The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている社会不適合の書き溜め

鉄道車両と正しい街

高校3年生の秋、ギターを背負って、唐津線のキハ125とキハ47の連結車に乗りに行った。可愛いハコに乗って、あてもなく降りて、適当なところで曲を作ろうと思っていた。その日はいい日和だったけど、少し寒かった。

 

唐津駅に到着して、無事お目当ての連結車に乗れたので、ボイスレコーダーに走行音を録音した。ホクホクだった。なんていいエンジン音!ディーゼルエンジンってこんなに違うんだ!この揺れ!愛しい(涙)!車内のデザインも古くて良い!これがセミクロスシート(涙)!ところどころ使われているフォントもなにこれ超カワイイ!憧れの二両編成!どこまでも連れて行って!でも塗装は水戸岡鋭治であることだなあ!まあいいか!と思いながら乗った。最高だった。乗る時はすごく緊張した。ネットで拾った写真をガラケーの待ち受けにするほど憧れていた車両に乗るなんて、そりゃ緊張する。とても好きだった。また乗りに来ようと思った。

 

短いトリップを堪能したあと、どこかで適当に降りて、公園を探した。結構歩いてやっと公園を見つけたので、ベンチに腰をおろして、ギターを弾いた。YUIのThank you my teensやGood-bye daysを歌っていたら、遠くで走り込みをしていた小学生くらいの野球男児たちが並んで掛け声をかけながらこちらに走ってきて、私のベンチの周りをぐるぐる走り始めて、かなり焦った。何事かと思った。でも歌うのをやめてしまったとしてどんな表情をしていいかわからないなと思い、歌い続けた。あの時の恥ずかしさと屈辱は一生忘れないと思う。

 

野球男児たちが飽きて消えてくれた後、ホッとして曲作りに着手した。とっても気持ちがいい場所だった。開けた川沿いの公園で、風が心地よかった。夕暮れ時になると人が減り、私だけの場所になった。一人で遠くまで来た達成感と、少し家が恋しい寂しさと、ずっとここにいたい気持ちと、音楽への強い愛情、色んなものが渦巻いて、胸がいっぱいだった。細かいことは覚えてないけど、あの時の体感温度や、夕陽でオレンジ色に染まった鉄橋や、すれ違った中学生のジャージ姿や、キラキラひかる川の水面は、今でも大切な思い出だ。長居したかったけど、ご飯までには帰らないとお母さんに心配されると思い、陽が沈む前に駅へ向かった。

 

その時作った曲を、高校生最後のソロライブでやった。そのライブでは、高校一年生の時に作った曲もやった。聞いてくれてた他校の女の子が泣いてたのを思い出す。涙にも値しないようなつまらない経験を歌った曲なんですが。ツイッターで知り合った男子校の男の子とメールや電話をするようになって、いざ会ってみたら突然態度を変えられて付き合ってもらえなかったことがあって、その時の憂鬱を書いた。私は今も昔も「付き合ってもらえなくて」泣いてばかりの恋愛、いや、恋愛とも呼べないような空虚な人間関係に、心と体を削っているように思う。その時に容姿コンプレックスに拍車がかかり、今や自分の容姿のことを考えると強迫的な観念に襲われるのですが、まあ、過去のことなので、寛容な私は、許しません。あとは鬼束ちひろの『私とワルツを』と、Birdyの『Skinny Love』をやった気がする。アジカンの『海岸通り』もやったかな?私の中高時代を詰め込んだ。それを最後に、福岡での音楽生活は終わりにしようと思った。椎名林檎の『正しい街』を、椎名林檎が高校時代に使っていたというライブハウス「JAJA」(閉業)で演奏したことがあるけど、私は福岡に悔いを残したり、将来、ああ、私はあの街にいるべきだったのかもしれない、と思ったり、そんなのは絶対に嫌だと思っていた。私の居場所は絶対に福岡じゃないって、そう思っていた。

 

私の居場所は福岡じゃない。

中学生の頃から思っていたことだ。こんなところに収まる器じゃないと思っていた。周りのやつらはバカで、センスが悪くて、サイテーだと思っていた。こんな場所にいたら、腐ってしまうと。でもどうだろう。今、東京とイギリスでの生活を経て、さて、はて、私の居場所はどこなのか、全くわからなくなってしまった。居場所なんて、この世にないんじゃないかと思う。正しいと思える街なんてない。どこへ逃げても逃げても、私は居場所を感じることなんてない。私は求めることしかできない。収まることも、受け入れることも、妥協することも、諦めることも、できない。不満ばかり募って、周りにも自分にも満足することができない。あまりにこの世に居場所がないと感じるが故に、心が体にさえも収まりきれずに、視界が平らな絵になる。何もかも間違っていると感じる。家族が家族であることも、友人が私を心配してくれることも、私に優しくしてくれる人がいることも、大好きな人がキスしてくれることも、私が生きていることも、当然のように明日が来ることも、全部間違っている気がして来る。正しいことなんてない。況してや、正しい街なんてない。帰る場所も、行く場所もない。少なくとも今は。