The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

最初胡散臭いと思った勉強法の本の感想

 今日は読んだ本の感想をまとめておこうと思います。ツイートするだけじゃ頭に残らないと思ったので。

 

今回↓こちらの本を読んでみました。

16万人の脳画像を見てきた脳医学者が教える「脳を本気」にさせる究極の勉強法

16万人の脳画像を見てきた脳医学者が教える「脳を本気」にさせる究極の勉強法

  • 作者:瀧 靖之
  • 出版社/メーカー: 文響社
  • 発売日: 2017/07/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 いい勉強法の本はないかなあと本屋をうろついていたときに見つけたものです。探し始めた時は、勉強法の本ってなんだか胡散臭いものばかりで困りました。元々頭のいい人書いた自慢臭いやつとか、小手先だけのテクニックがたくさん載っててどうも自分には取り入れられなさそうなやつとか、大学受験に特化したものとか、そんなのばかりでした。その中で「これならマシかな」と思い手に取ったのがこの本でした。文字が大きいから1日で読めるし、ちょっと買ってみるか〜と妥協した結果でした。

 

 タイトルは胡散臭いし、文字は大きいし、かなり疑いの気持ちを持って読み始めました。しかし読み終えた感想としては、「買ってよかった〜」です。

 

 本には、元来脳は「知る」こと、「勉強する」ことが好きだということ、大人になると記憶力が落ちる、わけではないということ、働かせ続けることで老化を防ぐことができること、効率よく勉強するために取り入れるべき習慣のこと、など簡潔に色々と書いてありました。他にも科学的な裏付けがある「大人の脳に向いている」具体的な勉強法も書いてあって参考になりましたが、何より私は「夢を持つこと、好奇心を持つことが脳のパフォーマンスを上げる」といういった記述に惹かれました。

 

 私は我ながら好奇心が強い方だと思います。子供の頃から「なんで?なんで?」と聞きまくって大人を困らせていました。小学校に上がる前には小学校の勉強にめちゃくちゃ楽しく取り組んで図鑑や児童書が好きでよく読んでいました。小学校に入ってからは、スポーツはバスケットやバドミントンを習い、ピアノも習い、親が持っていたギターを弾き、フルートを吹き、作詞作曲をし、毎日ブログを執筆し、さらに小説を書い(て何度も挫折し)たり、漫画を描いたりもしました。他にも劇団に入ってミュージカルに出たり、進研ゼミ(続かなかったけど笑)をやってみたり、一人で漢検の勉強をしてみたり、インコの飼育本を丸ごと暗記して毎日親に内容を聞かせつつ飼わせてくれと頼んだり、色んなことに自発的に取り組みました。親にやれと言われたことは何一つなくて、すべて自分からやりたいと言い出したことでした。今思うと「やりたい」と一定期間言い続けるとやらせてくれた親には感謝しかありませんが。そんな私は大人になった今も好奇心が絶えません。私はこの好奇心は宝物だなと心から思います。5年前適応障害になって、抑うつが酷くて、文章も理解できず上手く言葉も操れないほどに脳が壊れてしまった頃も、いつだって私にはやりたいことがあって、夢がありました。だからこそここまで回復できたのだなと心底思います。今もやりたいことがたくさんあって、そのために頑張ろうと毎日のように気を引き締めることができます。この本を読んで、改めて自分の強い好奇心を大事にしようと思えたし、これでいいんだ、と思えて、とても嬉しかったです。

 

 同時に、こんなことも考えました。どうしても好奇心が持てない人、さらには、好奇心を持つところに到達するために元気な脳を作るために生活習慣を整える元気すらない人は、一体どうしたらいいんだ?

 

 私の兄はよく「すごい人には根本的な生に対するエネルギーが潤沢にあるけど僕にはない、どうしたらいいんだろう」と言います。私もその気持ちはよく理解できます。すごいなあ、活動的だなあ、と思う人が、どうしてそんなに腰が軽いのか、色んなことに手を出して器用にこなすことができるのか、全く理解できないなということがあります。でも私はこの本を読んで「要は脳の違いだな」と感じました。本書では脳を、可能性を秘めているが扱いの難しい小馬に例えていましたが、まさにその小馬さえ上手く育ててあげれば、なりたい自分になれる気がしました。なんだかクサい文章になりましたが、文字通りのことを思いました。脳には可塑性があります。本にも書いてあったし、20代になって脳の機能の仕方が変わったなと感じた経験、抑うつ状態からの回復の経験を通して、強く実感していることです。脳が変化し続けているということは、良い方向にも変えることができるわけです。しかしそこに、「変えるための元気がない場合はどうするんだ」という問題が生まれます。変えるためには、自分がなりたい姿を死ぬ気で考えること、夢を持つこと=モチベーションの向上、そこから実現に近づく環境を整えること、生活習慣を見直すこと(食事と睡眠と運動を見直す)、などが書いてありましたが、それは理解できます。しかし、それを実行に移すやる気が出ない場合はどん詰まりではありませんか?どうしたらいいんだ?...その答えは本には書いていなかったので、少し考えてみました。

 

私の答えは、単純ですが、「ほんの、もうめちゃくちゃに小さな変化でいいから作り出すことから始める」です。もうめちゃくちゃに小さいことでいいから変化をつけることです。本には脳にとってのハードルを下げる=負担(ストレス)を小さくすることの重要性も書かれていたし、多分私は正しいと思います。例えば、兄を例に考えてみれば、勝手に書いて申し訳ないんですが、兄は趣味に時間を注ぎたいけれど、仕事のある日は帰宅してもスマホを触って終わりだし、休日もスマホをしている時間が長くて満足に取り組めません。未来に希望がないから未来のことを考えるのが基本的に嫌で、職を変えようとしているけどなんだかパッとしません。私がもし兄で自分の生活に小さな変化を出すとしたら、まず睡眠時間を長くします。(普段6時間とか言っていた) これならハードルが高くないし、脳の休養にもなってグッドです。あと他にも、「やりたいこと」について人と語り合う、なんかができる気がします。多分ですが、兄には「やりたいこと」がなんとなくいくつかあります。あるのに取り組めないのは、1.スマホに時間を取られている 3. なんとなく体がだるくて元気がない 2. そもそも「なぜやりたいのか」というもっと根本的なモチベーションが明確でない というのが大まかな理由なんじゃないかと思います。特に大事なのは3.だと思っていて、人と語り合うことで何をやりたいのか具体性が生まれたり、励ましてもらえたり、自然とやる気が出たりする気がします。人と話すだけならそんなに難しいことじゃないのではないでしょうか。他にも、漠然と未来に希望がないというのは、目の前のことが楽しめていないからなのではないかと推測するので、集中する時間をもっと作ることでカバーできるんじゃないかと感じます。人生ってつまりは今この瞬間の積み重ねだと思っているので、今が充実すれば自動的に人生も豊かになるのだと私は信じています。集中して生産的なことに取り組む時間を増やす、それももうめちゃくちゃちょっとで良くて、本当に1日1個興味のある編集ソフトのオペレーション動画を真面目に見るとか、ほんの5分でいいから英単語を眺めるとか、です。そのためには「行動に移しやすい環境づくり」が必要となってくるわけですが、そのための行動だって、もう、めちゃくちゃに少しでいいと思います。例えば英単語帳をいつも触るソファの上にいつも置いておくとか。

 

 つまりすべきこととしては、

①夢や目標を持つ

→持とうにも持てない場合は「やりたいこと」を考えて、なぜやりたいのか掘り下げて考え、夢や目標につなげる(TOEICで高得点を取りたいから英語の勉強がしたい、ではなく、そもそもなぜ英語がやりたいのかを考える)

→「やりたいこと」がない場合は子供の頃好きだったこと、今までやってみて少しでも楽しいと感じたこと、やりたいと思ったが諦めたこと、やっていて心地いいこと、などを思い返してみる

→夢や目標が思いついても「どうせだめだ」とか「そんなことしてもしょうがない」とネガティブな考え方に陥る場合は、目の前にあることや手の中にあるものを満喫できていない、そういった経験からくる無力感があるため、ネガティブなことを考える余裕のない「集中する時間」を設けるようにして、無力感や薄い絶望感を少しずつ取り除いていく。それは現実逃避ではダメで、少しでも生産的で、事後に「やってえらかったな」と自分が思えることにする。

★今自分が持っている環境や能力、モノや人との繋がり、などを見直して、低評価したり卑下したりするのでなく、大事にして、生かす方向で考えてみる。

 

②夢や目標を叶えるために必要な行動を起こすために有効な環境づくりを考える

→勉強だったらハードルを下げるためにリビングに教材を置く、夜勤をやめて日勤の仕事にする、睡眠時間を増やす、時間を決めるのでなくいつでもやりたくなったときにできる手軽な筋トレを調べる、家で勉強できないならカフェに行く、定期的に友人に会って進捗報告をする、ブログで記録をつける、など

 

③環境づくりの行動を起こすための行動のハードルを最小限にする

→リビングに置く教材は1つから始める、日勤の仕事に変えるための転職活動を1日5分からでいいのでやる、よく眠るために寝る前のスマホをやめたいがいきなりベッドに入る前30分間スマホを触らないというのは厳しいのでベッドに入って10分はやってもいいことにする、筋トレについて調べるのが面倒なのでとりあえず暇なときに家でスクワットをしてみる、カフェに週1でもいけたらOKということにする、友人に定期的に進捗報告は難しいのでとりあえずご無沙汰な友人に声をかけてみて交友スイッチを入れる、ブログはだるいのでとりあえずTwitterに進捗報告をする、など

 

こんな感じかなと思います。

一気に頭で考えるのは難しいので、ノートやメモ帳に書き出して頭を整理してみることをお勧めします。私は考えを整理したいときはノートに書き出すようにしています。その行動を起こすのもかったるい場合は、家だとだらけてしまうからカフェでやってみる(誰もノートの中身なんて見てないので是非やってみてほしいです)、最初の①だけでいいからスマホに書きだしてみる、頭でちょっと考えるだけしてみる、この方法や発想に興味を持たなかったということは自分に合っていないと判断して切り捨てる、などでいいと思います。

 

 

私の例で言えば、私は勉強がしたいです。慶應通信で勉強をしています。なぜなら、修士課程、博士課程に進みたいという夢があるからです。それはなぜなら、生物学や神経科学の分野で研究というものがしてみたいからです。それはなぜなら、適応障害の治療生活を経て脳に興味を持ったからだったり、昔から鳥類を始め生物が好きだからだったり、科学者という職業と研究という行為に漠然とした憧れがあるからだったり、好きな海外ドラマのキャラクターが科学者だからだったりします。そのためには毎日、目の前にある勉強のタスクを地道にこなさなくてはいかなくて、そのためには脳とうまく付き合っていく必要があるので、睡眠を8時間取り、食事は低GIなものを選び、毎日家を出て少なくとも散歩はするようにします。そのためにはTwitterで意気込みを書いたり、自己カウンセリングノートで思考を整理したりします。勉強においては、テキストはザーッと読んで全体を把握して脳に予習させてから楽しさをもって細かいところを学習していくようにします。テキストはリビングに置いて学習のハードルを下げます。といった感じです。

 

 本を読んでも疑問が残ったので自分で答えを導いてみましたが、多分こんな感じで脳がいい方向に変化していくと思います。確証はありませんが。

 

せっかく可塑性のある、希望のある脳を持っているのだから、なんとか活用して、少なくとも私は、少しでも楽しく生きたいです。なぜなら生きるしかないので。生きるしかないなら少しはマシな人生がいいです。そのためには努力が必要だけど、そのハードルも下げに下げれば何かしら今の脳でもできることがあるはずです。そして小さな努力を重ねていれば、少しずつ生活は良くなるんじゃないでしょうか。お金がなくても、恋人がいなくても、仕事がつらくても、要は脳です。脳が元気になれば、適応すれば、楽になると私は思います。逆に脳が環境に適応しきれず苦しいなら環境を変える小さな小さな努力をするしかないです。そんな小さな努力すらできない、元気がなくて苦しいようなら、精神科で薬をもらって化学物質に頼ればいいと思います。それは恥ずかしいことでもなければ、ダサいことでもありません。

 

 

 ちょっと長くなりましたが、私はこのブログを書くことで読んだ本についてしっかり頭に入れることができました。ついでに読んでくれた人の一助になれば望外の喜びです。紹介した本は、短くて読み終わるのに時間もかからないし、素直な態度で読めば読後には何かしら前向きな感覚を得られると思うのでおすすめです。

 

読了ありがとうございました。

 

おわり

勉強ができるようになった

 正直言って私は昔から勉強が「できる」タイプの人間ではありません。中学まではどこにでも一定数いる「勉強しなくても成績が良い」タイプでした。しかし高校に入るとそうはいかなくなり、成績はだだ下がりでした。残念ながら、高校の内容も努力なしで上手くこなせるほどの頭ではなかったようです。せめて授業で吸収すればいいものも、授業中も寝ていた、なんなら学校をサボっていたので仕方もありません。

 

 そんな感じで大学生になった私はPMS発達障害を起因に心身を病んでしまったので、もちろん勉強なんてできませんでした。一つ目の大学では無論、二つ目の大学でもろくにできませんでした。大学に入れば今までと違い強制されず好きな勉強ができるんだ、と期待していた私は、やりたくてもできないという現実に苦しみました。自分が悪いのだ、だめなのだとたくさん自責を重ねました。勉強はやりたいことであるのと同時にやらねばならぬものだと自覚していたためです。

 

 今考えてみると、私がこの5年半取り組んできた精神疾患の治療というのは、概して「勉強できるようになるための努力」であった気がします。私は新しいことを学ぶのが好きだという気持ちや、学んで成績を出さなくてはいけないという責任感が人一倍強いです。しかし、私は子供の頃から「勉強」という行為をする習慣が微塵もありませんでした。机につくことにさえ抵抗がありました。しかも長引く心身の不調が勉強から私を遠ざけていました。完璧主義の始動(思うように完璧にこなせる自信がないからそもそも触りたくないといった思考)や強すぎる不安(失敗したらどうしようと思うと怖くて触れない)がストッパーにもなっていました。その状態は無論めちゃくちゃにストレスフルで息苦しいものであり、そこから脱するために行ってきた努力は、結構なものだと自負しています。

 

 そんな私ですが、ハッキリ言って、最近はちゃんと勉強ができています。生活に学習が馴染んできている感じがします。「継続」という名前のアプリを使用して「30日間毎日英語をやる」目標を決めて取り組んでいたんですが、コケる日もあれど一応最後まで成し遂げることができました。と言っても理想のごとく毎日6時間や8時間もできているわけではありませんが、何より「家で勉強すること」ができるようになりました。多分読んでくれているみなさんにとっては努力を要さない普通のことなんでしょうが、私の中ではかなり大きな進歩で、涙が出そうなほど喜ばしいことです。あの本が読みたいな、とふと思っても、強いストッパーと不安が襲い、できず、鬱になる、それが私の普通だったので、これは本当にすごいことです。

 

 「勉強ができるようになった」というのは単純なことですが、私にとってはたくさんのことを意味します。まず、「安定して毎日生産的なことができる」ようになったことを示します。何もできず一日中寝ているような日もあった私にとっては大きなことです。要は体がちょっと強くなったとも言えます。次に「完璧主義思考が緩やかになった」ということです。例えばなんらかの理由で勉強ができなかった1日の終わり、「思うようにできなかったからもうやりたくない」と思わず「少しでいいから何かやろう」と手をつけられるようになりました。他にも、今までなら「計画していた科目すべてのレポートが出せなさそうだ、もう嫌だ怖くて触れない」と震えていた私が、「次のレポート提出までに全科目は無理そうだから減らして、できる限りで頑張ろう」と思えるようになりました。思考の歪みがなかなかに矯正されたと言えると思います。他にも、完璧主義を発動させる原因となっていた「自信のなさ」が少しマシになったと思います。「自分には達成できないかも」と思うから怖くて不安でテキストに触れられなかったわけですが、最近は「とにかくやるしかないからやろう」と自分を奮い立たせることができるようになりました。普通に人にできることができるようになっただけだけど、私にとっては大きな変化です。

 

 なぜこんなに変われたのか?というと、やはり薬のおかげが大きいと思います。今飲んでいる薬(レキサルティと炭酸リチウム)を飲み始めてからかなり生活が変わりました。鬱に沈む時間が激減したし、以前より頭もスッキリしています。副作用で太ったっぽいけど、薬を止めることが怖いし、それはそれで困ったなと思っています。他にも、一度婦人疾患を患った部分が再度痛んでおり、もしかしたら薬が女性ホルモンの分泌に関係しているせいかもしれないなと考えたり、色々不安もあります。もし薬を変えることになっても、この現状を維持できたらいいなと思っています。また、こんなに変われた理由の一つに、恋人の支えがあると思っています。私は上述の通り思考に癖があるので、困った時に正しい方へ導いてくれる彼の存在は有り難いし、何かあるとなんでも肯定して褒めてくれることも、家事の手伝いをしてくれていることも、かなり有り難いです。本当に感謝しきれません。

 

 

 以上、嬉しい進歩があったので記録しておこうと思い書きました。読んでくださった方ありがとうございました。まだまだ不安定な時もあるけど、これからも勉強を楽しく頑張ります。よかったら応援してください。慶應通信の同志のみなさんは、一緒に頑張りましょう。

 

おわり

生活と心が少し安定した

初めて気分安定薬がきちんと効いてる感じがしています。いつも生理前になると全身倦怠感、眠気、抑うつ希死念慮がひどくて何もできない日もあったのですが、前回の期間は眠気くらいしかなくてかなり平気でした。あんなに気持ちの軽い生理前は何年ぶりかわからないほどで、とても嬉しいです。

 

5年前上京してから長い期間通院した精神科を変えたのが功を奏したなと思います。おばあちゃん先生で気に入っていたのですが、距離的にも遠いし、発達障害に少し否定的な発言をされたので、治療もどん詰まりな感じだしもうやめようかな、と思ったのが理由でした。結果的に変えてよかったです。新しい先生は若い男性で、発達障害に肯定的で、新しい薬を積極的に試させてくれます。高圧的でなく、口数が多いわけでもなく、でも毎回とても真剣に考えて薬を処方してくれます。これからも数年通うことを見越して自立支援制度を使うことにしたのですが、今の病院を指定しようと思っています。

 

話は変わりますが、新しいアルバイトを始めました。勤務時間が昼だけや夕方だけの飲食バイトもしているのですが、ランチだとスタートが11:30からなので早起きの必要がなく、ディナーだと帰宅が12時になってしまったりして、どうも生活が不規則になってしまうので、朝から夕方までの仕事を一つやって生活リズムを整えたいと思ったのが理由です。始めてから約1ヶ月、とてもいい感じです。仕事内容にも上司たちにも特に不満がないです。特別楽しい!というわけでもないけど、「不満がない」というのは大きいと思うし、概して満足しています。レコードやCDや音楽雑貨を扱っている会社での軽作業と事務の仕事なので、たまに好きなアーティストの作品を手に取ることもあり、少し嬉しかったりもします。なるべく長く続けたいなと思っています。

この仕事のおかげで最近は、用事のない日も朝8時までに起きられるし、夜は23時までに寝る習慣がつきました。とても満足しています。

 

最近の変化といえば他にもあって、Twitterをやめました。高校生の頃からやっていて、大学に入学してからは随分と入り浸っていましたが、遂に自分の意志でやめることを決めました。理由は、疲れたからです。Twitterには有益な情報もあります。世界のかわいい生きもの動画や画像とか、一般人の愉快な日々の話とか、いろんな専門家の興味深い意見とか、好きなフォロワーの日常とか、手放しがたい、色んな面白い情報が溢れています。でもその一方、不快になることもたくさんあります。価値観が全く違う人たちの攻撃的、否定的な発言は目にするだけで不愉快だし、時にはそれが私自身にダイレクトに匿名で浴びせられることもあります。私は大学に入って適応障害を患って以降、メンヘラとして自分をコンテンツ化してアカウント運営していた時期もあり、その頃は特にひどい誹謗中傷を受けることがありました。特に激しい時期を過ぎた最近でも、やはり質問箱を経由して悪口を投稿する人がいたりして、もうさすがに疲れてしまいました。私が攻撃の対象になる理由はなんとなくわかります。私の持つ資本や経歴が、ある人たちには不快感や嫌悪感を与えるんだと思います。ですが、私は誰か特定の人の悪口を書いているわけでもなく、日々を綴っているだけです。なのになぜ、赤の他人から攻撃されなくてはいけないんでしょうか。そういうネットリテラシーのない人に目をつけられながらのインターネットなんてもう嫌だし、とっととやめてやろうと思いました。

アカウントをまた作るときはくるかもしれません。ですがその時は、今までの私を匂わす情報は極力掲載しないようにして、ツイートの方向性も変えようと思っています。

Twitterのない生活は充実しています。まだスマホを開いてもやることがなくて手が止まってしまうタイミングがありますが、慣れていくでしょう。ただ、長いことツイートを見ていた人たちのツイートが見られないのが少し残念です。所詮インターネット上の薄っぺらい人間関係かもしれないけど、少なくとも私は大事な友人のように感じている人たちもいたからです。その人たちとつながっているために、また再開するのもアリだなあと思うほどです。だけどそれは、もう少し先でいいかなと思っています。

 

 

こんな感じの変化を含みつつ、日々はいい感じに進んでいます。家族とも彼氏とも仲良しで、飼ってる鳥もトカゲも愛しくて、毎日平和です。バイトも慣れてきて、不安なことも少ないです。鬱な気分に陥って動けなくなることもほぼなくなりました。残るは、大学の勉強を着実に進めていくことです。今までは、勉強を頑張ることを最優先にしてバタバタして、でもそもそも生活や気分が安定していないから上手くいかなくて、空回りしていたような気がします。今なら、落ち着いて勉強に取り組める気がしています。そう、願っているのかもしれませんが。

 

勉強は大事です。私が一番やりたいことのはずです。だけど、体調や精神状態、生活リズム、それらが不安定では勉強もできるはずがない、ということを今回身をもって学べたので、これからは自分自身のケアを第一にしていこうと思います。

 

 

 

質問箱に匿名で送られてきた悪口メッセージに書かれていたことをまだ覚えています。「あなたがあなたでいる限り夢なんて叶うわけがないと思う。」「自分にできることとできないことを客観視したほうがいい。」。読んだ時は、こんなことを書いて匿名で送る相手に対する哀れみと蔑みと怒り、悲しみ、色んな気持ちに駆られました。最初は怒りや蔑みや反動的に生まれた「やってやるぞ」という意志が強かったものの、その後2日ほど、たまに思い出してはとても悲しくなりました。「あの人の言う通りなのかなあ」と思いました。私には勉強はできないから、働くしかないのかなあと何度も思いました。この東京で週5で働いて、休みの日は彼氏や友達と過ごす生活を想像しました。できるとは思います。だけど、そうやって本腰を入れて働く生活に、私は意味や、希望を見出すことができると思えません。意味や希望を感じられる仕事なんてそうそう出会えないと思います。仕事より私は学びたい、学び続けたいです。もう24歳、されど24歳、まだまだ若いからこそ、後悔しない選択をしたいです。だから、今のまま通信での勉強を続けながらアルバイトをやります。海外の大学院に行きたいという無謀にも思える夢は、叶わないかもしれません。だけど、夢がないと私は生きていけない、夢があるから生きていけるので、この夢は持ち続けるつもりです。本屋で心弾ませることができる限り、博物館で胸が熱くなる限り、自身の研究ができる場所を目指して生きていこうと思います。私の場合きっと人より道のりは長く険しいけど、毎日小さな努力を積み重ねていきたいと思っています。

 

「できないこと」と「できること」があるのは当たり前です。でも「できないこと」が「できること」になる可能性は大いにあります。そのために努力する、シンプルにそれだけです。夢は叶わないかもしれません。でも今ある夢が叶わなければまた新しい夢を持てばいいだけです。もちろん叶えることは大事です。「叶わない夢なら持ちたくない」といった歌詞も多く見受けられますし、気持ちも分かりますが、それは極端です。柔軟性を持つべきです。私はかつて極端でした。自分の人生計画や夢がその通りにならないのなら死んだほうがいいと思っていました。何度も死のうとしました。でも私は間違っていました、夢は叶えることが全てはありません。無論、今でも「なんとしても時間がかかっても絶対叶えたい」とは思っていますが、万が一ダメでも、また新しい何かに向かって、その時手の中にあるものを大事にしながら、日々を生きていこう、と思えます。こういうしなやかな考え方ができるようになって、ずいぶん楽になりました。

 

私は「私が私である限り夢は叶わない」とは思いません。どこかの誰かがそう思うのは自由ですが、私は私である限り夢を追い続けます。「できることとできないことを客観視したほうがいい」は正しいかもしれません、確かに客観視することは大事です。ですがだからといって「できないこと」をできないと切り捨てることはしません。努力の意志が持てる限り、誰かが「どうせ無理だろ」と思ったとしても、私に対して口にしたとしても、「できること」に変えるために毎日努力をします。

 

 

ここ数日ずっと考えていたことがまとめられてよかったです。もう匿名の人間からの悪口を思い出して涙ぐむことはなくなりそうです。むしろ、おかげさまで自分の考え方を再確認できて嬉しいです。いい機会をありがとう。

 

 

では、今カフェにいるので、今後の大学の勉強についての予定をまとめてみようと思います。

がんばるぞ。

映画『トールキン 旅のはじまり』を観た

映画を観終わった後、脳がパンクして、しばらくぼーっとしてしまいました。

 

映画としての出来は普通だと思いました。これといって強い感銘を受けるなシーンなどもなければ、音楽も普通に合ってるしよく出来てる、という感じ。「これは...」と思う演技をする人もいなかったし。量産型の伝記物映画なのかなと思いました。

 

でも私は、そういった映画の「外面」より「内面」から多くを感じることができる感性がまだ残っているようで、トールキンの人生や彼を取り巻く環境を知って、あまりに多くのことを考えてしまいました。

教育、社会階層、家族、友情、歴史、戦争、西洋、東洋、学問、才能、努力、好奇心、不条理。生、死、ファンタジー、現実。

 

あらゆる記憶がフラッシュバックしました。

小学校の昼休み、図書室で一人読み込んだファンタジー作品。異世界の空気をまとって少しぼんやりする頭で図書室から教室へ帰るときの感覚。読み終えた時の充足感と満たされなさ。異世界で主人公たちが今頃どうしているのかを想像する楽しさと、そんな世界はないんだと私に囁く私の中にいる「大人」。

世界史の資料集で、テレビ番組で、広島の原爆資料館で、オランダのアンネ・フランクの家で、色んなところで見た世界大戦にまつわる写真。生きた兵士、死んだ兵士、生きた女子供、死んだ女子供。焼け野原、放射線で一部変色した壁、強制収容所の狭いベッドやガス室爆撃機、戦艦、爛れた皮膚、骨と皮になった腕。

今まで通った大学の教室のざわめき、逃げ込んだトイレの壁の凹凸、授業後に寮へ帰る時に聞いたアルバムのジャケット、新しいことを知る瞬間の高揚、生まれた疑問の答えを考察している時の興奮。触れることさえできなくなったテキストたちの表紙。

 

戻れない10代への後悔、24という数字と諦め、チラつく希望と、それを遮る絶望の影。

まだ燻っている学びに対する意志と、「どうせ」という言葉の葛藤をさらに強く感じました。

 

 

 

トールキンは天才だと思いました。もちろん教育熱心な母親が幼少期から言語を学ぶ機会を与えたことや、低い身分でありながら上流階級の教育を受ける機会を与えられたことなど、運が与えたものは大きいでしょうが、だとしても、想像力、言語的なセンス、新しい環境へ適応する力などは先天的なものでもあると感じました。

 

無論、私にはそんな運もなければ才能もありません。4歳で異言語を読めるようにはならなかったし、子供の頃に自分の言語を作ったこともありませんでした。教育にお金をかけてくれる比較的富裕な家に生まれましたが、彼の行った学校のような上流階級の子供たちが集まる環境で伸び伸びと創作活動に打ち込めることはなかったし、曲を作ったり、詩を書いたり、小説を書いたりすることはあれど、それを形にして人に発表する機会もなく、やり方もわからず、あの頃の私が生み出したものは、すべて宇宙の果てに消えてしまいました。

 

後ろを見ても仕方ないので前を向いたって、あまりに視界が悪い日々が続いています。自分でも、失敗経験やトラウマに囚われすぎだという自覚はあります。しかし、怖いものは怖いです。脚が硬直してしまうこと、躓いて崖から転落してしまうこと、突然月のない夜が来てなにも見えなくなってしまうこと、あらゆることがいずれ起きる気がして、歩き出すことさえできません。もはや、セルフコントロール不能だと感じます。どうしても脳が拒否します。

 

私だって大手を振って人と違う自分の道を進みたいです。でも私には上手くいくと信じる元気はもうなくて、ただ縮こまって、宙を見つめることしかできません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

具体的に言うと、勉強ができません。

 

大学の通信課程で学んでいるけど、目標を高く掲げた7月に思うように学習が進まなかったことを皮切りに、どんどん崩壊してきています。先延ばしすればするほど、手をつけるのが怖くなりました。通信課程で卒業できる自信もなければ、かと言って今から通学課程へ入学するために受験勉強をしたり、晴れて入学できたとしても元気に通学できる自信もありません。とにかく勉強に対すること全てに自信がありません。失敗が怖くて何もできない。本を読むことさえできません。 

 

何もできないことで悲しくなり、仕事ならできるとわかっているのでもう大人しく働くしかないのかと思うと悔しくて悲しくなります。鬱と無気力がひどく家事すら手につかないので、双極性障害向きの薬を飲んでるけど、薬への期待もあんまりありません。ピルや漢方薬サプリメントを飲んでいる努力も虚しく、相変わらず月経前には希死念慮に覆われるし、眠くてだるくて異常です。

この5年精神科に通って薬やら漢方やら心理療法やらを試してきました。それでも未だに人生が波に乗っておらず不安定なので、もはや治療への希望も失いつつあります。

 

私の学びたいという気持ちは、単なる学歴や「人と同じ道」への固執を越えていると思っています。みんなと同じ学士号が欲しい気持ちはないことはありません。ですが、もっとシンプルに、労働に身を捧げる前に思う存分学んで楽しみたい、という意志があります。やりたいことで食っていきたい、そのためには学ばないと始まらない、そう考えています。

でも失敗経験やトラウマが恐怖を生み出して邪魔をしてくる。そしてそれを克服したい、できるかもしれない、という希望が薄れてきている。

何度も書いてしまっていますが、ネックになっているのは自信のなさと恐怖なので、薬と心理療法でなんとかしていくしかないんだろうとはわかっています。だけど・・・

 

ここまで自信も希望もないとどん詰まりです。唯一の救いは「やりたいこと」があることでしょうか。恐らく、環境はそれを許します。支えてくれる家族や恋人がいます。だけど許さないのは私自身です。自分の足を縛り付けているのは私自身です。それがまた悲しいです。

 

私は失敗を重ねすぎました。そしてその失敗を毎回上手に処理する才能がありませんでした。掃除をサボればサボるほど溜まって頑固になって取れなくなる汚れみたいなものです。薬剤をかけたり何度も何度もこすったりして少しずつ取っていくしかないわけですが、気が遠くなります。

 

とにかく各種薬の服用と心理療法を最優先にして頑張ろうかなと思います。それしか今はできないし。色々理由をつけてバイトを増やそうとしてるけど、実際それだって勉強から逃げようとしてるだけのような気がします。慎重に決めていきたいです。

 

 

 

 

トールキンとは生きた時代も違えば、受けた教育も、生まれ持った才能も、全てが違う。私が学びたいのは彼の選んだ言語学でもないし、私は音楽で自分を表現しようとしてきたけど、彼は詩や物語や絵だったでしょう。だから、比べてどうこうではありません。直接的な劣等感を感じることはありません。だけど、彼の人生が孕むあらゆる要素が間接的に今の私に強い刺激を与えました。鑑賞直後は何が何だかわからないほどパンクしてしまったけど、今なら何が起きたのか理解できます。スッキリしました。

 

総合的に、いい映画でした。トールキンが好きな人もそうでない人も、よかったら見てください。

映画『トールキン 旅のはじまり』公式サイト 絶賛上映中!

 

 

おわり

私は幸せじゃない

24歳を目前にして、PMDDに侵されて、毎日悲しくなっています。24歳。12歳、16歳、18歳、どの私が、24歳になる自分が「こんなこと」になると想像したでしょうか。

 

当たり前にもう働いているか、大学院生か、どちらかだと思っていました。現実、毎日寝て起きて大して何もせずに1日が終わるだけ。調子がいいと2,3時間勉強や読書ができるけど、それでおしまい。大学のテキストは怖くて触れない。行く気満々だった夏期スクーリングも通いきれず取得単位ゼロ。これからどうしたらいいのかもわからなくて、やりたいことはあれど、どうせ無理だと思えてしまい希望も自信もない。あまりに人生がうまくいかなさすぎる。どうしてこうなってしまったんだろうと頭を抱えて、無力さに泣いて、泣き疲れて寝て、起きて、お腹が空いてるから力を振り絞って何かを食べて、適当に夜をやり過ごして、眠れぬ夜を越えて、朝が来て、また悲しくなる。その繰り返し。

 

都内3LDK駅徒歩8分の快適な家に優しい兄と二人で住んでいて、かわいい鳥やトカゲもいて、最高の恋人もいて、帰省したら変わらず温かく迎えてくれる家族がいて、友達もいないことなくて、ただ通信制の大学で勉強すればよくて、バイトも週2で不自由もなくて、何も不満なんて持ちようがないのに、とにかく毎日つらい。毎日つらい。夜になると漠然と不安でたまらない。やりたいと思うことはやりたいと思えば思うほど怖くてできない。とにかく虚しく時間が過ぎていくだけ。

 

もはや自分が何をしたいのかも見えづらくなってきました。大学卒業なんてほとんどの人が普通にできることを成し遂げるために、どれだけ苦労すればいいのか。もう向いてないから諦めるべきじゃないのか。「やりたいことをやりたい!」という気持ちより、「やりたいことはあれどどうせ無理なんだろうな」という気持ちが強くなってきているのを感じます。

 

やりたいことはいまだにたくさんあります。講義を受けて勉強して試験を受けて単位を取ることがしたい。心理学や神経科学の勉強をちゃんと師の元でやりたい。研究をしたい。海外の大学院に行きたい。海外でまた生活がしたい。IELTS8.0取りたい。フランス語を上達させたい。生物学を専門的にやってみたい。なんらかのフィールドワークとか行ってみたい。数学を基礎からやり直したい。物理学を勉強してみたい。統計学を学びたい。経済学もかじりたい。言語学もやってみたい。日本史をやり直したい。世界史をもっと深く学びたい。旅行したい。もっとライブに行きたい。ライブがしたい。もっと曲が作りたい。美術館に行きたい。世界の博物館に行きたい。植物園に行きたい。その国のことをちゃんと学んだ上で海外旅行がしたい。世界の登山鉄道に乗りたい。スイスに行きたい。ジョージアに行きたい。ブルガリアに行きたい。イランに行きたい。トルコに行きたい。ギリシャに行きたい。パラグライダーがしたい。スカイダイビングがしたい。日本の旧国鉄車両に乗りに行って音が録りたい。お芝居をしたい。ミュージカルに出たい。ダンスを習いたい。ピアノを習いたい。東京芸大ガムランを通年で習いたい。ジム通いを継続して健康体になりたい。あわよくば痩せて美人になりたい。英語の通訳の資格が欲しい。英語フランス語以外にもう1言語くらい使えるようになりたい。

 

こんなにやりたいことはあるけど、何一つやれる、やり遂げられる自信がありません。私は失敗経験を積み過ぎました。自分をもう信用できないし、努力する元気もなくなってきています。「20代だからまだ大丈夫」そう言われても、高校時代から着々と積み重ねてきた失敗経験と挫折を抱えた状態で「大丈夫」だなんて思えるはずもないです。

 

モラトリアムなんて早めに終わらせて、周りに流されて大学卒業して、就活頑張ってどっか滑り込んで、気づいたら社会人で、それなり山あり谷ありありながら人生が進んでいく、そんな平凡な人生がよかったです。私の人生は18歳からずっと谷間をゴツゴツした岩や流れの強い川に妨げられながらとぼとぼ歩いているだけという感じです。山を越えようとしても毎回滑って転落して、治らない傷が増えただけでした。最近は足元にある小さな花や見上げるとある星空に現を抜かすのが上手くなりました。上手くなっていくにつれ、現実が怖くなりました。自分と向き合うことが嫌いになってきました。好きでこの道を歩いているはずなのに、何も楽しくなくて、舗装された道がひたすら恋しいです。

 

 

 

じゃあ大学を諦めて働くか?と言われると、まだ嫌です。諦めたくない。だけど、もう仕方ないのかなと感じている自分もいて、混乱していて、叶わない夢や薄れていく希望を想っては泣いています。大学卒業のためにやってきた今までの努力、何も実らなかったな。これからもきっと実らない。もう潮時なのかな。自分でもよくわかりません。

 

今日も明日もきっと、恋人や鳥と穏やかな時間を過ごして、現実から逃避します。明後日になったら誕生日がきて、兄と恋人とチェコ料理を食べて、笑うでしょう。幸せだなあと感じると思います。でもそんなのまやかしです。私は幸せじゃないです。私は幸せじゃない。私は幸せじゃない。私は幸せじゃない。

ツイッター依存者が1週間ツイッターをできなかった

今回、ついにアカウントが永久凍結されたので、1週間ツイッターのない生活をしました。

 

まあなんとなく以前よりリアルを強く感じたかもしれないです。ツイッター依存症なのでせっかく外出してる時もかなりの時間ツイッターを見ていたので、それをやめたことにより、現実世界にきちんと生きている感じがしました。

 

顕著な変化としては、ツイッターの代わりにパズルゲームを始めてハマったってのと、テレビを見るようになったってのがあります。クソですね。ツイッターがなくなれば読書の時間や音楽の時間が増えると期待したんですけど、そんなことはなかったです。暇なときはパズルゲームして、ライフがなくなったらやめて、代わり映えしないインスタを見て、それも飽きたらスマホを置いて、他のこと(非生産的なこと)をしました。先延ばしのためなら手段を選ばないみたいですね。

 

あ、あとテレビをちゃんと見るようになりました。いつもはツイッター見ながらテレビなんて見てたんですけど、ちゃんとテレビを集中して見るようになりました。つまらないバラエティも真面目に見て「色んな人がおるなー」「この芸能人苦労したんやなー」など思うようになりました。依存先がない人はこういう感覚でテレビ見てんのかなーと思ったりしました。

 

最初ツイッターが使えなくなったときは、無意識にアプリを開いたり開こうとしたりしていました。自分でもかなり気持ち悪いなと思いました。アカウントを自分で消したら簡単に復活できるから意志の弱い私はすぐアカウントを復活させてしまっていたんですが、今回はどうもがいてもTLが見れなかったので、なんだろう、脳がバグりました。高1からツイッターに依存していたので、突然依存先が完全に断たれて、変な感覚になりました。でも脳は順応するもので、4日経ったくらいから平気になってきて、興味も失せてきました。でもたまに「あの人のツイート見たいなあ」「突然消えて私のこと心配してくれてる人いるかなあ」など思うこともありました。

 

 

 

永久凍結といってもアカウントは現存しており、メールアドレス認証をすれば復活するはずなんですけど、いくらメールアドレスを変えてもアクセスするデバイスを変えてもツイッターに異議を申し立ててもツイッターからメールが来ないので、どうしようもないというのが現状です。新しいアカウントを作ると英語のメールが来て「永久凍結を回避しようとしましたね ルール違反です」みたいなことを言われるのに、異議申し立てをすると日本語のメールで「ルール違反だったのでこちらはこれ以上できることはないです ログインして手順に従ってアカウントの所有者であることを証明してください」みたいなことを言われ、そしてログインしてメールを送信してもメールは来ず。「一体どうなってるのか 永久凍結なのか それならきちんと通知が来るはずだが来ていない」「メールが来ない 来たことがない」と何度訴えかけても同じ定型文を送ってくるだけで、本当にムカついています。

 

仕方ないので裏技を使って凍結されない新しいアカウントを作りましたが、できれば元のアカウントに戻りたいです。どうしたらいいんでしょうか。サポートチームにメールを送っても全く返信もないし、もうツイッター本社に行くしかないんですかね。

 

 

 

まあでも、これを機にアカウントも縮小して、ツイッター依存から離脱したいとは思っています。がんばります。

 

ツイッターから消えてる間に少しでも私のことを心配してくださった人がいたなら、ご心配おかけして申し訳なかったです。無事、だらだらと呼吸をしていました。今後ともよろしくお願いします。

頭の整理

7月初旬に科目試験を終えてから、2週間半が経過しました。試験後の計画の通りに進んでいれば、今頃いくつかレポートを提出し終えているはずでしたが、進捗ダメです。今日は思考の整理のためにとにかく書きます。

 

まず、試験が終わってから数日間、理由はわかりませんが寝込んでしまいました。その後改めて学習計画を立て直すも、「やらなくては!やりたい!」と思えば思うほどストッパーがかかり、テキストに触れることが怖くて先延ばしをし続けました。途中からそんな自分を責めたり嘆いたりする元気もなくなり、しばらく無の中で佇んでいました。そんな中で夏風邪を引きました。4日間くらい寝てたかな。やるべきことやりたいことからは逃げ、風邪を引き、今度は病を隠れ蓑に、睡眠とゲームに時間を落としました。一昨日風邪から回復し、昨日は以前から楽しみにしていたライブに行ってきました。今日はやっと重い腰を上げて現実と向き合おうと思い近所のカフェへ来ました。

 

無になっている間に精神科へ出向きました。あまりに先延ばしをやめられなくて苦しいし、自分が発達障害の傾向が強い、そのせいで生活不能に今まで陥ってきた自覚もあるので、もうADHDの薬を試す方向で考えていこうかなと相談しに行こうと思いました。しかし副作用が出やすい、自傷癖や自殺未遂や希死念慮のある私に薬は出せないと言われました。「発達障害は男性のものだし女性で当てはまる人は少ないよ?」と言われたのがショックでした。発達障害については色んな考え方の先生がいるし、確かに男性の表現型に準ずる診断基準が使われているとは聞いたことがあるので納得はしたものの、やはり少し悲しかったです。薬に関しては当然だなとは思いましたが、今まで色んな種類の薬を飲んで副作用に苦しんで、カウンセリングもたくさん受けて努力して、それでもなおこんなに毎日憂鬱でやりたいこともできない生活が続いていることを思うと悲しくて、さらに最後の望みのように感じていた発達障害の薬は出せないと言われて、もう終わりのような気がしてしまいました。結局診察室で呼吸が止まるほど泣きました。今までと同じ薬の処方箋をもらって帰路につくも、電車の中でさえ涙が止まらず、家まで泣き続けました。

 

私は一旦精神科に行くのをやめることにしました。薬に期待するのも、「治療を頑張る」のももう疲れました。精神科に通うことで「自分は治療が必要な人間なんだ」という自意識が生まれていて、それが悪影響のような気もしてきました。薬がないと生活ができないほどでもないし、断薬もそんなに問題ではないと見込んでます。

 

今まで私は「治療を頑張って」きたと思います。投薬と心理療法に真面目に取り組んできました。投薬はともかくカウンセリングのおかげで、生活や心が乱れに乱れていた頃よりずっと生きやすくなりました。考え方も落ち着いて極端すぎる思考も穏やかになりました。だけどもうそろそろ限界かなとも感じています。もうこれ以上どう頑張ればいいのかわかりません。発達障害を扱っているカウンセリングルームにでも通ってもっと生活を工夫すれば、神経科学に即した勉強法の本や発達障害の本をもっと読めば、「やりたいことができない苦しみ」から解放されることはできるんですか?本当に努力は実るんですか?もう治療を始めて5年目、「やりたいことができない」せいで心身を壊して大学を辞めること2回、それでもなお同じことで苦しみ続けていて、もう自責をしたり悔し涙を流したりする元気すらありません。カウンセリングで「諦め」を「適切な選択」と言い換えたり、「人と比較して嘆くのではなく治療を頑張ってきた自分を認め」たり、いつでも「良い子」をやってきました。無理をしてでもマイナスな考え方を捻じ曲げて少しでも楽になる考え方を身につけるしかないのだと思っていました。でももうそんなの馬鹿らしいと感じます。疲れました。

 

もう私にはやりたいことをやるのは無理なんだろうなという気持ちすら見え隠れしています。悲しいことに、私は仕事ならできます。仕事場に出向き、やれと言われたことをその場でやることは問題なくできます。でも自主的に本を読んでレポートを書くことも、生活を管理してくれる人のいない生活環境で毎日のように7時とか8時とかに家を出て学校に行くことも、それらとアルバイトを並行することも、というか、今からその生活を目指すなら編入をしないといけないんですがそのためにレポートを書いたり試験勉強をしたりすることも、私にはできないんだろうなと思います。私にはできないです。だってこれだけ努力したのにダメだったから。もう頑張るのも疲れました。頑張らない選択しかしたくないです。

 

 

いつもならブログには前向きなことを書くのに後ろ向きなことを書いてしまいました。すごくつらいけど、ここからは気を取り直して現状に即しつつ前向きなことを考えてみます。

 

 

 

まず編入試験についてですが、7月にレポートを出しまくらないと受験に必要な単位が得られないという話でした。まあ7月はダメダメでしたので、今年度の編入チャレンジは終了ということになります。長いことそれを目標にしてきたのでとても残念ですが、受け入れるしかないです。来年また再チャレンジすることを目指してコツコツ勉強していこうと思います。編入試験に向けて英語とフランス語の勉強、それから単位取得のためのレポート書きと勉強、それから面接対策のための心理学の勉強をします。それにしても、来年度に編入試験を受けるとすると時間的余裕があるので、どうしようかなーと考えています。ずっと目指したいと思っていたIELTS8.0チャレンジに本気で取り組んでみようかな。それか授業に毎週潜る。または何か新しい習い事を始めたり。ダンスかピアノがやりたい!東京藝大がやってる民族楽器の講座を取りたい!または1ヶ月くらいどこか遠くで過ごしてみたい。せっかく自由の身なんだしやれる範囲でやりたいこと色々やりたい。将来の稼ぎに繋がるかどうかとかじゃなくて、心向くままに楽しいことがやりたい...。

 

大学に通学しなくていい余裕のある生活が1年延長されて可能性が広がったと思うと少し元気になってきました。ブログ書いてよかった...。

 

編入チャレンジが失敗したことはやっぱり悲しいけど、前向きな見方をすると「めちゃくちゃ自由な期間が延長された」わけだし、そんなに悲しいことでもないかも。親の金で生活させてもらってるわけだし遊び呆けず引き続き健康と勉強を第一にやっていくけど、あんまり気張らず、リラックスしてやっていきます。もしかして私の今の生活、通学制の大学生なんかより死ぬほど「人生の夏休み」なのでは?通信制の大学だから勉強するもしないも自由だし通学はしなくていいし、バイトは週2でしか入れてないけどお金に困ってないし。毎日何かしら体調が悪いという致命的なディスアドバンテージはあるけど、せっかくこんだけイージーな生活してるんだから、計画が少し崩れたからって人生終わりみたいな気持ちで沈没するのはもったいないですね。楽しくやっていきます!

 

精神科通院に関してはもうしばらくいいかなという方向でいきます。薬はやめる。カウンセリングもどうしても第三者の手が必要だなと思った時に頼ればいいかな程度にとどめようと思います。もしカウンセリングを受けたくなったら発達障害に詳しい人と話がしたいです。

 

 

書いたら少し気が楽になりました。いつもはノートに書くんだけど、思考の整理をすることさえも怖くてペンが進まなかったので、なんとなくアウトプットのハードルが低いブログに書いてみることにしました。書いて正解でした。もしここまで読んでくれた人がいたなら、ありがとうございました。この投稿を終えたら今年や来年の計画を少し考えてみます。あくまでリラックスして、楽しむことを目的に。

 

あー書いてよかった、ありがとうございました。

 

 

おわり