実家
此処は、全てが驚くほど近い。
此処にいると、想像力を働かせなくとも、考えなくとも、最短距離で全てが入ってくるから、不思議なほど力が抜ける。記憶、感情、知識、自然に働く力、光や風や引力、色や形、音、とても優しい方法で私の中に入ってくる。
靡いてサラサラと音を奏でる葉、以前より錆びた理容室の看板、変わらず堂々たる橋、開発の進んだ街のピカピカしたマンションの窓、耳をつく学校のチャイム、よく寝っ転がった大きな石、雀を拾った通学路に立つ木、寂しそうに下を向く花、忙しなく飛び回るシジュウカラ、広くなった道路の濃い色をしたコンクリート、狭くなった川の静かで強い動き、重たくてかたい毛布、コートについた猫の毛、傷だらけのフローリング、中学の文化祭のバザーで買ったオオハシの嘴が取手になってる使いにくいマグカップ、イギリス土産に両親にあげた紅茶を入れる缶、勇ましい顔をしたスーツケース、父がくれたパスポート入れ。
家の中にいても、外にいても、近い、近い、近い。
知ってる、知ってる、知ってる。
見える、触れる、聞こえる、わかる。
感覚情報が私に入って来たとき、潔く深いところまで来てくれる。怖くなくて、不安がなくて、色が鮮やかで、しっかりしてる。
初めて東京へ訪れたのは、2013年5月。
下北沢を歩いた時に、今までにない感覚があったことを忘れない。知らない画が、思い出が、頭になだれ込んできて、痛くてたまらなかった。ここにはいられない、と直感的に思った。理由はわからなかった。
にも関わらず夢を叶えるステップを踏むため上京したのは、2014年3月。
それから今まで、実家に逃げ帰ることだけは避けて来た。医者に言われようが拒否した。何がなんでも実家に住むのだけは嫌だった。家族は大好きだけど、一度出た家に戻る弱い自分を許せなかった。
それがなんだ、年末年始の休暇を終えイギリスへ戻るフライトを控えた数日間、私は世界一弱い留学生だったと思う。イギリスに戻りたくない、戦場に行きたくない、帰りたくない、帰りたくない、無理だ、私には無理、まただめになるんだ、フライト中にパニックになったらどうしよう、向こうで倒れたらどうしよう、怖い、怖い、怖い、怖い。初めてあんなに戦場へ向かうことを恐れたと思う。
今実家で療養という名の下、毎日虚空を見つめながら、鳥のことを考えたり、気の向くままに泣いたり、笑ったりしながら生活しているけれど、なんてここは疲れないんだろうと思う。
私は多分、この三年間で、刺激を受けすぎた。広すぎる世界を、小さい頭に詰め込みすぎた。知らなくていいこともたくさん知ってしまった。それは不条理な運命の存在だったり、善悪の境の薄さだったり、異性だったりする。ここに帰って来て私は、自分で思っているより、自分がいわゆる感受性が強いことを確信しつつある。それが弱みであるか、強みであるかは、知らないし、知りたくもない。
私には選択肢がたくさんある。時間も、お金も、問題なく動く身体も、家も、家族も、兄弟も、なんでも持っている。なんて恵まれた身なんだろう。でも、誰がこれを望んだというんだろう。誰が、幸福になることを、強制されなければならないんだろう。
誰が、幸福を図れるだろう。ものさしはない。
平等なんてない。ないからこそ存在する概念だ。ないからこそ人は求めるだけだ。
実家は食べ物が美味しい。
実家は猫がいて癒される。
実家は満たされすぎて、満たされない。
実家は、幸福を強制してこない。
この場所が私の生まれた場所。情報が、煩わしい社会フィルターを通らず、直接私の奥へ奥へ届く。世に汚れていない、小さな小さなマトリョーシカが心に現れる。小さな小さなマトリョーシカも、外気に触れれば、すぐに汚れていく。陽に当たり、陰を探す。雨に濡れ、大気のゴミが付着する。
実家は満たされすぎて、満たされない。
いつだってそう!