しみは、自分を受け入れようとしてくれる人に心を許せない、自分を見せられない、もどかしさと悲しみがあったんだろうと思う。そんなこともあって学校に行きづらくなり、多忙な日々のストレスが溜まり、しばらくして不登校になると、大学や高校の友達とは疎遠になった。彼らに鬱で不登校になっていることはとても言えなかったし、ツイッターで苦しいと発信していても、フォローしていてツイートを見ているはずの彼らと会っても"そういう話"はタブーだと感じた。偏見を持たれるのも怖いし、気を遣わせるのも悪い。だから自然と、物理的にも気持ち的にも、離れてしまった。そうして私の交友関係は狭まり、私の内情をツイートで知っていて心配したり関心を持ったりしてくれるインターネットの人たちと遊ぶことが増えた。

 

ツイッターから恋愛に発展することは、今や普通のことだろう。私もその流れに乗っかっていた。赤裸々に綴った言葉を、対面では人に言えない素直な気持ちを、"わかって"くれているような気がする人に、簡単に心を許した。

 

私は元々バリアが固い。性別に関わらず人の前ではニコニコして社交的に振る舞っても、プライベートなことに突っ込ませることはあまりなかった。好きな音楽も好きな本も映画もテレビ番組もあまり共有したくなかったし、遊びに誘うのも、遊びに参加するのも、苦手だった。異性だと特にダメだった。小学一年生の頃に仲良しだった男の子二人に突然ハブられてからかわれて以来、男の子と話すことも、触れることも触れられることも、自分のものに触れられることすら嫌だった。女の子の友達だって"親友"みたいな人は、幼稚園で知り合い中学に上がる頃まで文通をしていた子しかいなかった。その子とももう疎遠だ。私は生涯、なかなか心を開かなくて、"よくわからない人"として見られてきたと思う。人付き合いが悪くて、一人を好む。でも第一印象は明るくて、時折謎のリーダーシップを発揮する。色んな顔や声色を使っていて、何を考えているかわからない。そう周りの人には思われていた気がする。

 

そんな性格の私が小学生の頃インターネットを始めると、水を得た魚だった。私は多分口で話すより文字にする方が得意だし楽だ。私は小学3年生の時、FC2ブログを始めた。ネットリテラシーの範囲でなんでも書けた。学校では人に言えないようなことも気が大きくなってたくさん書いた。将来の夢、大きな目標小さな目標、毎日の出来事、好きな人のこと、好きな芸術作品、自作の詩、学校や社会に対して思うこと、インターネットに対して思うこと、なんでもブログに書いた。すごく楽しかった。なんなら学校で人と話すより、考えを記事にまとめている方が楽しかった。高校生になるとツイッターに移行して、引き続き書いた。かつ、ツイッターではブログの頃より活発な"人との交流"が生まれた。ややこしくもあり、楽しくもあった。私の町は晴れているのに、タイムラインには雨が降っているとツイートしている人がいて、ワクワクした。日本中の高校生と仲良くなって、学校では共有できない音楽の知識を共有した。学校では打ち明けられない秘密や本音を共有した。私はその頃福岡にいたので、東京でセンスのいいバンドをやっている高校生や大学生の様子を見て、絶対に大学は東京に行こうと思ったりした。人生選択にさえ影響したのだ。

 

いざ大学生になると、状況は一変した。楽しい交流の場ツイッターは、地獄になった。これはすごく反省してるんだけど、心を病んで以来、同じように病んでいる人たちと相互フォローになり、触発されたように私も毒ばかり吐くようになってしまった。棘のある言葉を使っていたし、自傷跡の写真を惜しげもなくアップしたりした。それが反応を得られるものだから、多分それが快感なこともあって自傷は悪化し、どんどん悪循環に陥った。タイムラインには死にたそうな人ばかりいて、私も毎日希死念慮を垂れ流した。風の噂で自殺したらしいと聞いた人もその中にはいた。そんなツイッターの使い方をしながらも、仲良くなった人とリアルで会うことがあった。一度だけしか会わなかったり、何度か遊んだり。その人たちと旅行に行くようなこともあった。高校や大学の友達とは疎遠だったから、人との繋がりなんて、バイト先の人を除きそのツイッターの人たちくらいになっていた。

 

そんな日々を過ごしていれば、出会った人を好きになったり、好きになられたりすることもあった。

でもなんだか、私はいつも虚しかった。

 

インターネットで出会う人と、深い関係を築くのは難しい。リアルで出会う人とさえ難しいのだから、一層難しい。私たちが日々挨拶をできる場所はTwitterやLINE、FacebookInstagramSkypeそんなコミュニケーションアプリケーションだけ。私はほとんどの人の電話番号も、住所も知らない。共通の友人もいない人ばかりだから、アプリにおいてアカウントを消せば、またはブロックすれば、連絡は取れなくなる。近所のスーパーで偶然出会うことも、学校ですれ違うことも、ない。もちろんその距離感はインターネットで繋がる利点の一つだ。でも、恋愛となるとどうだろう。簡単に連絡手段は途絶えてしまうし、そのアプリケーション内には同じ"インターネットの人"は数多いるわけだから、自分の代わりの人間なんていくらでもいる気がしてしまう。

 

私はインターネットの人と恋をしても、自分はいつも、ただの"インターネットの女の子"だと感じてきた。いつになっても、大好きな人にとって私は"インターネットコンテンツ"なんだと。19歳、大学を休学していた頃、とても好きだった人と初めて会った時、実際に聞いてしまったことがある。会いたくて会いたくて堪らなかった人にやっと会えたというのに、「私はただのコンテンツなんでしょ?」だなんて泣きながら聞いてしまった。案の定困らせてしまったし、「そうは思ってないけど、正直そうかもしれない、わからない」と言われてしまった。当時はすごく傷ついた。インターネットコンテンツではなくて、一人の生身の人間として扱ってほしかった。でも無理もないよねと今なら思う。

 

それ以降も何人かと関係を持ったけど、ずっとその感覚は抜けなかった。インターネットを介して恋愛をするのに慣れていない人が相手だと、尚更つらかった。「インターネットの女の子とデートするなんて」とか言っていた人と恋をすると、終わるたびに「私は彼にとってただの黒歴史にしかなれなかった」と思った。その経験のせいで、今までのインターネットを介しての恋愛の全てが、相手にとっては隠したい、消したい、黒歴史なのではないかと疑心暗鬼になった。私はインターネットコンテンツなんだ。会ってみると面白くて楽しくてエキサイティングな経験になる。でもいざ付き合うとなると、うーん。私は生身の人間として愛してもらえないんだと思った。もちろん私の性格が良くないとか、不安定で付き合いづらいとか、そういう理由が一番大きいんだろうけど、ただ私は、"インターネットの女の子"から"恋人"に昇格したかった。

 

私は他人を"友達"にどうやって昇格させたらいいのかわからない。インターネットの人がどこから"友達"なのか判断するのは難しい。だから、"インターネットの人"と思っていた人が私のことを"友達"と称しているのを見聞きすると「あ、そうなんだ」と驚いたりする。そういう考え方のせいで、自身のことも相手にとってただの"インターネットの人"もして自認してしまっているだけで、相手にとって私はちゃんと生身の女の子だったのかもしれない。だけど、ブロック一つで連絡手段を完全に切断できて赤の他人になってしまえるような不安定な関係性の中で、やっぱり私は簡単に相手との繋がりが確かなものだと実感できない。

 

私が恋をした各人と、もっと会って、もっと理解し合いたかった。私たちを繋げるものがインターネットだけじゃ嫌だった。体だけでも嫌だった。もっと、心で繋がっていると感じたかった。"お付き合い"の契約なんていらないと思っていた時期もあった。でも私には必要だと気づいた。生身の人間として、友達に紹介できる恋人として、相手の一番になりたかったし、なれなかった。

 

私はもう"インターネットの女の子"をやめたい。

Twitterマッチングアプリなんかで人と出会ってどうこうするのにもう疲れてしまった。かと言って、相席屋に行ったり合コンをしたり、ナンパされに行ったりするほど、人肌に飢えているわけでもない。か細い人脈を駆使して大学や高校の知り合いだった人たちを漁るみたいなのも面倒臭い。予備校にいる人たちと話すつもりもない。この4年間、短期バイトみたいな恋愛ばかりしてしまった。同級生たちがサークルの先輩やバイト先の友達と物語みたいな恋愛をしている間に。次恋をするとしたら、それはどんなものなんだろうと想像する。今度はちゃんと恋人になりたい。社会ステータスが落ち着いていてほしい。精神的にも安定しててほしい。相手はどんな人だろう。前の彼より素敵な人がこの世にいるんだろうか。いないかな、いやきっといる。色んなことを思う。今が悲しくても、未来はいつも眩しい。

 

 

 

私は人付き合いが下手だ。異性とも、同性とも。子供の頃から、孤独感が強い方だったと思う。インターネットに溢れる孤独な人間たち同士が仲良くなれたら解決するのかと言われると、そうでもないから難しい。この記事を読んで共感する部分がある人もいるかと思う。そんな人たちにも私にも、素敵な出会いと、深い絆を得る感覚が、いつかはやってきますように。

 

おわり