The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている社会不適合の書き溜め

私にとっての音楽と自然

ここ数日、Hayden Calninというオーストラリアの音楽家の曲をずっと聞いている。

 


Hayden Calnin - For My Help [OFFICIAL MUSIC VIDEO]

 

私の母親は結構偏見が強い人間で、民放は教育によくない番組が多いからつけるテレビ局は基本的にNHK、クラスのみんなが持っているような漫画やゲームは基本的に買ってもらえず、音楽もロックやよくわからないうるさい音楽は小学生の私にはよしとされていなかった。

ただ穴があり、インターネットに関しては母親が無知だったのでやりたい放題だった。インターネットリテラシーは軽く教育されたので、危ないサイトを開いたりブログに悪口を書くようなことはなかったけど、とにかく情報にアクセスし放題で、なんていい時代なんだと思ってた。今思うと危なかったことといえば、アバターチャットにハマって出会ったロリコンの目が青いおじさんとメールしたりしていた。彼は私の大人びた考え方が素晴らしいと褒めてくれて、私もよく思っていた。私が大人になったら白い馬に乗って迎えに来ると言ってくれた。そんなことを子供に吹き込む大人に対して、冷めた視点を持ち合わせつつも、インターネットを使うと私の知らない世界に生きる生身の人間と繋がれるという事実に感動していた。大人になった今でも白馬の足音は聞こえないままだけど、時折彼が今頃どうしているか思い馳せることがある。

 

11歳の頃、iTunesの姉のライブラリを漁るようになった。禁断の音楽がたくさん入っていた。初めてその"悪いこと"に手を染めた時は、ほんの軽い気持ちだった。まさかこんな取り返しのつかないことになるなんて、思ってもいなかった。色んな曲を聞いてみたけど、一番気に入ったのはアジカンだった。ジャケットのイラストが可愛かったし、YouTubeで検索して見つけたループ&ループのPVの後藤正文がかっこよすぎた。(この時から私は眼鏡をかけている異性しか恋愛対象に入らなくなる。取り返しのつかないことをした。)その次に気に入ったのがビョークだった。不気味なジャケットのアルバム(Homogenic)の最後の曲、All Is Full of Loveを聞いた時、今までにない衝撃を受けた。こんな音楽がこの世にあるのかと思った。世界が変わった。英語なんてわからなかったけど、タイトルの意味だけわかれば十分だった。目に見えるもの全てに意味を感じた。聞こえる音、見えるもの、感じる温度、すべて、すべてが愛おしく感じた。音楽が意識を上昇させた。あの曲が与えてくれたフィルターを通して世界を見ると、私は一人ではなく、一部になれた。こんな風に書くとこいつスピってるのか?と思われるだろうけど、言葉で表すとすればまさにこんな感じだった。私は、ビョークの音楽に居場所を与えてもらい、孤独を癒してもらった。学校でいじめられてたわけでも、機能不全家庭に育ったわけでもないけど、どこか居場所がないと感じて自然の現象にいつも心寄せていた私が、新しい生きる世界を得た瞬間だったと思う。それ以来私は家に帰るといつも曲を漁るようになった。いわゆるNO MUSIC NO LIFEだった。音楽は私を興奮・高揚させた。奪われたり貶したりされると許せなかった。依存していた。それゆえの悪影響も色々と出た。クスリ以外の何物でもない。

 

こんな背景もあり、私にとって自然と音楽は"近い"。自然のことを闇雲に愛していた私を、音楽が一体化させてくれたから。私はその頃から、家でも学校でも詩を書いたり、ピアノで曲を作ったり、弾き語りをしたりするようになった。楽器がないときは耳を澄まし、聞こえる環境音を一つずつ拾って音源を想像、把握したのち、それら音源同士がどんなリズムで関わっているのか、どの音源とどの音源が仲間なのか、どれがベースで、どれが旋律で、あ、あれが消えた、新しい音源が入ってきた、。そんな風に遊んでいた。明確に覚えている。その頃、「私は電子楽器で自然を表現する音楽を作ろう」と心に決めた。絶対やりたいと思っていた。ブログにも書いた。

 

なんてそんなことを、Hayden Calninを聞いていて思い出した。やりたかったことは、誰かがやってくれてた。私には何ができるんだろう。

 

おわり