The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

インターネットの女の子

ここ4年、私が好きになった人たちは、インターネットを介して出会った人ばかりだった。

 

19歳になるまでは、好きな人がいても付き合うことはなかった。中学の頃一度周りに押されてバスケ部のキャプテンに告白してみたけど、ルーズリーフに汚い文字で書かれた返事で恋は終わった。高校の頃はインターネットで仲良くなった他校の男の子に恋をしたけど、一度オフをした途端冷たくされ、深い傷跡を残してそれも終わった(この時容姿コンプレックスが過激化した)。その後楽器が上手い先輩に一目惚れしたけど、一度デートして告白されたら冷めてしまった(主な原因はカラオケでゴールデンボンバーの『また君に番号を聞けなかった』を歌われ興醒めしてしまったから)。最初に都内の大学へ入学して間もない5月、同じ学部の男の子に縦書きの便箋に綺麗な文字で認められた恋文をもらったけど、受け入れることができなかった。ショックだった。気持ちに応えられないことがつらくて、罪悪感でいっぱいになった。今思うとあの苦しみは、自分を受け入れようとしてくれる人に心を許せない、自分を見せられない、もどかしさと悲しみがあったんだろうと思う。そんなこともあって学校に行きづらくなり、多忙な日々のストレスが溜まり、しばらくして不登校になると、大学や高校の友達とは疎遠になった。彼らに鬱で不登校になっていることはとても言えなかったし、ツイッターで苦しいと発信していても、フォローしていてツイートを見ているはずの彼らと会っても"そういう話"はタブーだと感じた。偏見を持たれるのも怖いし、気を遣わせるのも悪い。だから自然と、物理的にも気持ち的にも、離れてしまった。そうして私の交友関係は狭まり、私の内情をツイートで知っていて心配したり関心を持ったりしてくれるインターネットの人たちと遊ぶことが増えた。

 

ツイッターから恋愛に発展することは、今や普通のことだろう。私もその流れに乗っかっていた。赤裸々に綴った言葉を、対面では人に言えない素直な気持ちを、"わかって"くれているような気がする人に、簡単に心を許した。

 

私は元々バリアが固い。性別に関わらず人の前ではニコニコして社交的に振る舞っても、プライベートなことに突っ込ませることはあまりなかった。好きな音楽も好きな本も映画もテレビ番組もあまり共有したくなかったし、遊びに誘うのも、遊びに参加するのも、苦手だった。異性だと特にダメだった。小学一年生の頃に仲良しだった男の子二人に突然ハブられてからかわれて以来、男の子と話すことも、触れることも触れられることも、自分のものに触れられることすら嫌だった。女の子の友達だって"親友"みたいな人は、幼稚園で知り合い中学に上がる頃まで文通をしていた子しかいなかった。その子とももう疎遠だ。私は生涯、なかなか心を開かなくて、"よくわからない人"として見られてきたと思う。人付き合いが悪くて、一人を好む。でも第一印象は明るくて、時折謎のリーダーシップを発揮する。色んな顔や声色を使っていて、何を考えているかわからない。そう周りの人には思われていた気がする。

 

そんな性格の私が小学生の頃インターネットを始めると、水を得た魚だった。私は多分口で話すより文字にする方が得意だし楽だ。私は小学3年生の時、FC2ブログを始めた。ネットリテラシーの範囲でなんでも書けた。学校では人に言えないようなことも気が大きくなってたくさん書いた。将来の夢、大きな目標小さな目標、毎日の出来事、好きな人のこと、好きな芸術作品、自作の詩、学校や社会に対して思うこと、インターネットに対して思うこと、なんでもブログに書いた。すごく楽しかった。なんなら学校で人と話すより、考えを記事にまとめている方が楽しかった。高校生になるとツイッターに移行して、引き続き書いた。かつ、ツイッターではブログの頃より活発な"人との交流"が生まれた。ややこしくもあり、楽しくもあった。私の町は晴れているのに、タイムラインには雨が降っているとツイートしている人がいて、ワクワクした。日本中の高校生と仲良くなって、学校では共有できない音楽の知識を共有した。学校では打ち明けられない秘密や本音を共有した。私はその頃福岡にいたので、東京でセンスのいいバンドをやっている高校生や大学生の様子を見て、絶対に大学は東京に行こうと思ったりした。人生選択にさえ影響したのだ。

 

いざ大学生になると、状況は一変した。楽しい交流の場ツイッターは、地獄になった。これはすごく反省してるんだけど、心を病んで以来、同じように病んでいる人たちと相互フォローになり、触発されたように私も毒ばかり吐くようになってしまった。棘のある言葉を使っていたし、自傷跡の写真を惜しげもなくアップしたりした。それが反応を得られるものだから、多分それが快感なこともあって自傷は悪化し、どんどん悪循環に陥った。タイムラインには死にたそうな人ばかりいて、私も毎日希死念慮を垂れ流した。風の噂で自殺したらしいと聞いた人もその中にはいた。そんなツイッターの使い方をしながらも、仲良くなった人とリアルで会うことがあった。一度だけしか会わなかったり、何度か遊んだり。その人たちと旅行に行くようなこともあった。高校や大学の友達とは疎遠だったから、人との繋がりなんて、バイト先の人を除きそのツイッターの人たちくらいになっていた。

 

そんな日々を過ごしていれば、出会った人を好きになったり、好きになられたりすることもあった。

でもなんだか、私はいつも虚しかった。

 

インターネットで出会う人と、深い関係を築くのは難しい。リアルで出会う人とさえ難しいのだから、一層難しい。私たちが日々挨拶をできる場所はTwitterやLINE、FacebookInstagramSkypeそんなコミュニケーションアプリケーションだけ。私はほとんどの人の電話番号も、住所も知らない。共通の友人もいない人ばかりだから、アプリにおいてアカウントを消せば、またはブロックすれば、連絡は取れなくなる。近所のスーパーで偶然出会うことも、学校ですれ違うことも、ない。もちろんその距離感はインターネットで繋がる利点の一つだ。でも、恋愛となるとどうだろう。簡単に連絡手段は途絶えてしまうし、そのアプリケーション内には同じ"インターネットの人"は数多いるわけだから、自分の代わりの人間なんていくらでもいる気がしてしまう。

 

私はインターネットの人と恋をしても、自分はいつも、ただの"インターネットの女の子"だと感じてきた。いつになっても、大好きな人にとって私は"インターネットコンテンツ"なんだと。19歳、大学を休学していた頃、とても好きだった人と初めて会った時、実際に聞いてしまったことがある。会いたくて会いたくて堪らなかった人にやっと会えたというのに、「私はただのコンテンツなんでしょ?」だなんて泣きながら聞いてしまった。案の定困らせてしまったし、「そうは思ってないけど、正直そうかもしれない、わからない」と言われてしまった。当時はすごく傷ついた。インターネットコンテンツではなくて、一人の生身の人間として扱ってほしかった。でも無理もないよねと今なら思う。

 

それ以降も何人かと関係を持ったけど、ずっとその感覚は抜けなかった。インターネットを介して恋愛をするのに慣れていない人が相手だと、尚更つらかった。「インターネットの女の子とデートするなんて」とか言っていた人と恋をすると、終わるたびに「私は彼にとってただの黒歴史にしかなれなかった」と思った。その経験のせいで、今までのインターネットを介しての恋愛の全てが、相手にとっては隠したい、消したい、黒歴史なのではないかと疑心暗鬼になった。私はインターネットコンテンツなんだ。会ってみると面白くて楽しくてエキサイティングな経験になる。でもいざ付き合うとなると、うーん。私は生身の人間として愛してもらえないんだと思った。もちろん私の性格が良くないとか、不安定で付き合いづらいとか、そういう理由が一番大きいんだろうけど、ただ私は、"インターネットの女の子"から"恋人"に昇格したかった。

 

私は他人を"友達"にどうやって昇格させたらいいのかわからない。インターネットの人がどこから"友達"なのか判断するのは難しい。だから、"インターネットの人"と思っていた人が私のことを"友達"と称しているのを見聞きすると「あ、そうなんだ」と驚いたりする。そういう考え方のせいで、自身のことも相手にとってただの"インターネットの人"もして自認してしまっているだけで、相手にとって私はちゃんと生身の女の子だったのかもしれない。だけど、ブロック一つで連絡手段を完全に切断できて赤の他人になってしまえるような不安定な関係性の中で、やっぱり私は簡単に相手との繋がりが確かなものだと実感できない。

 

私が恋をした各人と、もっと会って、もっと理解し合いたかった。私たちを繋げるものがインターネットだけじゃ嫌だった。体だけでも嫌だった。もっと、心で繋がっていると感じたかった。"お付き合い"の契約なんていらないと思っていた時期もあった。でも私には必要だと気づいた。生身の人間として、友達に紹介できる恋人として、相手の一番になりたかったし、なれなかった。

 

私はもう"インターネットの女の子"をやめたい。

Twitterマッチングアプリなんかで人と出会ってどうこうするのにもう疲れてしまった。かと言って、相席屋に行ったり合コンをしたり、ナンパされに行ったりするほど、人肌に飢えているわけでもない。か細い人脈を駆使して大学や高校の知り合いだった人たちを漁るみたいなのも面倒臭い。予備校にいる人たちと話すつもりもない。この4年間、短期バイトみたいな恋愛ばかりしてしまった。同級生たちがサークルの先輩やバイト先の友達と物語みたいな恋愛をしている間に。次恋をするとしたら、それはどんなものなんだろうと想像する。今度はちゃんと恋人になりたい。社会ステータスが落ち着いていてほしい。精神的にも安定しててほしい。相手はどんな人だろう。前の彼より素敵な人がこの世にいるんだろうか。いないかな、いやきっといる。色んなことを思う。今が悲しくても、未来はいつも眩しい。

 

 

 

私は人付き合いが下手だ。異性とも、同性とも。子供の頃から、孤独感が強い方だったと思う。インターネットに溢れる孤独な人間たち同士が仲良くなれたら解決するのかと言われると、そうでもないから難しい。この記事を読んで共感する部分がある人もいるかと思う。そんな人たちにも私にも、素敵な出会いと、深い絆を得る感覚が、いつかはやってきますように。

 

おわり

完璧主義者の予備校通い

私は四谷学院の国公立文系コースに籍を置いてます。

 

四谷の授業は科目ごとにレベル別のものを受けられるので助かってます。例えば数学は一番下のクラスだし、英語現代文は一番上のクラスだし、それ以外は普通クラスという感じで。55段階システムというのも気に入ってます。各科目に55段階用のテキストがあり、内容が細分化されていて各小テーマに級が割り振られており、最低級から学習を始めます。指定された授業(55英55数とかいう名前のコマ)の時間に55段階会場へ行って、勉強した級の内容の小テストを受けて、先生に提出して、採点してもらって、合格したら台帳にハンコがもらえます。完全に自分のペースでできるから精神的負担が軽いし、小テスト楽しいし、先生たちに質問しやすくて良いし、ハンコがもらえるのが嬉しいです。

 

河合と違い"チューター"ではなく"担任"という人がいるんですが、私の担当者さんはテキパキしていて信頼できる人です。最初に私が通えなくなった時、初回面談のためになんとか出向いたんですが、「なんて言われるのかな...いやだな怖いな...」と思っていた面談に臨んだところ、予想外にも「今日来れてよかったじゃん!えらいよ!」と褒めてくれて、とてもホッとしました。協力的だけど、内情に干渉をしたり精神論を説いたりしてくる感じではないし、だからと言って業務的すぎる冷たい態度でもないし、ちょうどいいスタンスでいてくれるので、とても感謝してます。その後も何日か休んで久々に顔を出したりすると受付で「おっ!来れたね!」と言ってくれるし、「は、はい、来れました・・・」とバツの悪そうな気持ち悪い笑顔で返答しながら(いい人・・・)と思っています。

 

以前一瞬通っていた福岡の河合より校舎の規模が小さく施設が狭いからか、校舎内にいてもあんまり人が怖いなと思うことがありません。福岡の河合は割と規模が大きくて、エントランス付近になんかチャラついた男の子たちとかが群れていたりしたし、校舎内のどこにいても誰か人間がいて、やたら人の視線が気になってストレスが強すぎて不登校になったんですが、今の校舎ではそういうことがなくて楽です。生徒が全体的に少ないし、群れてる人たちも少ない感じがします。みんなかなり年下だしなんと思われようがどうでもいいと思えてるってのもあります。それに何より、"コンタクトではなく眼鏡にする"という素晴らしい情報遮断手段を身につけて以来授業外では裸眼のため、人の視線が怖いということは減りました。

 

通学には乗り換え1回挟んでトータル50分くらいかかるので、まあちょっと遠くて面倒だけど、そんなにストレスではないです。裸眼だから人の顔も看板の文字も見えないし、ノイズキャンセリングイヤホンをしてるので音で疲れることも減らせてます。人と対面で話した後とごちゃごちゃした街で過ごした後は同じようなドッとくる疲れがあるし、多分情報が多くて頭がパンクしてるんだと思うので、一応こういう対策をしてます。もしかして一助になれば、とやってみてるけど、実際かなりストレス軽減されてる感じがしてます。

 

こんな感じで、環境はとても整ってます。今住んでる街のこともすごく好きで、遠出すると「ああ、あの街に帰りたい」と思うほどです。お部屋も、広くて明るくて、とっても住み心地がいいです。帰ったら大好きラブな愛鳥と、優しくて頼れる兄がいて、安心できます。

 

応援してくれる人、期待してくれる人、相談に乗ってくれる人、見守ってくれてる人、そんな優しい人たちとも繋がっているし、私は幸せ者だなと思います。

 

本当にあとは、私自身が頑張るだけなんだなって思います。

言い訳をするつもりはないけど、まだ、相変わらず、気持ちも体調も不安定です。大学入試をクリアして大学生活を完遂してみせるぞというコアにある意志は揺らがないけど、ああやっぱり私は学校が向いてないかも、と思ったり、他の悲しいことや不安なことで頭がいっぱいになったりして、勉強が手につかなくなる時がたくさんあります。自分に厳しくしたい気持ちと、厳しくしすぎてもっと憂鬱になっては逆効果だという考えが葛藤を起こしたりします。バランスが難しくて混乱するなあと思いながらも、予備校に入学してから約3ヶ月、何だかんだ自分に甘く...ではなく優しく、やってきたと思います。正直かなり通えてないです。合計3週間分くらいしか授業受けられてないんじゃないかな。学費のことを考えるとやっぱり申し訳ないです。自分で"行く!頑張る!大学に通うための訓練としても、カリキュラムに乗っかってやっていく!"と決めたので、休んでしまうたびに気が重くなります。だけど、「辞めないこと」を第一に考えて、通えなくなるたびに精神科医臨床心理士さんや信頼できる友人に相談して、自己カウンセリングノートと向き合って、なんとか復帰してきました。これは成長だなと思います。私は極度に完璧主義なので、遅刻すること、月曜に休んだのに火曜から行くこと、一度授業を休んだ授業に途中から出席すること、などが本当に重い負担です。もう自分ではコントロールできないほどつらくて、許せません。その極端な思考が、今まで大学中退に繋がってきたんだと、乗り越えようとしている過程でわかってきました。その壁を、この3ヶ月、何度も打ち破ってきたんです。一度行けなくなってもまた授業に出たし、遅刻して3限目から授業に出たりもしました。当たり前のことだけど、私にとってはめちゃくちゃつらかったです。復帰のために精神科に行って、寝る前に抗不安薬を飲んで、気持ちをノートに書いて頭を整理して、早めにベッドに行きました。眠る数時間前にはライトを暗めにして、ハーブティーを飲みました。ただ毎日学校に通うためだけに、私はなんでこんな努力をしているんだと馬鹿らしくなるし、福岡でフリーターならできたわけだしもう帰ろうか、諦めようか、と思うこともあります。これからもあると思います。でも、とりあえずなんとかまだ辞めずに済んでいます。これからも、辞めずにいたいと思っています。

 

6月時点でまだ予備校の学習リズムが身についてないというのは、浪人生としてはクズだと思います。でも私は、自分のペースで、優しく厳しく、やっていこうと思います。不安障害だから仕方ない〜とやたら言い訳をして現実逃避をするのは、私が一番苦しい思いをするので嫌です。でもやっぱり18や19の元気な浪人生たちに比べたら状態が不安定なことは明らかだし、彼ら基準で物事を考えず、自分との戦いに集中しようと思います。

 

環境はバッチリです。やる気も十分あります。だから、あとは私が日々の不安や憂鬱に負けず、毎日努力を積み重ねるだけです。心が揺らいでも焦らず、深呼吸して、リラックスして、現状把握、それから解決策を練って、実行します。混乱に陥って自分の手に負えない時には、人を頼ります。リラックスも人に頼ることも昔はできなくて、抱え込んで沈み込んで足掻くことしかできなかったけど、今ならできます。なぜなら私は成長しているから!状況は、本当に少しずつだけど、よくなっています。この調子でいけば、未来は明るいです。いや、この調子でいけずまた人生が大崩落したとしても、私はきっとまた命にすがりついて乗り越えられるだろうし、どっちにしろ未来は明るいです。そう信じて、明日からもまた生きます。

 

 

6月で1学期は終わり。7月8月は夏期講習、9月から2学期スタートです。9月は模試も受けます。1学期思うように授業を受けられず学習進捗もダメだったので、夏で基礎をやりまくって取り返して、2学期からまた心機一転、授業に参加しようと計画しています。夏期講習は4つしか取らないけど、55段階のコマのパックを申し込んだので、何だかんだ毎日授業が入るといいなと思っています。なるべく毎日通って、通学リズムも身につけたいので。うんうん。計画はいい感じです。ズタボロだった1学期に関して後悔と自責まみれではないし、でも反省もしてるし、これからに生かそうと思えていて、とても前向きです。よーし、頑張ります。見守っててください。ありがとうございました。

 

おわり

鉄道車両と正しい街

高校3年生の秋、ギターを背負って、唐津線のキハ125とキハ47の連結車に乗りに行った。可愛いハコに乗って、あてもなく降りて、適当なところで曲を作ろうと思っていた。その日はいい日和だったけど、少し寒かった。

 

唐津駅に到着して、無事お目当ての連結車に乗れたので、ボイスレコーダーに走行音を録音した。ホクホクだった。なんていいエンジン音!ディーゼルエンジンってこんなに違うんだ!この揺れ!愛しい(涙)!車内のデザインも古くて良い!これがセミクロスシート(涙)!ところどころ使われているフォントもなにこれ超カワイイ!憧れの二両編成!どこまでも連れて行って!でも塗装は水戸岡鋭治であることだなあ!まあいいか!と思いながら乗った。最高だった。乗る時はすごく緊張した。ネットで拾った写真をガラケーの待ち受けにするほど憧れていた車両に乗るなんて、そりゃ緊張する。とても好きだった。また乗りに来ようと思った。

 

短いトリップを堪能したあと、どこかで適当に降りて、公園を探した。結構歩いてやっと公園を見つけたので、ベンチに腰をおろして、ギターを弾いた。YUIのThank you my teensやGood-bye daysを歌っていたら、遠くで走り込みをしていた小学生くらいの野球男児たちが並んで掛け声をかけながらこちらに走ってきて、私のベンチの周りをぐるぐる走り始めて、かなり焦った。何事かと思った。でも歌うのをやめてしまったとしてどんな表情をしていいかわからないなと思い、歌い続けた。あの時の恥ずかしさと屈辱は一生忘れないと思う。

 

野球男児たちが飽きて消えてくれた後、ホッとして曲作りに着手した。とっても気持ちがいい場所だった。開けた川沿いの公園で、風が心地よかった。夕暮れ時になると人が減り、私だけの場所になった。一人で遠くまで来た達成感と、少し家が恋しい寂しさと、ずっとここにいたい気持ちと、音楽への強い愛情、色んなものが渦巻いて、胸がいっぱいだった。細かいことは覚えてないけど、あの時の体感温度や、夕陽でオレンジ色に染まった鉄橋や、すれ違った中学生のジャージ姿や、キラキラひかる川の水面は、今でも大切な思い出だ。長居したかったけど、ご飯までには帰らないとお母さんに心配されると思い、陽が沈む前に駅へ向かった。

 

その時作った曲を、高校生最後のソロライブでやった。そのライブでは、高校一年生の時に作った曲もやった。聞いてくれてた他校の女の子が泣いてたのを思い出す。涙にも値しないようなつまらない経験を歌った曲なんですが。ツイッターで知り合った男子校の男の子とメールや電話をするようになって、いざ会ってみたら突然態度を変えられて付き合ってもらえなかったことがあって、その時の憂鬱を書いた。私は今も昔も「付き合ってもらえなくて」泣いてばかりの恋愛、いや、恋愛とも呼べないような空虚な人間関係に、心と体を削っているように思う。その時に容姿コンプレックスに拍車がかかり、今や自分の容姿のことを考えると強迫的な観念に襲われるのですが、まあ、過去のことなので、寛容な私は、許しません。あとは鬼束ちひろの『私とワルツを』と、Birdyの『Skinny Love』をやった気がする。アジカンの『海岸通り』もやったかな?私の中高時代を詰め込んだ。それを最後に、福岡での音楽生活は終わりにしようと思った。椎名林檎の『正しい街』を、椎名林檎が高校時代に使っていたというライブハウス「JAJA」(閉業)で演奏したことがあるけど、私は福岡に悔いを残したり、将来、ああ、私はあの街にいるべきだったのかもしれない、と思ったり、そんなのは絶対に嫌だと思っていた。私の居場所は絶対に福岡じゃないって、そう思っていた。

 

私の居場所は福岡じゃない。

中学生の頃から思っていたことだ。こんなところに収まる器じゃないと思っていた。周りのやつらはバカで、センスが悪くて、サイテーだと思っていた。こんな場所にいたら、腐ってしまうと。でもどうだろう。今、東京とイギリスでの生活を経て、さて、はて、私の居場所はどこなのか、全くわからなくなってしまった。居場所なんて、この世にないんじゃないかと思う。正しいと思える街なんてない。どこへ逃げても逃げても、私は居場所を感じることなんてない。私は求めることしかできない。収まることも、受け入れることも、妥協することも、諦めることも、できない。不満ばかり募って、周りにも自分にも満足することができない。あまりにこの世に居場所がないと感じるが故に、心が体にさえも収まりきれずに、視界が平らな絵になる。何もかも間違っていると感じる。家族が家族であることも、友人が私を心配してくれることも、私に優しくしてくれる人がいることも、大好きな人がキスしてくれることも、私が生きていることも、当然のように明日が来ることも、全部間違っている気がして来る。正しいことなんてない。況してや、正しい街なんてない。帰る場所も、行く場所もない。少なくとも今は。

元気なフリしかできない人

精神科・心療内科に行って診察を受けても、元気なフリをしてしまう。本当は死にたいのに、何もかも諦めたいのに、死ねないから生きてるだけなのに、そういうことは言えない。カウンセラーにさえ本音で話すのが難しく感じて、やっと素直に話せたと思ったら涙が止まらなくなって、何から話せばいいのかわからなくて混乱する。

 

そういう経験がある人は結構多いと思う。どうして人前だと元気なフリをしまうんだろう。明るい人だとか、友達が多そうとか、そういう虚しい評価を得てばかりいる。なぜか人といると話を合わせることができる。相手を笑わせることができる。でも本当は全然明るくなんてない。友達なんて体感的には全然いない。帰って一人になったら何かしらのことで悲しくなる。理解者がいないと思えて孤独に感じる。でも自分の中の前向きで頑張り屋さんな人格が憂鬱や体調不良に対処しようとする。本やネットで集めた知識をフル活用して、なけなしの希望を高く高く掲げて、なんとかしようともがく。

 

ずっと私は自分の同調性の高さに悩んできた。みんな色んな顔を持っているものだけど、私はそれぞれの顔が同一人物のものだと感じてこなかった。昨日、アダルトチルドレンについて少し調べていたら、これは使えるかも、と思った。インナーチャイルドという概念を知った。今まで自分は機能不全家庭で育ってないから絶対にACではないと思い込んで、もしくは自己暗示をかけていて、深く調べることをしなかったので知らなかった。(参考: https://sorakumo.jp/report/archives/8 )

私のインナーチャイルドはヒーロー型で、親や親戚や地域の人から、直接的にではないけれどかけられていた期待を感じ取って、頑張らないといけない、期待に応えないといけない、と思い続けて頑張ってきたのかもしれない。そして、その形成された私の一部分が、今現在その期待に応えられない情けない自分を責めがちだとしたら、結構腑に落ちる。私は明らかな機能不全家庭では育っていないのに、ひどく自己批判的だし、なぜか自己肯定感が低い。何かおかしいなと思ってる。今思うと最初に抑うつになった時は、大学をサボっていることで親に申し訳なくて仕方なくて負担になっていた。随分それに関しては克服して罪悪感はマシになったけど、未だに私はダメな人間だと思う時には、親不孝だから、と考えてしまう。

 

元気なフリをしてしまう癖は、ここに依るのかなあと思ったりする。"良い子でいること"に慣れすぎているのかもしれない。だから本当につらい時も人に頼ることができなかったし(現在は結構頼れるようになった!各位へ感謝)、人格が切り替わるような感覚に違和感があるのかもしれない。もし一人でいる時がインナーチャイルドが前面に出てきている時で、それが傷ついたままなのだとしたら、この一人でいる時の自分を変えれば、もっと楽になるんじゃないかなと思う。人と接している時の自分ではなくて、一人でいる時の自分が、もっとリラックスしていて、自分に優しい自分になれれば、元気な自分とのギャップに悩むことはなくなるんじゃないか。

 

どうやって一人でいる時の自分を変えるかは難しい問題だから、これから色々試していくしかないと思う。ただ、いつも良い子でいなくていいことや、嫌なことは嫌とちゃんと言っていいってことや、弱音を吐いても案外受け入れてくれる人はいるということを、今より深いところで理解できたらなと思う。

 

このギャップがあるせいで人に心を開ききれず友人関係の維持ができないのがかなり大きいので、改善しないとマズいかもなあと思う。ニートやフリーターや予備校生をしていると人間関係で困ることは少ないけど、きっと学校のコミュニティや会社の組織で立ち回ろうとした時、支障が出る可能性が高いから。実際にそのせいで大学で友達ができなくて、困った時誰にも頼れず状況を悪化させた経験もあるし。

 

一人でいる時ももう少し元気でいられるように、人といる時の自分と一人でいる時の自分のギャップのせいで人と距離を感じすぎてしまわないように、努力していこうかなあと思う。

 

 

ちなみに、こうやってインナーチャイルドという概念やアダルトチルドレンというカテゴリを利用しようとしているけど、こうやって自分をカテゴライズしてあらゆる欠点の言い訳にしたいわけじゃない。物忘れが多いことやスケジュール管理が苦手なことや先延ばしグセがあることを発達のせいにして、何でもかんでも許して欲しいわけじゃない、人に迷惑をかけたいわけじゃない。HSPで繊細だから優しくしろと言いたいわけじゃない。醜形恐怖症っぽいから見た目を褒めて欲しいわけじゃない。ただ私は体調を崩さず、毎日泣くことなく、自分を傷つけることなく、ただ普通に普通に学校に通って、好きな勉強をしてから働きたい。そのためには体調不良や精神的苦痛に至るメカニズムを知って対処方法を自分で探すしかない。そのためには類似した症状を示す疾患名なんかは良い指標になるし、その治療法や対処法を参考にして自分の生活に取り入れて様子を見るしかない。身体的不調と精神的不調は連携してるしあらゆる要因があってそれらは起きるものだから、よほど重症でない限り診断名をつけるのは無理。簡単に病名をつけて薬をたくさん処方する医者は良くないと思う。だからこそ幅広く知識を入れて、自分に必要なものを厳選して、対処・改善していくしかないなと思ってる。勿論素人には限界があるし、自分は◯◯病に違いない!と決めつけるのはよくないと思う。そう思い込むと、心と体はその症状に寄っていく気がするし、間違った対処法で逆に悪化させたり、悪い商売に引っかかる可能性なんかもある。だけど、状況把握、分析、分類、対処、というプロセスで自分なりの解決策を探すことを間違ってるとは一切思わないし、これからも程度を弁えながら続けると思う。だってそうしないと、きっと状態は悪化するし、誰より私自身が苦しむことになるから。今までだって、その努力をしなかったら今よりもっとひどい状況だったと思う。

 

自称うつ病とか自称発達障害とかメンヘラとかを、馬鹿にしたり、批判したりする人たちがいるけど、そう自称する人たちは完全には診断基準を満たさないとしても多くの症状に苦しんでいて、自称に至るまでに自己分析をして努力したケースが大半なわけで、そんな人を見下すような人たちの存在は不快に感じる。中には病名を盾に自分を甘やかしている人もいるかも知れないけど、その人たちになぜ強く当たる必要があるのかわからない。他人にそんなに干渉したがることが理解できない。だらだらしているように見えて羨ましいなら自分もだらだらすればいい。仕事なんて、学校なんて、辞めればいい。そんな簡単に辞められないに決まってるだろなんて言い訳は通らない。大半のダラダラしているように見える人は、"辞めざるを得ない"状況まで追い込まれた人だから。羨ましいなら、同じくらい心身を追い込まれればいい。そこの差を知らず勝手に妬んでいるだけではないかと思えるような発言を見るとすごく腹が立つ。実際に私も人にそんなことを言われたし、その時は単純に傷ついた。でも今思えば許せないなと思う。同じ目に遭えばいいのにとも思う。言わないけど。人が悲しそう、苦しそうだったら、相手がどんな甘え野郎でも、死ぬほど性格が悪くても、自分に多大なる被害を及ぼすような相手でない限り、なるべく優しく接するものだと認識してるので、その認知に反することが起きるとすごく戸惑ってしまう。

 

精神疾患発達障害の診断がついている人も、ついていないけど同じような症状で困っている人も、みんな一緒に自分のことを大切にして幸せになっていきたいですね。私は、私に刃物を何度も何度も刺してこない限り、つらそうな人たちの味方でありたいです。リアルの人に話せないことでも、何でも相談してください。私も自分にもっと優しくなれるように努めます。

 

おわり

理想の30代女性像

私には割と明確な理想の30代の女性像があります。美容室へ向かっている途中なのですが、書きたくなったので書きます。女性の慣習に則って生きてきた私の人格で書きます。

 

容姿面

まず、肌と髪が綺麗で体型がだらしなくない。

10代20代の間に色んなファッション系統やブランドに手を出した結果落ち着いたゴテゴテしていない服装。

細部まで清潔でこだわりが感じられる。

全体的にはカジュアルだけど、そこはかとなく個性が盛り込まれている小物や服のディテール。「過去こんなブランド使ってたの?」「元青文字系なの?」みたいな。過去を匂わせている。

シンプルな服でも質がいい生地、もしくは少し遊び心のあるものを着ている。

場面によって服や小物、ヘアスタイル、メイク、香水を使い分けることができて、変化がある。

大事なのは「細部にまでその人のこだわりが見えている」ことと「楽そうな格好ではあるけど"適当"ではない」こと。

メイク道具は全部がデパコスでなくてもいいけど、リップだけはお気に入りのブランドを使っていたい。

 

ジーンズにシャツにスニーカーという楽チンな服装であっても、ジーンズは履き古してるお気に入りのリーバイスとかであって欲しいし、シャツもジルサンダー...といかずとも、形や生地の質にお気に入りポイントかあるものであってほしいし、スニーカーもそう、ABCマートで急いで買ったアディダスでもニューバランスでもなくて、スニーカーのセレクトショップて買ったものであってほしい。メイクは手抜きでもいいし高い年齢用基礎化粧品なんて使わなくてもいいから、特別なメイクや特別なスキンケアをする特別な日がいくつになってもあってほしい。何歳になっても日焼け止めを年中きちんと塗っていたい。出先で好きな人が席を外している間にサッと取り出して塗り直すリップはディオールがいい。初めて大好きになったブランドをこれからも好きでいたい。

 

精神面

時間がないからあんまり書かないけど、上記からもわかるように、大好きなものごとを大好きでいる気持ちを忘れない人になりたい。

年齢を重ねれば肌トラブルは増えるだろうし、私はお金持ちにはなれないから、思うように可愛い服が買えなかったり、美容皮膚科に通うこともできなかったり、すると思う。だけど、歳をとった、お金をかけられない、綺麗じゃない、だから自分は女としての価値がない、そんな風に思いたくない。綺麗になるには努力じゃ限界があって、お金をかければそりゃ綺麗になる。だけど、ありのままの自分、過去のお洒落や化粧の遍歴の上にある自分、を、ちゃんと好きでいたい。

女性が綺麗でいようとする行為は生物学的視点から考えるとロマンも輝きもない根拠によるものと思う。でも私はその行為の原理を超越した、まあ要は意識していない範囲で、お洒落やメイクを楽しんできたわけで、この範囲で行うそれは直接的には異性へのアピールのためのものではないということを重視したい。だから、何が言いたいかというと、自分の価値は既成の美の基準との距離、相対的な美しさでは決まらないと思うし、もし思うように美しくなれなくとも、人と比べて劣っていると感じても、「自分に価値がない」と悩むような女にはなりたくない。私はただ大好きなものを大好きでいて、自分が美しいと思うものに身を包んで、幸せに女のコスプレをしていたい。女のコスプレは強制される分にはつまらないが、楽しもうと思えば楽しいものだから、せっかくに女に生まれたんだし、楽しみたい。

 

女であることは男であることと同様大変でもあるし有利でもある。その二つ(その他の性に関しては今は置いておきます)に明確な強弱や優劣はないと思う。ただみな与えられたカードを使って、なるべく楽しく幸せに生きるしかないと思う。私は女として生きてきて、嫌だと思うことも、こんな時男なら良かったのにと思うことも多かったけど、与えられたこの性に特に文句をつける気はない。ただこのジェンダーロールを、それなりに、演じていこうと思う。全肯定的ではないけど、それなりに。

 

私の美容室はもう通い始めて5年目になるんだけど、本当にカットが上手いし、美容師さんたちも優しいし好き。表参道にあるので、正直身の丈に合わないなとは思うけど、2ヶ月に1回行く分にはすごくいい街と思うので気に入ってる。今日も可愛い髪型にしてもらいたい。

私にとっての音楽と自然

ここ数日、Hayden Calninというオーストラリアの音楽家の曲をずっと聞いている。

 


Hayden Calnin - For My Help [OFFICIAL MUSIC VIDEO]

 

私の母親は結構偏見が強い人間で、民放は教育によくない番組が多いからつけるテレビ局は基本的にNHK、クラスのみんなが持っているような漫画やゲームは基本的に買ってもらえず、音楽もロックやよくわからないうるさい音楽は小学生の私にはよしとされていなかった。

ただ穴があり、インターネットに関しては母親が無知だったのでやりたい放題だった。インターネットリテラシーは軽く教育されたので、危ないサイトを開いたりブログに悪口を書くようなことはなかったけど、とにかく情報にアクセスし放題で、なんていい時代なんだと思ってた。今思うと危なかったことといえば、アバターチャットにハマって出会ったロリコンの目が青いおじさんとメールしたりしていた。彼は私の大人びた考え方が素晴らしいと褒めてくれて、私もよく思っていた。私が大人になったら白い馬に乗って迎えに来ると言ってくれた。そんなことを子供に吹き込む大人に対して、冷めた視点を持ち合わせつつも、インターネットを使うと私の知らない世界に生きる生身の人間と繋がれるという事実に感動していた。大人になった今でも白馬の足音は聞こえないままだけど、時折彼が今頃どうしているか思い馳せることがある。

 

11歳の頃、iTunesの姉のライブラリを漁るようになった。禁断の音楽がたくさん入っていた。初めてその"悪いこと"に手を染めた時は、ほんの軽い気持ちだった。まさかこんな取り返しのつかないことになるなんて、思ってもいなかった。色んな曲を聞いてみたけど、一番気に入ったのはアジカンだった。ジャケットのイラストが可愛かったし、YouTubeで検索して見つけたループ&ループのPVの後藤正文がかっこよすぎた。(この時から私は眼鏡をかけている異性しか恋愛対象に入らなくなる。取り返しのつかないことをした。)その次に気に入ったのがビョークだった。不気味なジャケットのアルバム(Homogenic)の最後の曲、All Is Full of Loveを聞いた時、今までにない衝撃を受けた。こんな音楽がこの世にあるのかと思った。世界が変わった。英語なんてわからなかったけど、タイトルの意味だけわかれば十分だった。目に見えるもの全てに意味を感じた。聞こえる音、見えるもの、感じる温度、すべて、すべてが愛おしく感じた。音楽が意識を上昇させた。あの曲が与えてくれたフィルターを通して世界を見ると、私は一人ではなく、一部になれた。こんな風に書くとこいつスピってるのか?と思われるだろうけど、言葉で表すとすればまさにこんな感じだった。私は、ビョークの音楽に居場所を与えてもらい、孤独を癒してもらった。学校でいじめられてたわけでも、機能不全家庭に育ったわけでもないけど、どこか居場所がないと感じて自然の現象にいつも心寄せていた私が、新しい生きる世界を得た瞬間だったと思う。それ以来私は家に帰るといつも曲を漁るようになった。いわゆるNO MUSIC NO LIFEだった。音楽は私を興奮・高揚させた。奪われたり貶したりされると許せなかった。依存していた。それゆえの悪影響も色々と出た。クスリ以外の何物でもない。

 

こんな背景もあり、私にとって自然と音楽は"近い"。自然のことを闇雲に愛していた私を、音楽が一体化させてくれたから。私はその頃から、家でも学校でも詩を書いたり、ピアノで曲を作ったり、弾き語りをしたりするようになった。楽器がないときは耳を澄まし、聞こえる環境音を一つずつ拾って音源を想像、把握したのち、それら音源同士がどんなリズムで関わっているのか、どの音源とどの音源が仲間なのか、どれがベースで、どれが旋律で、あ、あれが消えた、新しい音源が入ってきた、。そんな風に遊んでいた。明確に覚えている。その頃、「私は電子楽器で自然を表現する音楽を作ろう」と心に決めた。絶対やりたいと思っていた。ブログにも書いた。

 

なんてそんなことを、Hayden Calninを聞いていて思い出した。やりたかったことは、誰かがやってくれてた。私には何ができるんだろう。

 

おわり 

第一難関

長く書くつもりはないんですが、ログに残しておきたいことがあったので書きます。

 

予備校の授業が始まって四日経った日の夜、私はよく練られた美しい学習計画表の通りに、楽しく歴史科目の復習をしようと思っていました。が、「あ、これはよくないやつだ」とはっきり自覚するひどい眠気と謎の目眩に襲われました。負けずに頑張ろうと思いましたが、抗える力が足りなかったので仕方なく寝ました。

そして翌日、まあお察しの通り、まともに目が覚めたのが昼前でした。

「うわあ!遅刻遅刻!行かなくちゃ!」と行けたらよかったんですが、昼前に目覚めたショック、授業を逃したことによって計画が崩壊したことによる混乱、体のだるさと頭痛となんとも言えない吐き気で体がフラフラで、その日は引きこもってしまいました。目を伏せたい事実なんですが、そのショックと混乱を引きずって、その次の週は一日も行けませんでした。(つらい)

 

原因は明らかでPMSのせいなんですが、正直もうこれには懲り懲りです。毎月毎月、期間や程度は月によるけど、体が鉛のように重いし眠いし各所が痛いし気持ちは落ち込むし無気力になります。今は心も体も快調なキラキラ期なので、あの時の苦しさを鮮明には思い出せなくて、歯痒いです。「あの時もう少し頑張れば行けたんじゃないか、自己管理不足なんじゃないか」なんて思ってしまうほど今は元気です。きっとPMSがない人たちは、こんな風に「わからない」から、そんなことを当事者に思ったり言ったりしてしまうんだろうなあと感じます。それに、期間外は人並みに元気なことが、余計に本当に辛い時期の姿を想像しづらくしてしまうんだろうなと思います。

でも、当時の私だって現在の私と同じでいつも通り真面目なはずだし、「面倒だからサボりたい」なんて気持ちはこれっぽっちもなかったことはわかるので、悔しいです。PMSを緩和する努力なら一通りしてきました。

 

今まで試したもの
・低用量ピル(副作用で断念)
・漢方(加味逍遙散・抑肝散)(継続)
抗うつ薬(SSRI数種類)(副作用で断念)
抗不安薬(リーゼ デパス スルピリド)(するパラダイス継続)
サプリメント(命の母 ルナベリー)(ルナベリー継続)
・カフェインと糖質を控える(継続)
・湯船に浸かってそのあとストレッチ(継続)
・ビタミンB群、マグネシウム、カルシウム、鉄分の補給(継続)

トリプトファンの摂取(セロトニンのため 継続)

ハーブティー(カモミール、チェストベリー)(時々飲む)
・アロマ(面倒臭くて続かなかった)
・ビタミンC誘導体(肌荒れ防止 継続)
・太陽光を浴びる(毎日心がけてる)
・何もかも諦めて寝る

 

ピークだった頃よりは幾分マシになっています。特に頭痛と腰痛と気持ちの落ち込みと起き上がれないほどの怠さはこれでも緩和されました!でもやっぱり朝には支障が出るし、自分でなくなるような異常な状態になります。もういい加減にしてほしいし、何もかも諦めたくもなりますが、これらの努力をやめればきっと私はまた生活できなくなるし、頑張るしかないです。

 

 

今日ログに残したいと思ったのは、ここからの話です!

今回一番大切なことは、私がこの困難を乗り越えて、また予備校に通い始めたということです!(セルフ拍手)(セルフなでなで)

 

今思うと、今まで大学に行けなくなったきっかけはいつもPMS期間から始まってきました。朝起きられなくて授業に出られないと、私は毎回ひどく混乱しました。ただでさえ頭が正常に働いてなくてセロトニンも減ってる状態なのに、「計画が崩れてしまった」「私は意志を貫けなかった」という事実がのしかかると、私はもう完全に思考がストップしてしまいました。冷静さを失うというか、とにかく頭が混乱して何もわからなくなりました。体調不良は自分のせいじゃないから自分を責める必要はないとか、計画なんて立て直せばいいしなんとかなるとか、頭でわかっていても、冷静でいられなくて、自分のことがコントロールできなくなってしまいました。

思い返してみると、中高校生の頃から遅刻が決定すると泣いて登校拒否をしたりしてたし、朝が苦手で休む日もあったし、前髪がキマらないとつらくて休んだりしてたし、なんかもう、努力不足というより脳がダメなんだなって感じます。完璧主義者で、理想が高くて、でも不器用でストレスに弱くて、典型的な心を病むタイプと思います。強さと弱さが同居しているので忙しいです。もうこれは認めざるを得ないし、受け入れて生きていくしかないです。

 

今回は、混乱を鎮めて前に進むために何か新しい知識を入れたいなと思って、クリスティーン・ネフの「セルフコンパッションーあるがままを受け入れる」を読んでみました。

 

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

 

 

 

何か変化を与えないと、スキルを得ないと、また同じことを繰り返してしまうと感じたからです。毎月自己コントロールできない状態になって劣等感や混乱に苛まれては、受験勉強への影響があまりに大きすぎます。ポジティブにとらえて、「つらかったけど、試練が早めに訪れてよかった。今回のことを先に生かそう。」と思いました。なので、勉強しなくては!という焦りは一旦置いておいて、読書に時間を費やしてみました(ツイッターに時間費やすのやめろ)。

 

読んでみた結果ですが、かなりいい感じだと思います!詳しく書く気力はないですが、完璧主義の改善に役立ちそうです。自分に優しい存在を心の内にもつこと、人と比べて苦しむのをやめること、心の状態を静観して混乱を宥めること... できるようになれば楽になれそう!と思えました。綺麗事の羅列に嫌気がさす自己啓発本と違って、心理学の研究者が書いてる本で至って理論的だから安心して読めておすすめです。

 

 

 

話が逸れたし結局長くなってしまったけど、何がログに残したかったかというと、要は、受験生生活開始早々ぶち当たった第一難関を、乗り越えました!今まで乗り越えられず失墜したこともある難関だったのに!乗り越えた!やったー!ということです。読んでいただきありがとうございました。学習計画の遂行や志望校の決定や将来のことを考えるとつらくなりますが、勉強自体は苦じゃなくてむしろ楽しいです。スイスイ進めていきたいです。これからも色んな悩みや困難にぶち当たるとは思いますが、大学受験(と卒業)は絶対諦めません。頑張ります!

 

今回はえらかった!えらい!

 

おわり