The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

自分語り グローバル編

昔から、遠い世界への憧れが強かった方だと思う。

小学生の頃はTBSのTHE世界遺産が一番好きなテレビ番組だった。夏休みの自由研究は、いつも世界遺産についてまとめていた。悲しくて眠れない夜には、ドキュメンタリー番組や図鑑で見た世界中の生き物の生活を思い浮かべて心を鎮めた。音楽の教科書に載っている少し暗い雰囲気の世界の民謡が好きで、気に入ったものはピアノで自分なりにアレンジして、歌い弾いては母に聞かせた。同じメロディーを、顔も知らない異文化の人たちも歌っているのか思うと、胸が高鳴った。本はファンタジーと伝記が好きだった。いつも何か遠いものを求めていた気がする。インターネットの便利さに可能性を感じて、HTMLを弄ったブログにインターネットへの思いを書き綴ったりもした。黒歴史ではあるけれど、私はあの時のインターネットへの思いが、後に国際開発学を学ぶことになった契機の一つだと思っている。私の夢見た遠い世界の人や物が、インターネットによってこんなに近くに感じられる。何かとてつもない力を感じていた。

高校生になってからは、インターネットも発達して物流網も発達したこの時代だからこそできることがある、この時代に生まれたからこそできることをしたい、そんな風に思うようになった。高校の成績は最悪だったので、成績の評価される選考のある海外研修には応募できなかったが、ある時募集のかけられたタイ・バンコクへの研修では成績が問われないという話を聞き、キタ!と思い応募して、面接を通過し、バンコク研修(ほぼ旅行)が決まった。初海外というだけあって高揚したし、バンコク国連機関を訪れたりもして、いわゆるグローバル化への意識は高まった。そしてまあ単純な私の夢は、国連で働くことになった。

高校時代は、その真面目な夢と、音楽への思いが葛藤していた時期だった。だから大学入試の際は、流行りの国際ナンチャラ系の学部と、音楽に関わる勉強ができそうな学部を混ぜた。受かったところに行けばいいや、運命に任せよう、くらいの軽い気持ちだった。結局後者の音楽に関わる勉強ができそうな学部に合格して、入学して、精神を病んで、辞めて、そうだ!やっぱり国際ナンチャラ系にいこう!と思って、国際開発学部に入って、精神を病んで、辞めて、今ニートをしている。

私は今、高校生の頃の海外への強い憧れや、純粋な正義感が恋しい。取り戻したい、とは違う気持ちなので、懐かしい、が正しいかもしれない。とにかく随分濁ってしまった。海外だって、人がいて違う文化の中で生活している、それだけのようにも感じるし、開発学部の人たちが使うjusticeが何かもわからない。国連機関の活動に強い関心があるかというとよくわからない。広い視野で物事を見ると、手元にあるものを見失ったり、逆にそちらばかり気になってしまったりする。結果的に、国際ナンチャラに狭まった話ではなくて、人間について深く知りたいと思うようになり、文化人類学や心理学や社会学などに興味が持てたのは良かったので、そんな勉強がこれからできたら楽しいかなと思うけれど、こんな一連の興味関心の変化が二回の大学中退を伴っているのは本当に馬鹿らしいと思う。辞める際はいつも「わからないことにぶつかるのは未熟だからだ、もっと突き詰めて勉強すればわかることも増えるから、今辞めるのは勿体無い」と思っていたし、結局辞めることになった一番の原因は心身の崩壊だったから、そんなに自分を恥じてはいないけど、やっぱり悔しいなと思う。

今、初めてアルバイトもしていない本物のNEET(Not in Education, Employment or Training)になって、大学にもう一度だけ縋り付いてみようと予備校(私は予備校はin educationにカウントしない)に通ったりしてみているけれど、なんだか未来が覚束なくて、相変わらず情緒不安定で、体調が悪くて、ぐったりしている。学びたいことはあるけれど、大学生活自体が不安すぎてモチベーションが上がらなかったり、志望校が定まらなくてモヤモヤして、色々重なって憂鬱だ。そんな状態をさらに情けなく思って憂鬱だ。誰かに相談したいと思っても、心療内科の先生とカウンセラーと他の一人とか二人くらいにしか本音で相談できそうにない。小さい頃から広い世界に興味を持って生きてきたのに、今はこんなに狭い狭い世界に閉じこもっていて、なんだか皮肉だなぁと思う。

まだまだ、グローバルエリートへの道は長い。(特になる気もない)