The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

自傷行為

理由なんて明確にはわからない。承認欲求を満たすための愚かな迷惑行為だと揶揄されても仕方ない。否定できない。誰かに見てもらいたいからやるんだろうか。酷暑の中でも毎日長袖で外出しているのに?

 

 

私の自傷行為は主にアームカットと吐き気を催すまでの過食。親が持たせてくれた薬や精神科でもらった向精神薬オーバードーズしたりもした。ベッドから落ちたり包丁やハサミを叩きつけたりして痣を作ったりもした。始めたのは大学に入ってからだし、それまでは自分がこんな傷だらけになるなんて思ってもみなかった。学年に数人いる、家庭環境が恵まれてないちょっと変わった女の子が、隠れてやるものだと思っていた。私とは無関係だと。

 

始めた当初は、誰かに助けを求めてやっているわけじゃないんだ、と自分に言い聞かせていた。助けてほしいなんて思わなかった。とにかく自分でなんとかしないといけないと思っていた。でも物事が上手くいかない。どうしていいかわからず、混乱の中一人で立っているしかなかった。頭は重くて痛くて、肩も凝ってだるくて、あまりに精神的に苦痛で心臓が痛くてたまらなかった時、腕を切れば、少しは楽になるなかなと思い立った。息もしづらくて何が何だかわからない中、よろけながらベッドを抜け出し、カッターを手に取った。血を見たら落ち着いた。2014年の6月、同期が楽しい大学一年生生活をやっている頃だった(笑)

 

カッターを兄に隠されたら包丁で切った。カッターも包丁も職場に持っていかれたら、コンビニまでカッターを買いに行って切った。全然切れない安全剃刀で何回も同じ場所を切った。その力もなければただベッドから落ちることを繰り返した。最初は少し痛かった。後悔もした。でも繰り返していると、痛みも和らいできた。後悔もしなくなった。もっと傷跡が欲しくなった。もっともっと傷つけたいと思った。腕、二の腕、肩、首、脚、足、と範囲は広がっていった。ヒリヒリ痛むお風呂にも慣れた。自傷行為が私の尊厳を保っているような感覚になった。痛めつけることが私の中で正しいこと、唯一私を私たらしめるもののように感じて、ひどい時は脚を切り落としてくれ、腕を切り落としてくれと大声で泣いたりした。とにかく体をボロボロにしたかった。そうでないと、私は認められないと思ったのかもしれない。

 

救済だと思った。やめたいと思った。異常だと知っていた。自分が気持ち悪いと思った。やめたくないと思った。

 

2015年の春、親に精神疾患のことも伝え調子も良くなってきたので、本当にやめてやると意気込み、思い切って、ケロイドの切除手術を受けた。でもそれで綺麗になるわけもなく、傷跡は今もしっかり目視できる。どうせ消えない傷跡があるのなら、どうせ隠さなくてはいけないなら、いくら傷つけてもいいだろうと思ってしまう。だから今も時々やる。

 

 

私は他人が自傷行為をしていてもやめろとは言わない。それがその人にとっての唯一の救済である可能性があるから。私は何度も人にやめなさいと言われた。精神科医、カウンセラー、好きな人、知らない人から。好きな人に「傷つけているのを見るのはつらいのでやめてほしい」と言われた時は、やめようかと思った。だけど結局大した抑止力にならなかった。唯一の救済を我慢して私がつらい思いをすれば、それが相手の幸せ?そんなの全然優しくないと思った。所詮友達以上恋人未満でしかないくせに、にしかなってくれないくせに、なんなんだと思った。親からもらった体を傷つけるなんて親不孝だ、なんて言われても、誰もこんな醜くて機能不全な体に産んでくれなんて言ってないし、と思ってしまいダメだった。私は自分を傷つけることでしか幸せになれないのに、なんでやめさせられなきゃいけないんだ。

 

動機については自分でも色々調べたり考えたりしてきた。人によると思うけど、私の場合は一種の解離状態から解放される感覚を求めてやり始めて、ハマっていったのかなと思う。血を見ると過呼吸も動悸も収まって正気に戻れる感じがしたから、病みつきになった。あとは、承認欲求を満たすためというのもあると思うし(自傷画像をツイートするとファボがつくので)(悪習)。何者にもなれない惨めな自分に、メンヘラというアイデンティティが虚飾を与えてくれたと思う。メンヘラを"演って"いれば即物的なメリットはある。仲間ができるし、コンテンツ力になる。でもそんなのカスで、私自身の状態の改善には全然繋がらない。むしろ悪化する。もっとあの人みたいに深い傷を、あの人みたいにODで救急車に運ばれなくては、自殺未遂してからが本番、そんな思考に取り憑かれて、ヒートアップしていく。強迫観念に近いかもしれない。

 

 

もう自傷行為が知らない世界のものだった時のことは思い出せないけど、知らない世界のものである人たちにとっては、自傷行為なんてわけがわからないだろうなと思う。でも、説教くさいことは書きたくないけど、やってる人たちは、どんなに傷が浅くたって、絶対になんらかの問題を抱えている。だから、理解できなくても(そもそも未経験の異常行為を完全理解なんて無理)、心の中では馬鹿にしても、ダサいと思っても気持ち悪いと思ってもどうでもいいけど、表出しないでほしいなと思う。浅い傷跡の写真をあげてるアカウントを馬鹿にしてRTしている人たちを見ると、すごく不快だ。たくさんRTされて本人は嬉しいのか、私と同じように不快なのか、わからないけど、少なからず私はすごく嫌悪感を抱く。浅い傷=精神的な損傷も小さいわけじゃない。傷跡の写真を上げるなんてマナー違反なのは確かだし、スパブロするならすればいい。なぜそうせず、晒し上げるのか?「見ろよこいつ、深い傷作る勇気もなくて浅い傷作ってかまってちゃんアピールしてやがる」とでも言うように、なぜみんな揃ってRTするのか?もしそういう反応を受けて「もっと深い傷を作らなくては」と本人が思ったらだなんてことは考えないのか?もっと切れば、深く切れば、笑わないのか?究極的には自殺すれば、認めてもらえるのか?

 

自殺すれば認めてくれるんですか?自殺すれば私の苦しみは認めてもらえるんですか?自殺すればいいんですか?自殺するまでは、なにもかもが「甘え」や「かまってちゃん」なんですか?自殺すればいいんですか?自殺したら辛かったんだねと言ってもらえるんですか?

 

そう思いながら腕を切ってる人たちを見てるし、自分の傷を眺めているし、これからも生きていくんだろうなと思う。

 

 

私は誰かに助けてほしいというモチベーションで腕を切ったことなんてない。自分でなんとかしたいのに、なぜかできないから、自分を助けるために、切っているだけ。だけど気づきつつある。私は人の助けが必要なのだと。私は人間関係の構築が下手だから、助けを求められないから、合図を送れないから、現実で誰に見せるわけでもなく、糸にも縋る思いでインターネットに赤い画像と辛い言葉を垂れ流して、自分を少しでも癒そうとしていたんだと。

 

 

 

随分人に頼るのも上手くなってきたと自負してる。おかげさまで、まだ切ってしまうことはあるけど前よりは浅くなったし、あんまり問題視してない。いつになったら全く切らなくなるかわからない。これからもこの一生消えない傷跡と生きていく。暗い過去はつきまとう。未来はいつも眩しい。現在はいつも、何が何だかわからない。