The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

映画『トールキン 旅のはじまり』を観た

映画を観終わった後、脳がパンクして、しばらくぼーっとしてしまいました。

 

映画としての出来は普通だと思いました。これといって強い感銘を受けるなシーンなどもなければ、音楽も普通に合ってるしよく出来てる、という感じ。「これは...」と思う演技をする人もいなかったし。量産型の伝記物映画なのかなと思いました。

 

でも私は、そういった映画の「外面」より「内面」から多くを感じることができる感性がまだ残っているようで、トールキンの人生や彼を取り巻く環境を知って、あまりに多くのことを考えてしまいました。

教育、社会階層、家族、友情、歴史、戦争、西洋、東洋、学問、才能、努力、好奇心、不条理。生、死、ファンタジー、現実。

 

あらゆる記憶がフラッシュバックしました。

小学校の昼休み、図書室で一人読み込んだファンタジー作品。異世界の空気をまとって少しぼんやりする頭で図書室から教室へ帰るときの感覚。読み終えた時の充足感と満たされなさ。異世界で主人公たちが今頃どうしているのかを想像する楽しさと、そんな世界はないんだと私に囁く私の中にいる「大人」。

世界史の資料集で、テレビ番組で、広島の原爆資料館で、オランダのアンネ・フランクの家で、色んなところで見た世界大戦にまつわる写真。生きた兵士、死んだ兵士、生きた女子供、死んだ女子供。焼け野原、放射線で一部変色した壁、強制収容所の狭いベッドやガス室爆撃機、戦艦、爛れた皮膚、骨と皮になった腕。

今まで通った大学の教室のざわめき、逃げ込んだトイレの壁の凹凸、授業後に寮へ帰る時に聞いたアルバムのジャケット、新しいことを知る瞬間の高揚、生まれた疑問の答えを考察している時の興奮。触れることさえできなくなったテキストたちの表紙。

 

戻れない10代への後悔、24という数字と諦め、チラつく希望と、それを遮る絶望の影。

まだ燻っている学びに対する意志と、「どうせ」という言葉の葛藤をさらに強く感じました。

 

 

 

トールキンは天才だと思いました。もちろん教育熱心な母親が幼少期から言語を学ぶ機会を与えたことや、低い身分でありながら上流階級の教育を受ける機会を与えられたことなど、運が与えたものは大きいでしょうが、だとしても、想像力、言語的なセンス、新しい環境へ適応する力などは先天的なものでもあると感じました。

 

無論、私にはそんな運もなければ才能もありません。4歳で異言語を読めるようにはならなかったし、子供の頃に自分の言語を作ったこともありませんでした。教育にお金をかけてくれる比較的富裕な家に生まれましたが、彼の行った学校のような上流階級の子供たちが集まる環境で伸び伸びと創作活動に打ち込めることはなかったし、曲を作ったり、詩を書いたり、小説を書いたりすることはあれど、それを形にして人に発表する機会もなく、やり方もわからず、あの頃の私が生み出したものは、すべて宇宙の果てに消えてしまいました。

 

後ろを見ても仕方ないので前を向いたって、あまりに視界が悪い日々が続いています。自分でも、失敗経験やトラウマに囚われすぎだという自覚はあります。しかし、怖いものは怖いです。脚が硬直してしまうこと、躓いて崖から転落してしまうこと、突然月のない夜が来てなにも見えなくなってしまうこと、あらゆることがいずれ起きる気がして、歩き出すことさえできません。もはや、セルフコントロール不能だと感じます。どうしても脳が拒否します。

 

私だって大手を振って人と違う自分の道を進みたいです。でも私には上手くいくと信じる元気はもうなくて、ただ縮こまって、宙を見つめることしかできません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

具体的に言うと、勉強ができません。

 

大学の通信課程で学んでいるけど、目標を高く掲げた7月に思うように学習が進まなかったことを皮切りに、どんどん崩壊してきています。先延ばしすればするほど、手をつけるのが怖くなりました。通信課程で卒業できる自信もなければ、かと言って今から通学課程へ入学するために受験勉強をしたり、晴れて入学できたとしても元気に通学できる自信もありません。とにかく勉強に対すること全てに自信がありません。失敗が怖くて何もできない。本を読むことさえできません。 

 

何もできないことで悲しくなり、仕事ならできるとわかっているのでもう大人しく働くしかないのかと思うと悔しくて悲しくなります。鬱と無気力がひどく家事すら手につかないので、双極性障害向きの薬を飲んでるけど、薬への期待もあんまりありません。ピルや漢方薬サプリメントを飲んでいる努力も虚しく、相変わらず月経前には希死念慮に覆われるし、眠くてだるくて異常です。

この5年精神科に通って薬やら漢方やら心理療法やらを試してきました。それでも未だに人生が波に乗っておらず不安定なので、もはや治療への希望も失いつつあります。

 

私の学びたいという気持ちは、単なる学歴や「人と同じ道」への固執を越えていると思っています。みんなと同じ学士号が欲しい気持ちはないことはありません。ですが、もっとシンプルに、労働に身を捧げる前に思う存分学んで楽しみたい、という意志があります。やりたいことで食っていきたい、そのためには学ばないと始まらない、そう考えています。

でも失敗経験やトラウマが恐怖を生み出して邪魔をしてくる。そしてそれを克服したい、できるかもしれない、という希望が薄れてきている。

何度も書いてしまっていますが、ネックになっているのは自信のなさと恐怖なので、薬と心理療法でなんとかしていくしかないんだろうとはわかっています。だけど・・・

 

ここまで自信も希望もないとどん詰まりです。唯一の救いは「やりたいこと」があることでしょうか。恐らく、環境はそれを許します。支えてくれる家族や恋人がいます。だけど許さないのは私自身です。自分の足を縛り付けているのは私自身です。それがまた悲しいです。

 

私は失敗を重ねすぎました。そしてその失敗を毎回上手に処理する才能がありませんでした。掃除をサボればサボるほど溜まって頑固になって取れなくなる汚れみたいなものです。薬剤をかけたり何度も何度もこすったりして少しずつ取っていくしかないわけですが、気が遠くなります。

 

とにかく各種薬の服用と心理療法を最優先にして頑張ろうかなと思います。それしか今はできないし。色々理由をつけてバイトを増やそうとしてるけど、実際それだって勉強から逃げようとしてるだけのような気がします。慎重に決めていきたいです。

 

 

 

 

トールキンとは生きた時代も違えば、受けた教育も、生まれ持った才能も、全てが違う。私が学びたいのは彼の選んだ言語学でもないし、私は音楽で自分を表現しようとしてきたけど、彼は詩や物語や絵だったでしょう。だから、比べてどうこうではありません。直接的な劣等感を感じることはありません。だけど、彼の人生が孕むあらゆる要素が間接的に今の私に強い刺激を与えました。鑑賞直後は何が何だかわからないほどパンクしてしまったけど、今なら何が起きたのか理解できます。スッキリしました。

 

総合的に、いい映画でした。トールキンが好きな人もそうでない人も、よかったら見てください。

映画『トールキン 旅のはじまり』公式サイト 絶賛上映中!

 

 

おわり