The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

生活と心が少し安定した

初めて気分安定薬がきちんと効いてる感じがしています。いつも生理前になると全身倦怠感、眠気、抑うつ希死念慮がひどくて何もできない日もあったのですが、前回の期間は眠気くらいしかなくてかなり平気でした。あんなに気持ちの軽い生理前は何年ぶりかわからないほどで、とても嬉しいです。

 

5年前上京してから長い期間通院した精神科を変えたのが功を奏したなと思います。おばあちゃん先生で気に入っていたのですが、距離的にも遠いし、発達障害に少し否定的な発言をされたので、治療もどん詰まりな感じだしもうやめようかな、と思ったのが理由でした。結果的に変えてよかったです。新しい先生は若い男性で、発達障害に肯定的で、新しい薬を積極的に試させてくれます。高圧的でなく、口数が多いわけでもなく、でも毎回とても真剣に考えて薬を処方してくれます。これからも数年通うことを見越して自立支援制度を使うことにしたのですが、今の病院を指定しようと思っています。

 

話は変わりますが、新しいアルバイトを始めました。勤務時間が昼だけや夕方だけの飲食バイトもしているのですが、ランチだとスタートが11:30からなので早起きの必要がなく、ディナーだと帰宅が12時になってしまったりして、どうも生活が不規則になってしまうので、朝から夕方までの仕事を一つやって生活リズムを整えたいと思ったのが理由です。始めてから約1ヶ月、とてもいい感じです。仕事内容にも上司たちにも特に不満がないです。特別楽しい!というわけでもないけど、「不満がない」というのは大きいと思うし、概して満足しています。レコードやCDや音楽雑貨を扱っている会社での軽作業と事務の仕事なので、たまに好きなアーティストの作品を手に取ることもあり、少し嬉しかったりもします。なるべく長く続けたいなと思っています。

この仕事のおかげで最近は、用事のない日も朝8時までに起きられるし、夜は23時までに寝る習慣がつきました。とても満足しています。

 

最近の変化といえば他にもあって、Twitterをやめました。高校生の頃からやっていて、大学に入学してからは随分と入り浸っていましたが、遂に自分の意志でやめることを決めました。理由は、疲れたからです。Twitterには有益な情報もあります。世界のかわいい生きもの動画や画像とか、一般人の愉快な日々の話とか、いろんな専門家の興味深い意見とか、好きなフォロワーの日常とか、手放しがたい、色んな面白い情報が溢れています。でもその一方、不快になることもたくさんあります。価値観が全く違う人たちの攻撃的、否定的な発言は目にするだけで不愉快だし、時にはそれが私自身にダイレクトに匿名で浴びせられることもあります。私は大学に入って適応障害を患って以降、メンヘラとして自分をコンテンツ化してアカウント運営していた時期もあり、その頃は特にひどい誹謗中傷を受けることがありました。特に激しい時期を過ぎた最近でも、やはり質問箱を経由して悪口を投稿する人がいたりして、もうさすがに疲れてしまいました。私が攻撃の対象になる理由はなんとなくわかります。私の持つ資本や経歴が、ある人たちには不快感や嫌悪感を与えるんだと思います。ですが、私は誰か特定の人の悪口を書いているわけでもなく、日々を綴っているだけです。なのになぜ、赤の他人から攻撃されなくてはいけないんでしょうか。そういうネットリテラシーのない人に目をつけられながらのインターネットなんてもう嫌だし、とっととやめてやろうと思いました。

アカウントをまた作るときはくるかもしれません。ですがその時は、今までの私を匂わす情報は極力掲載しないようにして、ツイートの方向性も変えようと思っています。

Twitterのない生活は充実しています。まだスマホを開いてもやることがなくて手が止まってしまうタイミングがありますが、慣れていくでしょう。ただ、長いことツイートを見ていた人たちのツイートが見られないのが少し残念です。所詮インターネット上の薄っぺらい人間関係かもしれないけど、少なくとも私は大事な友人のように感じている人たちもいたからです。その人たちとつながっているために、また再開するのもアリだなあと思うほどです。だけどそれは、もう少し先でいいかなと思っています。

 

 

こんな感じの変化を含みつつ、日々はいい感じに進んでいます。家族とも彼氏とも仲良しで、飼ってる鳥もトカゲも愛しくて、毎日平和です。バイトも慣れてきて、不安なことも少ないです。鬱な気分に陥って動けなくなることもほぼなくなりました。残るは、大学の勉強を着実に進めていくことです。今までは、勉強を頑張ることを最優先にしてバタバタして、でもそもそも生活や気分が安定していないから上手くいかなくて、空回りしていたような気がします。今なら、落ち着いて勉強に取り組める気がしています。そう、願っているのかもしれませんが。

 

勉強は大事です。私が一番やりたいことのはずです。だけど、体調や精神状態、生活リズム、それらが不安定では勉強もできるはずがない、ということを今回身をもって学べたので、これからは自分自身のケアを第一にしていこうと思います。

 

 

 

質問箱に匿名で送られてきた悪口メッセージに書かれていたことをまだ覚えています。「あなたがあなたでいる限り夢なんて叶うわけがないと思う。」「自分にできることとできないことを客観視したほうがいい。」。読んだ時は、こんなことを書いて匿名で送る相手に対する哀れみと蔑みと怒り、悲しみ、色んな気持ちに駆られました。最初は怒りや蔑みや反動的に生まれた「やってやるぞ」という意志が強かったものの、その後2日ほど、たまに思い出してはとても悲しくなりました。「あの人の言う通りなのかなあ」と思いました。私には勉強はできないから、働くしかないのかなあと何度も思いました。この東京で週5で働いて、休みの日は彼氏や友達と過ごす生活を想像しました。できるとは思います。だけど、そうやって本腰を入れて働く生活に、私は意味や、希望を見出すことができると思えません。意味や希望を感じられる仕事なんてそうそう出会えないと思います。仕事より私は学びたい、学び続けたいです。もう24歳、されど24歳、まだまだ若いからこそ、後悔しない選択をしたいです。だから、今のまま通信での勉強を続けながらアルバイトをやります。海外の大学院に行きたいという無謀にも思える夢は、叶わないかもしれません。だけど、夢がないと私は生きていけない、夢があるから生きていけるので、この夢は持ち続けるつもりです。本屋で心弾ませることができる限り、博物館で胸が熱くなる限り、自身の研究ができる場所を目指して生きていこうと思います。私の場合きっと人より道のりは長く険しいけど、毎日小さな努力を積み重ねていきたいと思っています。

 

「できないこと」と「できること」があるのは当たり前です。でも「できないこと」が「できること」になる可能性は大いにあります。そのために努力する、シンプルにそれだけです。夢は叶わないかもしれません。でも今ある夢が叶わなければまた新しい夢を持てばいいだけです。もちろん叶えることは大事です。「叶わない夢なら持ちたくない」といった歌詞も多く見受けられますし、気持ちも分かりますが、それは極端です。柔軟性を持つべきです。私はかつて極端でした。自分の人生計画や夢がその通りにならないのなら死んだほうがいいと思っていました。何度も死のうとしました。でも私は間違っていました、夢は叶えることが全てはありません。無論、今でも「なんとしても時間がかかっても絶対叶えたい」とは思っていますが、万が一ダメでも、また新しい何かに向かって、その時手の中にあるものを大事にしながら、日々を生きていこう、と思えます。こういうしなやかな考え方ができるようになって、ずいぶん楽になりました。

 

私は「私が私である限り夢は叶わない」とは思いません。どこかの誰かがそう思うのは自由ですが、私は私である限り夢を追い続けます。「できることとできないことを客観視したほうがいい」は正しいかもしれません、確かに客観視することは大事です。ですがだからといって「できないこと」をできないと切り捨てることはしません。努力の意志が持てる限り、誰かが「どうせ無理だろ」と思ったとしても、私に対して口にしたとしても、「できること」に変えるために毎日努力をします。

 

 

ここ数日ずっと考えていたことがまとめられてよかったです。もう匿名の人間からの悪口を思い出して涙ぐむことはなくなりそうです。むしろ、おかげさまで自分の考え方を再確認できて嬉しいです。いい機会をありがとう。

 

 

では、今カフェにいるので、今後の大学の勉強についての予定をまとめてみようと思います。

がんばるぞ。