The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

二度も大学中退に至った原因を考えてみる

 今日はなぜ自分が二度の大学中退を経験することになったのかを考えて書き出してみようと思います。

 

 私は都内の私立大学とイギリスの中堅大学を1年も経たずに中退しています。直接的なきっかけとなったのは一度目が適応障害、二度目が不安障害、それらに伴う通学に対する自信の喪失、新しい環境に対する期待でした。ですが、そもそもなぜ適応障害や不安障害になってしまったのか、そこがわからないことには次回に生かすことができないので、書き出しながら整理してみようと思います。

 

 

1. 先延ばし癖

 これが一番の原因だと思っています。何でも発達障害の特性のせいにする気はないですが、正直この癖がなければ中退していませんでした。私は何もかも先延ばしをします。皿洗いも、洗濯も、お風呂も、メイク落としも、スケジュール管理も、出発も、勉強も、何もかもです。厄介なのは、好きなことや楽しみなことほど先延ばしにするところです。私は高校卒業後、大学での勉強をかなり楽しみにしていました。高校と違い「自分で選んだ学問」をやれるし選択した自分の責任が伴うのだから、自発的に頑張ろう、楽しもう!と張り切っていました。それが逆効果でした。楽しみなことを後回しにし続けるせいで与えられた課題に辿り着くのは至難のわざでした。高校までは家事をする必要がなかったし、出発でも寝る準備でも宿題でも、急かしてくれる親がいました。その人がいなくなった途端、私の生活は崩落していきました。

 

2. 完璧主義

 私は間違いなく完璧主義者です。自分の思う通りに、完璧に物事が進まないと気が済まず泣き喚く子供でした。小学校高学年の頃毎日提出する自学ノートを文字やイラストで隙間なく埋めるのが習慣だったのですが、先延ばしをして夜遅くなり母親に「もう寝なさい」と言われると泣いて拒み涙を零しながらノートを埋めていました。美術の授業では納得いくまで絵を描き続け、いつも描き終わるのは最後、時には居残りまでしていました。軽音部でバンドをやっていた時は所属させられたバンドのボーカルが下手すぎて耐えられず「ボーカルを私と代わらないなら私は部活を辞める」とわがままを言い迷惑をかけました。体育祭で女子は創作ダンスを踊るのですが、副ダンス長になった際は人が変わったようにリーダー性を発揮して制作と指導に当たりました。自学ノートも、絵画も、バンドも、ダンスも、お陰様で高く評価されました。それはいいです。完璧主義の光の部分です。問題は闇の部分です。

 まず完璧主義だと、完璧な幻影を常に求め続けているので自分の出した成果に満足することができません。認められても「もっと上手くできた」と思うか、よくても「当たり前の結果だから喜ぶことでもない」と思う程度です。そのため、大学生活を始めた段階で既に「私はいい大学に入れなかった」という、低い自己肯定感を持っていました。そこに通学や生活が不能になったことによる失望や自信喪失が加わり、ストレスが蓄積されていきました。

 また、完璧主義は物事に手をつけるハードルを上げます。「完璧に近づくにはこうでなければならない、でも失敗するかもしれない、怖い、故に手を触れられない。」とか、「もし失敗するならむしろ何もしない方がマシ。」とか、本気で心の底で思っています。結果的にやりたいことややらなければいけないことがあっても、手を出すことができなくなります。楽しみなことや頑張りたいと思うことほど完璧を求めますから、結果的に先延ばしをしてしまうわけです。

 

3. イチゼロ思考

 私はいつも極端です。イチかゼロ、白か黒、イェスかノー、はっきりしないと気持ち悪いです。曖昧なことが大嫌いです。遅刻するくらいならもう行かない。スケジュールが少し崩れたらもう何もしたくない、どうしたらいいかわからない。嫌なものは嫌だから絶対にやりたくない。こんなに人生が上手くいかないなら死んだ方がマシ。この考え方は害しかありません。まず何においても「成し遂げる」ことを妨げます。少しでもコケたり予想通りにいかないと放棄したくなるので、達成までたどり着けないのです。それに、自分のミスや欠点を許せないので自分を責めることになります。ここがダメだから私は何もかもダメ、と思うわけです。文章にすると馬鹿げてるけど、本気でそう思い込んでいたし、自分で自分の首を締め続けてきました。

 

4. 集団への適応力の低さ

 一見すると私はコミュニケーションに問題がない、むしろ得意とする人です。だけど実際は表面上の付き合いしかできず、人に心を開くのが苦手で、集団への帰属意識が持てず、結局ドロップアウトしてしまうタイプです。みんながみんな同じことをしているのを見ると気持ち悪くてやりたくなくなるし、気に食わないルールを強制されると拒否してしまうし、飲み会などの社交イベントは死ぬほど疲れるから避けるし、とにかく集団に属することが苦手です。しかも、そんな一匹狼の自分を好きでいられたらいいものの、面倒臭いことに「帰属したい、しなくてはいけない」という気持ち、理想が常にあります。だから、同調できない自分が嫌でした。でも頑張って社交イベントに出ると疲れて丸一日寝込んだりしてしまう始末でした。

 「大学に友達なんていなかったけど卒業できた」と言う人がよくいますが、私には無理でした。サークルで音楽活動がしたいという根強い理想があったし、上手く馴染めない自分が許せませんでした。イギリスの大学にいた時はソサエティやグループワークで上手く立ち回れない自分が惨めでした。基本的に他人への興味が薄くて友達が上手く作れないので、いざ困った時も助けを求められる人がいませんでした。

 これは集団への適応とは異なりますが、極度に異性が苦手だったのに出席番号が隣の男の子に入学して1ヶ月もせず告白をされて同じ授業に出るのがつらくなった、というのも授業に行けなくなった理由の一つです。告白されたなんて些細なことだけど、私にとってはひどいストレスで、とても悩んだし苦しかったことを覚えています。 

 

5. PMS

 私はPMSが重い方で、眠気・だるさ・腹痛・頭痛が高校生の頃からありました。そのせいで欠席する日も多々ありました。休むことにはあまり抵抗がなかった高校と違い、大学は「絶対に休みたくない」という理想があったので、朝起きれない日が続くとものすごいストレスを感じました。しかも、大学入学当初はまだそれがPMSの症状だという自覚が一切なかったのです。朝起きられないのは私がダメだから、意志が弱いからだと思っていました。朝起きられなくて一限に間に合わない、遅刻するくらいなら行きたくない、でもそんな自分が許せない、私はダメだ...それが全ての始まりでした。あの時の焦り、混乱、自己叱責、とにかく悲しくて苦しくてたまらない感覚は、5年経った今でも覚えています。PMSの緩和の努力は今の今まで、それなりに頑張ってきたと思います。食事、睡眠、運動、ヨガ、瞑想、サプリメントハーブティー。今は一度副作用で挫折した低用量ピルを試しています。相変わらず副作用の吐き気がひどくて1ヶ月目は寝込んだりもしましたが、吐き気どめと飲むタイミングのコツを得たのでかなり楽になりました。来月で3ヶ月目になるので、PMSの改善に期待しています。

 

 

 

 これらの私の特性や体質が組み合わさって、ストレスが積もりに積もって、気づいたら混乱地獄に陥って身動きが取れなくなった、というのが最初に抑うつ状態になった理由だと思います。そこから自傷行為が始まったりして、結局適応障害という診断名をもらい、最初の大学に休学届けを出しました。

 次の大学に入学した時は、当時の自分なりに生活能力に自信をつけたり、改善策を用意したりして万全の体制で臨んだはずでした。ですが結局上記の特性が治ることはなく、同じような流れで生活不能に陥っていき、今度は不安が異様に強い状態になってしまいました。

 「なんで大学辞めたの?」とか「なんで大学行けなくなったの?」とか聞かれることは多いですが、これだけ理由が複雑だと答えるのが難しいです。全てを説明するのは無理なので「ストレスが溜まりまくって体調を崩した」と答えたりしています。

 

 大学を辞めず休学にしておけばよかったのに、というのは、人にも言われるし、私も最近少し思うようになりました。だけど、説明したように私は上手くいかなかった環境に居座ることが気持ち悪く、新しい環境に希望を持ってしまったのです。もうこれは昔のまだ自己理解が足りなかった私の過去の選択だし、後悔しても仕方ないので考えないようにしています。

 

 

 中退に至る過程で、自己理解はかなり進みました。お陰様で今は前よりずっとストレスのない生活ができているし、よく頑張ったなと思っています。高校を卒業した以来唯一成し遂げたな、頑張ったな、と思えていることはこの精神疾患の治療と、この自己理解だと思います。周りの人達と同じ道を歩めないことに対してずっとコンプレックスや劣等感を感じていたけど、二度中退して、ニートやフリーターを経て色んな人の人生に触れてきたら、もうなんか、良い意味でそんなものどうでもよくなってきました。他人と比較したって良いことがないし、私は私の人生選択に自信を持っているし、嘆いたって過去は変わらないんだから、とにかく今できることをやるしかない、今を楽しむのが大事。極端な考え方も、プロとのカウンセリングや自己カウンセリングを経てかなり緩くなりました。何より難しかった「まあ、なんとかなるでしょ」という考え方ができるようになりました。

 

 でも、書き出したような特性はこれからも付きまといます。大変だけど、まあやっていくしかないので、力を抜いて自分を生きていこうと思います。

 

 

 同じような特性を持っていて大学生活や社会生活に支障をきたしている人たちはたくさんいると思います。大なり小なり似てる!私も苦労してる!という人が、読者の中にはいると思います。その人たちに伝えたいことは、一緒に生き抜こうね、ということです。死ぬことを考えるのは簡単で、一時的に現実から逃避させてくれます。でも死は、救いの手をなかなか差し伸べてくれません。私も事あるごとに死にたいと思ってきたし、自殺を試みたこともありました。でも途中から、死のことは考えるだけ無駄だと思うようになりました。叶わぬ夢に焦がれていても現実は一向によくなりませんし、全く楽になれません。生きるしかないんです。どうせ生きるしかないなら、楽しい方がいいに決まっています。じゃあ楽しく、ラクに生きられるように努力しよう、そう考えるようになりました。私の場合は生きること自体が苦痛で、人生に大した希望もなく、生きる理由が感じられなかったので、ずっと飼いたかった鳥を飼うことにしました。結論から言って、生きる理由を得ました。彼は私を頼ってくれるし、私は彼を幸せにできて、彼も私を幸せにしてくれます。ウィンウィンです。共依存です。みんな鳥を飼った方がいいよとは言いませんが、自分の生に希望も理由も見当たらない人たちが、何かしらを見つけられたらいいなあと思います。

 「生きていたら楽しいことはあるよ」という言葉は嫌いです。苦しいことより楽しいことの方が多い人の考え方で、馬鹿げています。だけど、「生きるしかないんだから楽しいことを増やした方がラク」なら私は納得できます。だって仕方ないじゃないですか。生きるしかなくて、死を願ってもつらいだけで、耐え難くて、それならもう何かしらの方法で自分をラクにするしか自分を救えないです。

 

 とにかく、この記事を読んだ人が少しでもラクになることを願うのみです。特に人生辛くない人はその輝きをキープして欲しいです。

 

 

 

そういえば、慶應の通信教育課程に合格しました。よかった。今年度から晴れて三度目の大学生です。勉強が楽しみです。それに関しても今後ブログを書いていこうと思います。よろしくお願いします。

 

おわり