The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

私と音楽 with SAMPHAインタビュー

私は音楽との付き合い方がわからない。大好きだし、大嫌いだ。いつも近くにあるのに、すごく遠い。家族かよ。意味がわからない。

 

私は音楽を通してたくさんの人を見るし、人を通してたくさんの音楽を聞く。

音楽は情報が多すぎる。作り手の声質や歌い方、歌詞、旋律、音選びから作り手のことを想像する。自分の共通点を感じたり大きな差異を感じたりする。音のエフェクトから、音楽制作に関わってきたたくさんの人たちの雰囲気を想像する。使われている楽器や機材のイメージがやってきて感触が伝わる。音自体にも質感を感じる。聞き手の層の雰囲気を察する。たくさんの聞き手の一般人たちの像が浮かぶ。その曲の経済効果やマーケティングに関わること、商業的な部分を想像して、芸術の社会的位置を思って苦い顔になる。そういう人間臭い諸々を取っ払ってピュアモードに切り替えて、その音楽がどんなビジョンを見せるのか、どんな心象をもたらすのか感じようとしたりする。とにかく情報が多くて、すごく他人くさくて、あまりの圧に耐えられない場合もたくさんある。と思えば、すごく気持ちがフィットして、心地よくて、幸せになれたりもする。

 

音楽は思い出と密接すぎてすぐに染まる、汚れる。

綺麗に保つためには努力を要する。そうやって守り続けてるアーティストや曲、ジャンルがある。代表格がビョークだ。ビョークだけは守り続けてきた。だからいつ聞いてもそこにいるのは私一人と、小さい頃に私が思い描いたアイスランドの風景、夢、希望その類だ。誰も私を責めないし、孤独にもさせないし、一人ぼっちで、幸せだ。11歳とか12歳の繊細な時期の私のピュアな音楽への思いを、音楽が孕んでいる。いつもそこから私はピュアさをダウンロードしているわけだ。ありがたい存在だ。

 

音楽を聞いて心を掻き乱されて、あまりの高ぶりに涙を流すこともあれば、何を聞いても何も響かなくて悲しくて涙を流すこともある。

美しい景色を見たり、感傷的になったりした時、音楽のことなんて微塵も考えていない時に、突然メロディーが降ってくる。一本のメロディの時もあれば、いくつもの音で構成させた完成された音楽の時もある。なのに、楽器に触れるのが怖くて、他人の像が邪魔をして発信する気になれなくて、悲しくなる。

私にとって音楽は格別な存在で、好きとか嫌いとかを超えていて、まだ言葉でどう表していいかわからない。

 

 

今日はi-D Japanを読んだ。

SAMPHAのインタビューが印象的だった。SAMPHAのことはたくさんの人がそうとは思うけど、SBTRKTの曲で知った。それ以来Young Turks所属のアーティストは大体好きだ。SAMPHAの声好きだな〜くらいの気持ちでいたが、インタビューを読んで、ニューアルバム『Process』を聞いて、さらに好きになった。

 

https://youtu.be/_oM1DFL43Lk

雑誌では彼の生家にあるピアノと制作中に亡くなった母親への思いが詰まった『(Nobody Knows Me) Like The Piano』という曲をフィーチャーしていて、確かに異彩を放つ美しい曲ではある。けど個人的には、本人がとにかく不安から逃れようとしているビジョンを持って作った、恐怖を表現した、と書いていたこの曲に惹かれた。不安や恐怖を音にしてもらえるのは心地いい。

 

 

インタビューを読んで印象に残ったのは、単純に、共感できたからだと思う。

一部抜粋する。

「自分が有名になるなんて考えもしなかった。そんなことが起こるなんて、よく理解できないんだ。僕が作っているような音楽で人が有名になるなんて、起こり得ない ー そう思ってきた。でも同時に、何もわかってないわけでもない。顔も知られてるし本名で活動してきたし、人が共感してくれるようなパーソナルな感情を歌にしているんだということもわかってる。」(引用元 : i-D JAPAN No.3, Vice Media Japan)

さらにこういう部分もある。

 「まずは頭の中で完全な形を見ておく。作品を語るのはそれからだ」という徹底したアプローチで作曲をするというサンファ。『Process』はそれを反映したアルバムだという。世間の注目からも、業界の罠からも距離を置いてきたサンファは、今でも派手な音楽イベントや授賞式などには参加せず、自分と向き合う時間を大切にしている。「静かに、心で物事を見つめたり、気持ちや感情を表現する方法を探ったりするのが好きなんだ。」自身を知ることと、何かを生み出すことの間にあった空間を、サンファは「自分の感情と向き合うプロセスだった」と言い表す。(引用元 : 同上)

 

彼の完璧主義っぽさに好感しか抱かない。音楽への強い思い入れも感じる。それに、音楽からも滲み出ているように、彼の音楽はすごく内向きだ。伝えたい、有名になりたい、という欲求の小ささを私は感じてしまう。そんな低めな構えが私には響いた。きっと音楽を作る人の多くはそうだろうけど、創作活動は自分との対話の上になりたつんだろう。でもその深さや幅、スタイルは本当に様々だと思うのだ。ジャンルの統合や国境の破壊、新しいサウンドの探究、外部へ伝えたいことの表現、色々な目的があるだろうし、どれに重きを置くかも人によって異なるだろう。彼の創作活動への向き合い方は、なんとなく、理解ができるのだ私にも。

 

「『Process』には時間をかけたかった。以前は、心の準備ができていなかったから。僕の人生観はまだ未熟だった。だけど、何かを作り出して人々とそれをシェアしたいと思える瞬間が訪れたんだ。」(引用元 : 同上) 

リスナーとしては、そんな瞬間が訪れてくれて本当に良かったと思う。プロデューサーからシンガーへの移行は、自分が中心の表現者になるという大きな体制の変化であり、簡単ではなかったそうだ。私はプロデューサーでもなんでもないが、自己表現という行動について蟠りを抱えているので、彼の葛藤にどこか共感してしまったのだと思う。

 

『Process』、まだまだ聞き込みたいと思うけど、4周ほど聞いた感じ、かなり良い。DTMをしていないしソウルやR&Bにも詳しくないので上手な解説はできないけど、音へのこだわりと自己世界の描写の忠実さ、それから本人の穏やかな人間性が聞いて取れるような気がして、すごく気に入っている。西アフリカの楽器コラも使われているし、ドラムのビートもアフロっぽくて楽しい。

とっても良いアルバムだし、i-Dもクリエイティブな人間のエナジーに溢れた良い雑誌で面白かったので、ぜひお金を注いでみてください。

 

 

 

 

自己表現。難しい。音楽は自然に生まれるし、楽器も下手だけど弾けて、演奏に関してセンスは悪い方じゃないと(今サンクラにあげてる弾き語りの曲は一発録りだったしほぼ即興なので演奏が酷すぎるけど)思う。鼻歌をレコーダーに、歌詞を専用アプリに、溜めてある。でも人に伝えたいと思えないし形にできない。歌詞を書くとき、どこかしら、共感してもらえるように書いたり、こういうテイストが私には似合いそうだな、とか想像しながら頭で曲を作ったり、誰かから聞かれることを意識している部分がないことない。だけど、制作の過程に興味がないのかもしれない。誰かに伝えたいという欲求がないのかもしれない。全然行動に移せない。音楽を制作しようと思っても、いらないことばかり考えてしまってだめだ。なんだか勿体ないというか、もどかしい。

栓のようなものが外れたら、自由に表現したくなって、誰かに聞いて欲しいと思えるようになるのかもしれない。自分のことをもっと好きになれて、自信がついたら、インターネットの海に作品を流す勇気を持てるのかもしれない。でもそれがいつかわからないし、焦ったって仕方ないと思う。私は今も、音楽との付き合い方がわからない。

 

恥ずかしくてツイッターにはリンクを貼ってないけど、最後まで読んでくれた人になら聞かれてもいいやと思うのでサンクラのリンクを貼っておきます。恥ずかしいので開かなくて全然大丈夫ですが、まあ、練習?として・・・

https://soundcloud.com/asuka-oku

 

おわり