The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

ズボンとスカート

小学校中学年まで、私はズボンしか履かない女の子だった。女の子らしい服を拒否し、キティちゃんへのヘイトをぶちまけていた。好きな色は水色。プリキュアより仮面ライダーもの、そしてそれよりハム太郎だった。(今と同じく、人間より動物が好きだった。)放課後は、男勝りな女の子たちと一緒にスマブラをしたり、男の子向けのカードゲームをしたり、キャッチボールをしたりした。小学校三年生の時の誕生日プレゼントにはグローブを買ってもらったし、四年生の時のプレゼントにはジープやハマーのような真っ黒でゴツいラジコンカーを買ってもらった。夏になるとカブトムシやクワガタを捕まえ、暇なときは川に入って魚を見たり捕まえたりした。

 

そんな私が小学校四年生の時、恋をしてしまった。あの時の感覚は、具体的には「話してみたい」「もっと知りたい」というものだったと思う。それを恋だということにした。私は、ズボンを脱ぎ捨てた。それ以来私は、まさに、メスになった。スカートしか履かなくなったし、笑うときは口に手を当てるようにしたし、座るときは足を斜めにするようにした。言葉遣いは柔らかくした。スマブラもキャッチボールもラジコンもやめた。子供ながらに「こんなんじゃ振り向いてもらえない」と悟ったんだと思う。

 

私は賢いメスだ。だから、女性になった。

パートナー獲得のために、私は女性になった。

"女性らしさ"を、身につけてきた。

 

長年かけて身につけたものだし、もうそれは私のものだ。私は"女性らしさ"が好きだと思う。メイクも、ヘアメイクも、スカートも、ふわふわしたものも、柔らかな言葉遣いも、気を遣い合うコミュニケーション(これは難しいけど)も。

 

 

 

小学生の頃といえば、悲しいストーリーもある。私は小学生一年生の頃、女の子より男の子の方が虫の話なんかで盛り上がれて好きだった。人間関係がサッパリしている感じも好きだった。だからいつも男の子と話していた。でもある時、いつも仲良くしていた友達二人に仲間外れにされるようになった。今思うと二人が私に気があったんだと思うけど、当時私はものすごく傷ついてしまった。あんなに仲が良かったのに。男の子とばかり仲良くしようとする私を煙たがる女の子はいたけど、それでも仲良くしたかったのに。どうしてだろう。わからなくて、つらくて、それ以来男の子を嫌悪するようになってしまった。それ以来、18歳ごろまで私はまともに男の子と話せなかった。触れるなんて以ての外、自分のものを触られるのも不快だった。

 

私は心の底で、男性を怖いと思っている。中学生や頃は権力の強い男の子に腕を振り上げる素ぶりで脅されるようなこともあって、さらに恐怖は増幅した。男性は、裏切ったり、暴力を振るったりする生き物なのだと思っている。もちろん、全員がそうじゃないと頭でわかっていても、怖いものは怖い。

 

18歳頃までの間、自分が異性に好かれることを異様に気持ち悪いと思っていた。自分が性欲の対象になること、異性の脳内に自分が存在すること、気持ち悪くて堪らなかった。目線を向けられることさえ嫌で、視界から、いや世界から消えてくれと本気で思っていた。高校や大学に入って紳士な男性たちに出会ってからは、そういった強迫観念も薄らいできて、今や恋愛もできるようになった。素敵な男性に出会ってきたし、極端な偏見もなくなってきた。

 

 

だけど、私は、私の過去でできている。

なぜか女の子の集団にいると疲れるし向いてない。つまらないゴシップが苦手だ。他人の話をして何が楽しいのかわからない。それより趣味の話がしたい。それより、一人で好きなことをしていたい。生き物と触れ合っていたい。

男性が怖いし、女性らしさが好きだ。普段はなんとも思わなくても、やっぱり初対面の男性は怖いし、付き合っていたりしても、ふと怖くなって逃げたくなる。そして、獲得してきた"女性らしさ"への愛着がある。趣味の一部みたいなものだと思う。

 

元来の男性っぽさ、男性への恐怖、女性らしさへの愛着、これらが組み合わさって、時折不思議な感覚に陥ることがある。

 

2年前ショートカットにした時、ものすごく「フィットした」感じがした。留学を機にジーンズばかり履くようになったことも、さらに心地よくした。本当はこういった楽でボーイッシュな格好を求めているんだと思った。でも、女性らしさも大好きなのだ。女性の中の女性みたいな綺麗な女性が大好きだし、憧れがある。美しいと思うし、ずっと見ていたいと思う。見た目に関しては男性の容姿よりずっと好きだ。音楽を聞くにも女性アーティストの曲ばかり聞いてしまうし、曲自体が好きというより、本人が好き、という感覚があるのかなとすら思う。(同じような曲調の二人のアーティストがいたら、女性の作る方に惹かれる) でも、そういった憧れというのは、「パートナー獲得のための理想」なのだとも感じるから考えてしまう。私は多分、女性が好きなのではなく、女性性がとても好きなのかなと思う。自分は本当は男性が好きではないんじゃないかとと疑うこともあったし、今もある。だけどそれは、男性に対する不信感や不安感と、女性性への羨望に起因する錯覚なのかなと思うし、あくまでヘテロセクシュアルなんだろうという認識で落ち着いている。

 

そういう認識はしているけれど、それでもあまりに全般的に男性の体に興味が湧かないし(※好きになった人のことは大大大好きになる)、対照的に女性の顔の造形も肌も体の作りも性的役割も文化も好きだし、なんだか統一感がないなあと感じておかしな気分になる。

 

 

でも結論としては、性別やジェンダーなんて気にせず、ただ好きになった人を好きだっていう気持ちに素直に生きていこうと思う。今のところ私は男性の恋人が心から好きだし、その事実で十分に感じる。彼のことさえ少し怖くなることはあるし、彼の前で自分が女を演じているような気がして違和感を持ったりすることはある。だけど、そういった小さな火花は、時間をかけて消すか、それもまた綺麗なものとして見つめていくしかないと思う。

 

これからも私はズボンを履いたり、スカートを履いたりするだろう。ショートヘアにしたり、ミディアムにしたり。いつかは女性を好きになるかもしれないし、男性と結婚するかもしれない。私と性とジェンダーの在り方、これからも楽しみだと思う。たくさん勉強したい。たくさん自分や他人と向き合いたい。また生きる楽しみを見つけてしまった。

 

おわり