The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

生き心地

今実家にいます。台所では、母と姉(次女)がおせち作りをしています。父は、庭で石窯をいじっています。私は、勉強道具を広げてブログを書いています。猫は、窓際で丸くなって寝ています。

 

「うわあ、生きてる心地がする!」福岡に舞い戻ってきてしばらくして、ふと思ったことでした。ここ2年ほど、少し遠出しすると必ず離人感覚が現れていたのですが、今回の帰省では一度もそれに襲われていません。見える世界が偽物にも見えなくて、この世に自分が存在していないような不安もありません。見慣れた景色のはずなのによそよそしくて、自分の腕なのに自分のものじゃないみたいで、家族がただの動く肉塊にしか感じなくて、怖くて、悲しくて、寂しくて。そんな感覚はなくて、ただ、私はここにいるとわかります。

 

 

2018年は、まとまりのない一年でした。2月に上京してきて、11月まで受験生として予備校にしがみついていました。結局大学受験は諦めてしまったけど、後悔はありません。今の私にとってベストな道を選べたとは思っています。低刺激な日々ではあったけど東京生活に慣れることはできたし、情緒も随分落ち着いたし、有意義だった気がします。夏には久し振りに恋人ができました。優しくて聡明で愛らしい人です。お付き合いを始めて以来腕も切ってないし、随分心を柔らかくしてくれました。生まれた場所も生きてきた環境も違う二人の個人が、想い合って、支え合って、会うたびに笑顔になって、こんな幸せな恋愛が私にもできるんだと驚いているのが本音です。出会えて本当に良かったし、これからも二人で一緒に喜びも悲しみも感じていきたいなと思います。

 

来年は春から通信教育で学位取得に向けて勉強をする予定です。書類審査に通らなければ学生生活が始まりもしないので、まずはそこを乗り越えるところからです。そして入学を果たしたら、最初のレポート提出と、7月の試験が次の難関です。一つ一つ乗り越えていきたいです。受けない、もしくは受けても落ちるとは思うけど、一応通学課程への編入試験受験を視野に入れているので、気を抜かず単位を落とさないよう頑張ります。今は入学できるかどうかがかなり不安だけど、入学してしまえば待ちに待った勉強ができます!人文科学は幅広く学べるだけでなく、自然科学の地学や生物もできるのが楽しみすぎます。アー楽しみすぎる!

 

1月からはレギュラー勤務のアルバイトも始める予定です。バイトの面接は落ちまくっていたんですが、この前やっとレストランのホールスタッフとして採ってもらえました!きちんとしたお店なので憧れの青髪は遠のいてしまったけど、素敵で居る人も良さげなレストランなので、長く勤められたらなと思っています。フリーター生活はかれこれ2年以上やっていますが、バイトがないと結構孤独だし、通信課程では友達も大してできないと思われるので、あのお店が東京の居場所になったらな、なんて考えています。

 

来年したいことは他にもたくさんあります!まず、TOEICで900点以上取っておきたいです。持っていて損はないと思うし、ビジネス英語を学んでみたい気持ちがあります。それに英語を勉強するモチベーションになるので。IELTSが本当は好きだけど、まずはTOEICかなと考えています。あと、まずは独学で、翻訳の勉強を始めたいです。4年(または5年)の在学中に翻訳会社のトライアルを受けて、フリーランスでちまちまとお仕事を始められたらなあとぼんやり考えています。翻訳は奥深くて興味があるし、少しでも自分のスキルで稼ぎたい気持ちがあります。あとあと、もう3年ほど行けてないバードウォッチングに行きたいし、海外旅行に一度は行きたい!世界史を学び直してギリシアやイタリアやトルコへ行ってみたいです。史学といえば結局日本史をきちんと勉強したことがないので、日本史の授業を取って知識を詰めたいです。他にもPS4がなんとしても欲しいだとか、ジムに通いたいだとか、そして痩せて美人になって恋人に死ぬほど愛されたいだとか(?)、色々ありますが、まあとにかく健康第一、学問第二でやっていきたいです。来年大切にする言葉は「一に健康二に学問、三四がなくて、五に学問」にします!今年は自分の体力のなさと体が資本だという事実を痛感したし、来年はバイトや運動で体を強くしたいです。そして今度こそ、きちんと高等教育を受けたいです。今度こそ、中退しないぞ...(不安)

 

 

 

多くの人と違う道を行くのは相も変わらず、ここまできてもなお、不安です。なるべく同じことがしていたかったです。普通に大学を出て就職したかった。普通に大学の友達が欲しかった。でもできなかった。私はみんなと同じことができなかった。そうやって悲しくなることもいまだにあります。最初の大学を中退してもう3年以上経つというのに。でも今年は、そうやって涙を流すことが減った気がします。私は何も間違ったことはしてこなかったんだ、自分を責めなくてもいいんだ、人と比べるなんてやめよう。私にとっての幸せは私が決めるものだし、私は私を幸せにしていいんだ。手に入らないものは無数にあるけど、手で触れられる小さな幸せを見つけて、ぼんやり眺めていれば、案外私の人生っていいものなのかもしれない。そんな風に、表面的にでなく、心の底から思えるようになりました。大きな成長です。少しずつだけど、毎年いい方へ進んでいると思います。

 

長い。適応障害になって4年半、まだ引きずっているなんて。気づいたらこんなに正規ルートから逸れてしまったなんて。4年前「1年もすれば治って元に戻っているだろう」と踏んでいた私にこの現状を伝えたら、踏みとどまった足を踏み出してしまっていたかもしれません。この病気の治療生活は、薬を飲んで寝ていれば治るという単純なものではなくて、自己理解、心理や行動についての学習、精神状態の改善、生活改善のための取り組みをトライアンドエラーで繰り返し、と大変でした。心も体も面倒くさい自分と付き合うのが嫌になることもしばしばあります。

 

でもやっと最近は、自分の生を受け入れることができてきたようで、死にたいと思うことが減りました。死への執着がなくなったというか、諦めた、というニュアンスが近い気もします。どうせ死ねないし、なんとか生きていくしかない。生きるしかない、とにかくやるしかない。自殺できるほどにまで自分を追い詰めるためには、私は恵まれ過ぎていると気づきました。死に至るほどにまで体を酷使したり希望を奪い取ったりするには環境が必要です。私には必要としてくれる人や動物がいて、私も彼らを大切に思っています。そして生きるのに不自由ない体やお金にも恵まれました。こんな状態で死を願ったところで、叶うわけなかった。だからつらかった。贅沢な悩みとはわかっていたけれど、死にたかったし逃げたかったし、環境が私を生や幸福を押し付けてくるようで、酷く憎かった。環境に感謝しろと人に言われるたびに苦しくて悔しくて、殺したかった。だけど低刺激な日々をとぼとぼと歩いてきた2018年、気づいたら暗いトンネルは終わっていたようで、なんだか今はそんな激しい感情もありません。思う通りにいかなくても生きるしかない宿命を受け入れられているし、「まあ、なんとかやっていくか」くらいの緩い構え方ができるようになってきました。死の誘惑は強いけど、まあ今の生き心地はそんなに悪くないし、それはまた今度でいいや、と思います。

 

過去も過去だし、未来は希望でいっぱい!とはいきませんが、とりあえず来年や明日、やりたいこともたくさんあるし、ぼんやり楽しく生きていこうかなと思います。

 

 

 

2018年お疲れさまでした。ブログを読んでくださった方々、ありがとうございました。来年も少しずつ更新していく予定なので、よろしければ見に来て、私の人生の進捗を見ていってください。笑

 

来年もよろしくお願いいたします。

 

おわり