The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている人間の書き溜め

フランスに住み始めた

8月の末からフランスに住み始めた。研究者をやってる彼氏(フランス人)がかなりお世話になってる上司が「日本育ちでイージーモードの生活しか知らない娘に世界を見せたいから」とのことで引っ越しを決めたから。彼に一緒に来ないかと誘われて、彼に師事するメリットのためについて行くことにしたらしい。私はとりあえずワーホリビザでこちらに来た。手続きはそれなりに大変だったが、必要な書類を集める作業はクエストみたいで結構楽しかった。

 

新天地は南フランスにあるトゥールーズという街で、今のところかなり気に入っている。バラ色の街と呼ばれる街で、オレンジ味やピンク味のかかったレンガが印象的。南に位置するため秋や冬でも比較的あたたか。夏はヤバいらしいので二人で怯えているが。私たちの愛の巣はガロン川のそばにあり、街の中心地に出て行く時は必ず川辺を通ることになるため、とても気持ちがいい。河川というのはいい。海のような底知れぬ怖さがないし、波がないので穏やかで、かつ視界が開けていて情報が少ない。フランスに来て寂しかったりもするが、外に出るたびに「あー、やっぱり来て良かったな」と思わせてくれるので感謝している。

 

フランス生活は、まあ、大したことない。彼のご両親や友人たちとは上手くやっているし、語学学校もなんてことない。そばに友達ができなくて寂しいが、まあ今のところは日本にいる家族や友人と話すことで孤独を紛らわしてなんとなっている。双極性障害持ちなので相変わらずうつな期間もあるが、これは昔からなのでここでうつになっているからと言って動揺はしない。境界性人格障害もあるので、発狂して叫び散らかしドアを強く蹴って足の親指を骨折したりもしたが、まあ、私の人生におけるイベントとしては最悪のレベルではない。住む場所を海外に移したからと言って魔法のように精神が安定したり明るい人間になったりしないことは、以前イギリスに住んだ経験から学んでいる。それなりに楽しく、それなりに悲しくて苦しい、いつも通りの感じで生活している。

 

実は初めて恋人との同棲をしているんだが、感想としては、うーん、総じてプラス。だけどドラマチックプラスではない。毎日愛している人間と同じ時間を過ごせて、ハグできてキスできて、この調子でいけば結婚が待ってたりして、幸せではある。しかし、感じるのは「帯同の大変さ」だ。彼の職業柄多く発生する可能性がある引っ越しについていかなくてはいけないため、定住して職を得てキャリアを積めない。私はリモートワークで稼げるようなスキルもないので、引っ越し先々でジャパレス勤務が限度である。まあ労働はそもそも嫌いだし特にこだわりもないのでまだこの話はよかろう。でも、このまま上手くいって結婚になって、子供を持つことにしたら?私の人生って「なくなる」んだろうか。オンライン大学を出たいという希望は?私は「キャリアも学歴もないパートママ」になるんだろうか。そう思うとどうしても怖い。私は天賦の強い好奇心を持っているので常に新しい知識を求めて走り続ける自信はあるが、一方で母性もかなり強い。「子供がすべて」のママになってしまったらどうしよう。そういう人たちを軽視する意図はない。ただ、私は失いたくないのだ。読書の時間、学習時間、音楽を聴いて、奏でて、作る時間。彼と二人でふざけて青春パンクロックを創作して笑い合う時間。引っ越しと子供に人生が奪われてしまうんじゃないか。彼と暮らす平和で愛のある生活の隙間で少し不安を覚えていたりする。

 

私の恋人は素晴らしい人間である。私はこんなよくできた人間を見たことがない。非常に賢く、純粋に心優しく、はちゃめちゃに可愛く、誰よりも信頼に足り、嘘がつけない性分で、ただ話しているだけで豊かで幸せな気分にしてくれる。友達と話している時に恋人の愚痴を聞かされるとかなり困ってしまう。なぜなら私は愚痴ることがないし、私の口から出てくるのは惚気だけだからである。どうしてあんなに素晴らしい人間が私を愛しているのかよくわからないが、愛しているらしい。普段はそれを口にしないが、大事な時だけ伝えてくれる。だからこそ本物の言葉だと思えて、また信頼が深まるのである。彼には日々驚かされる。迷える私を賢人のように導いてくれたり、全く知らない知の世界に誘ってくれたり、めちゃくちゃ美味しいホットチョコレートを作ってくれたりする。私は稀に見る付き合うのが難しい面倒臭い女だと思うが、寛大な心で受け止め、支え、丸ごと愛してくれている。いつも感謝の気持ちでいっぱいである。一緒にいるために(ビザのために)結婚の話も出ているが、私は何の迷いもない。

 

日本から離れて思うことは、「日本から離れるって最高!」である。私は日本がかなり嫌いだ。特に日本の教育を毛嫌いしているため、小学校以降の子育ては日本国外で、と腹に決めている。別にフランスが日本より優っているとは思わないが、腐り切って未来もない母国に住んでいたいとは思わない。子供を持つなんていう自己中心的な選択をするなら、少しでも子供にとってマシな環境で育てたいと思う。特に子供がハーフなら尚更である。ただ、単純に家族と友人から離れているというのは結構つらい。こっちに来て2ヶ月半、ついに「日本に帰りたい」と本気で思うことがあった。友達と会って話したい... 全ては得られないのだなと痛感する。次の帰国は3,4ヶ月後。正直待ちきれない。

 

フランス生活序盤、まあまあである。長く暮らすつもりではあるので語学を頑張らなくてはなと思っている。早く英語と同じくらい楽に操れるようになりたいものだ。私のことを心配してくれている人に言いたいのは、まあそんなに生活は大変じゃないし大丈夫だよということです。あと、フランスに遊びに来てください。マジで待ってます。

 

また気が向いたら更新します。

新しい鳥をお迎えした

 

しばらくブログを書いていなかったが、新しいインコちゃんをお迎えしたのでこれを機にまた書いていこうかと思う。

 

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こちら、3/12(日)に我が家に来ましたスイちゃんといいます。1/27(金)生まれで、今日3/13(月)で齢45日になります。

 

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まだ挿し餌中ですが、50日ほどで一人餌になると言われているので、このかわいいかわいいご飯タイムも、まもなく終わってしまうはず。

 

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お部屋はこんな感じです。ブリーダーさんの元で過ごしていた頃の部屋の環境と似ている方が安心するかなと思って、似せてみました。枝もロープもどちらも上手に使っています。お水も飲んでくれてるし、ペレットも食べてくれているようです。100均のココットを使っていて、一つには水と、一つにはブリーダーさんのところで食べていたペレットと私が食べてほしいペレット、それからエッグフードを混ぜたものを入れています。

 

名前の由来は、翡翠のように美しいから、1文字取って翠ちゃんです。淡い優しい色をしていてとっても綺麗です。まだヒナなので体は柔らかくてもちもちしています。こう見てみると、キヨちゃんは大人だなあ、など思います。

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かなり大きなケージにきよぴは引っ越したので、いずれ2羽一緒にここに住んでくれたならなあと思っていますが、道のりは長いです。まずはスイちゃんの遺伝子検査に2週間〜、陰性ならそのあと隣同士にケージを置いて、別々に放鳥してお互い外から様子見。近くに連れて行ったりして相性を見ます。大丈夫そうなら一緒に放鳥。それでも大丈夫そうで仲良さそうなら同室、という流れです。ケージで仲良く二人で過ごしているところを妄想してしまったりしますが、まだまだ先の話になりそうです。

 

スイちゃんの性格はまだよくわかりません。とにかくご飯あげてるだけの段階です。噛むと痛いんですが、きよぴも小さい頃はめちゃくちゃ人を噛んでいてかなり痛かったことを思い出しました。2年くらいは噛んでいたと思いますが、いつの間にか全く噛まないおとなしい子になりました。

 

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こちら、噛み癖現役だった頃の若々しいきよぴ。

今は多分ウロコの中でも特に静かで穏やかな子になりました。だからこそストレスを抱えてしまって自咬症になってしまったんだと思うので、悩ましいです。本当に自咬しないでほしいので、フォージングトイを入れたりケージを大きくしたり無職になったり(?)と手は尽くしていますが、まだまだ不安です。

 

こんな感じで2羽の鳥と暮らし始めました。別室にいるのにどちらかが鳴き出すと一方も鳴き出すのでなかなかうるさいし、ずっと私が家にいるので2羽ともご飯くれくれ言うしで先が思いやられますが、もう戻れないので頑張ります。

 

鳥のいる生活は大変ですが最高です。2羽とも可愛すぎて毎日悶え、叫び、心の涙を流しています。新しい子が来たからって古株インコへの愛情は変わりませんので、注ぐ愛情が2倍になったのであっぷあっぷしているのが実情です。でもやっぱり、常に不安ですね。しかし気合いと愛で乗り切ります。無職のおかげで時間だけはあるので大丈夫です。

 

春ですからインコのヒナはたくさん市場にいますので、ぜひ皆さんも鳥との生活を検討してみてください。インコを飼うことについてならなんでも相談に乗りますので、なんでも言ってください。また、このブログでなるべく鳥たちのことを書いていこうかなと思うので、たまに見に来てもらえると嬉しいです。

 

鳥たちのご飯タイムが終わり私の心に平穏が訪れたので、読書でもします。ではまたー!

 

うつ

うつがきたと思う。何もやってもあんまり楽しくないし、人に興味がなくて誰にも会いたくない。だけど果てしなく孤独。頭がぼんやりして勉強に集中できない。体がだるくて動きたくない。なんとか毎日カフェで勉強してるけど、落ち着かないしすぐ帰りたくなる。食欲だけは増進していて、というか何もやりたくないから口寂しくて食べてしまう。脳の異常だから私には何もできないし、ただ戻るのを待つしかないけど、友人や恋人に心配をかけて嫌だなあと思う。音楽を聴いてもほとんど何も感じなくて、感性が落ちた感じがする。寝ても寝ても眠くて疲れてる。

 

早く戻らないかな、楽になりたいなと思う。楽しかった日のこと何も思い出せない。苦しいほど悲しいとかがないだけマシだけど、こうも虚無だと生きる気力も失せる。だってこの繰り返しなのだ、これからもずっと、きっと。うつがきて、穏やかな日々が来て、ブチアゲの日々が来て、またうつになって。もういやだ、もっとシンプルに、穏やかに生きたかった。

 

今日バイト先で境界性パーソナリティ障害の本を読んで思った。私だ、って。私は不健全な家庭には育ってないけど、ずーっと学校に馴染めなかったし、18の頃社会に見捨てられたと感じて今も社会に馴染めてる気がしないし、ずっと何かに見捨てられてきた感覚がある。そうやって長年傷ついてきて、だから見捨てられることを恐れるし、自己肯定感が低い。人はどうせ私を捨てるとして、音楽にも、勉強にも、いつか本当に見捨てられるのかと思うと重たい気持ちになる。私が音楽や勉強を好きなのは、見捨てられたくないからしがみついてるだけなのかもしれないとさえ思う。私は失いたくない、何も。

 

友達に見捨てられて、大学に見捨てられて、社会に見捨てられて、たくさんの人やものが私から去っていったし、これからも失ってばかりなんだろうなと思う。だから誰も信じられないし自分の選択に対して希望も持てない。私は欲しいものがたくさんあったし、手に入れるための痛みなら平気で受け入れたし、努力したのになあ、と思う。でもダメだった。失敗体験ばかりあって、成功体験のことはほとんど何も思い出せない。私は失敗作。こんなに恵まれてるのに、何も成果が出せない。もはや誰も期待してないし、応える必要もない。大学にしがみついてるのもなんでなのかわかんなくなってきた。そんなに必要なのかな、学歴って。

 

たくさんの認知の歪みを感じる。間違った考え方をたくさんしてると思う。だけど矯正する元気が今はない。とにかく寝たい。何もしたくない。誰にも会いたくない。このまま人生が終わればいいのに。

 

 

ダンス

私が初めて人と付き合ったのは19歳のときのことでした。今までの誰に対しても抱いたことがない強い感情を抱きました。知りたくて、会いたくて、話していたくて、期待をして、見返りを求めて、一人で楽しんだり、苦しんだり... 何もわからない知らない場所で、踊り方も知らないのに、適当に踊り狂って、笑ったり泣いたり、一人で忙しくしている感覚でした。

 

最近恋人に振られて、今までの恋について考えています。私はいつだって、それはそれは強い感情を持ち、ぶつけてきました。毎日連絡して、会いたがって、好きって言ってほしくて、大事にしてほしくて、求めてばかりだったと今なら思います。私は自分の何かを与えることを厭わなかったし、相手のどんな部分も受容したし、時間やお金や労力を割きました。それが正しいと思っていました。でも考えてみると、それはわがままなことだなと思います。自分よがりだと思います。受容して大事にするしリソースを割く、だからあなたも私に同じものをくださいと請うことは、一見正しく見えるけれど、相手を尊重できていないのではないか?と思います。相手には相手の、私に対する感情があって、与えていいと思えるものの量は、私とは違います。なのに私は、同じものを返してほしくて、返してくれないと泣いて、腕を切って、自殺を仄めかして、困らせて、そうして振られてきました。私は本当にわがままな人間だと思います。もちろん失恋はつらいことだし、私はかわいそうだなと思います。付き合った4人ともに振られているので。だけど、自業自得な部分もあると思うようになりました。だからと言って自分を貶めるような考え方はしないけど、自分が変わる必要もあるなあと思います。精神的にもっと自立する時なんだと思います。

 

私は境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorer, 以下BPD)の気があります。「見捨てられること」への恐怖が人一倍強く、感情が異常に強く、動揺すると自傷や過食をしたり自殺しようとしたりするし、ストレスがひどいと解離状態になるし、考え方が極端だし、自分の軸というものがぼんやりとして、よくわからない感覚があります。今回振られた時も、あまりに苦しくて首を吊ろうとして意識が飛ぶ寸前までいってしまい、その後が苦しくて大変でした。この状態で恋愛をするのは、正直かなり疲れます。本当に疲れます。少し不安になると、胸が苦しくて仕方なくなってやりたいことに集中できません。悲しみや不安の波が来ると、嵐の中に裸で放り出されてうずくまって耐え忍んでいるような感覚になります。本当に苦しいです。その代わり嬉しい時は本当に異常に幸せで、今死んでもいいと思うほど幸せです。要は、私はアドレナリン、セロトニンドーパミンの調整が下手なのです。あとは、20手前で大学に行けなくなったショックを引きずっていて、何かに見捨てられることへの恐怖が異常に強いんだと思います。それから、元々わがままな性格であることや、極端なこと、怖がりで寂しがりやなこと、などが原因でこんなことになっているんだと思います。

 

先ほども書きましたが、BPDの気を抱えて恋愛をするのは、本当に苦しいです。私は、感情がバカデカいのと同時に、理性もすごく強いです。だから、自分の感情が暴走していても「暴走してるな」と認識できるし、自分が極端でおかしな思考に陥っている時も、その自覚があって、何が正しいかちゃんとわかります。衝動的な行動をすれば後悔するし、反省もします。わがままな言動をすれば良くなかったとわかるし、そんなことをしてしまう自分が嫌になります。だけど負けてしまうのです、感情に。大泣きしている時や、つらすぎてカッターを手に取っている時、本当に二つのものが頭の中で戦っています。だけど負けてしまうのです。そして感情が落ち着いてから、後悔するのです。私は、こんなに感情の奴隷になってしまうことが嫌で嫌で仕方ありません。自分の脳の欠陥に腹が立っています。だって、好きになった人のことは、狂ったように愛しているだけでなく、理性の部分でも好きだな、大事にしたいなと思っているわけだし、狂った部分で台無しにされて振られてしまうのは本当に不本意だし、とても悲しいです。私は相手を疲れさせるし、同時に私自身のことも疲れさせます。それだけでなく、私は本当にやりたいと思っていること、勉強や音楽や読書などへ割くリソースを奪われてしまいます。本当に嫌です。私は元々趣味人間だし、恋愛なんかに大事なものを奪われてたまるか、と思っています。だから、少なくともしばらくは、恋をしない方がいいと思います。

 

なぜ恋をしてしまうのか、考えました。結果として、私は性欲の奴隷でもあるんだと思いました。単にセックスがしたいからとかそういうことではなくて、性欲に基づく他人との関係における精神的、肉体的充足感を求めて、関わろうとするんだと思います。私はそういった欲求も、肉欲とは違う性欲だと思っていて、その性欲に振り回されるのも、もうやめたいです。そんなに、友人以上の存在と定義された人間に欲求を満たしてもらうことが必要なのか?と自問します。もちろん、一人の人間と関係を深めることは面白くて、幸福感を伴います。だけど、同時に、それってすごく難しいことでもあります。他人なんて、一生わからないわけです。何を求めていいのか、求めてはいけないのか、つまり距離をどの程度縮めていいのか、離れた方がいいのか。すごく難しいことだし、特に私のように深く深く知りたいと思ってしまうタイプには難しいです。なのに、性欲があるから、挫けてもまた取り組もうとしてしまう。友達と恋人の違いは、私はセックスをするかどうかだけでなく、一緒に社会的ダンスを踊るか意志が共有されているかどうかだと思っています。

 

恋愛のことを私は、社会的ダンスだと呼んでいます。基本的な型は決まっているけれど独創性も加わる。音楽ともいえるかもしれません。でも二人ですることだから、やっぱりダンスの方がしっくりきます。決められた動きを、ロマンチックな音楽に合わせて、少しひねりを入れたりしながら、二人で踊る。あくまでそこにはルールがあります。記念日とか、クリスマスやバレンタインや誕生日といったイベントとか、結婚とか、出産とか、優先しなきゃいけない雰囲気だとか定期的に会わなきゃいけないだとか、そういうやつです。その大量のルールを前提に踊って、ノリノリになったり、たまにリズムを崩したり、持ち直したり、転けたり、はたまたあまりにスタイルが合わなければ踊るのをやめてしまったり。もちろん、お互い自由に踊ってそれでいいというカップルはいるでしょう、だけど、あくまで「二人で踊っている」という意識がある、それが恋愛に従事している状態なんだと思っています。私は、人と踊っていたいと思ってしまうんだと思います。一人で踊ったり、踊ってるのを見てもらったりするだけでもいいけど、やっぱりパートナーが欲しいと思うのかもしれないです。BPDの傾向がある私には、深い関係になるのは難しい気がしています。というか、私が嫌なので興味があんまり湧きません。だけど、同じ人と一緒にいたいのかもしれないです。どちらかの音楽や踊り方を押し付けるでなく、あくまで自由に踊りながらも、たまに同じ音楽で踊ったり、同じ振り付けをしたり、したいのかもしれないです。そんなわがままが罷り通る、いい感じの人にいつか出会えたらいいけど、難しいかなあなんて思って、過ごしています。

 

恋は、「するものだからする」「落ちてしまうものだからしょうがない」そんなふうに思っていました。でも実際は、やりたくてやっていたんだと思います。自分の欲求の存在に無自覚だった。今は自覚があります。自分が、相手に愛情を求めているから愛情を与えていたのだと、今ならわかります。献身的に、一方的に愛を注いで、それでいいなんて思っていたけど、結局はわがままな部分がそんなの許さないんだと思います。みんなそうだと思います。だけど私は、みんなとは少し違うから、本当に本当に狂ってしまって誰も幸せにしないから、ちょっと恋とは距離を置こうと思います。あんまり寂しい気持ちもありません。恋をしていない今、とっても楽だし、この状態が好きです。いつまで続くかはわからないけど、しばらくこれで過ごしてみます。

 

今回も相手をたくさん疲れさせてしまって悪かったなと思います。でも私も疲れました。休憩します。やることは山ほどあります、がんばります。今年一番大切なのは受験対策なので。やるぞー!

受験とうつとの向き合い方

ここ2週間ほど、心の土台分がうつに侵されてぐらぐらしていて、ここ数日は体調も崩してかなりきつい日々を送っていました。こうなった理由はわかりません。恋人に会えない週末の存在とか、何故かわかりませんが思うように勉強やピアノの練習に取り組めなかったこととか、そういうのが原因かもしれません。でも正直、器質的な問題な気もしています。ある程度の期間にわたる気分の浮き沈みが起きるのは初めてのことではないからです。双極性障害に使われる薬2種類を飲んでなんとか生活してる感じだし、自分の脳のポンコツ具合は知っています。

 

昨晩は本当にパニクっていて、どうしたらいいか全くわからなくて、とにかく胸が苦しくて頭が痛くて体がだるくて動けなくて、全身がストレスを感じて警報音を鳴らしまくっている感じでした。翌日(今日)のピアノのレッスンに行きたいけど行きたくなくて、勉強も練習もしたいけど何もしたくなくて、とにかくパニックでした。健康第一なのでレッスンは一旦休んで、調子を取り戻すことに専念することにして今日を迎えましたが、今日も体調は悪いし、押し殺していますが希死念慮やネガティブな考えが蠢いているし、調子がいいとは言えません。

 

私はこういう時、自己カウンセリングノートを書いて状況を分析してどうしていくべきか考えるんですが、それをいつも通りやってみました。そうして決めたことをちょっとブログに残しておこうと思います。

 

 

1. 日々の積み重ねを大事にする

私は完璧主義者で"馬鹿"真面目なので、発作的なうつや不安の原因の一つに「思うように勉強と練習ができていないことのストレス」が絶対にあります。予防のために、日々の積み重ね、やる気が出なくてもほんの少しでもテキストを読むことやピアノに触ることをしたいと思いました。

 

2. 元気な時は自分には厳しく、うつの時は自分に優しくする

私は18とか19の頃、自分に異常に厳しかったので適応障害になりました。不器用だし、周りの人より不得意なことだって色々あったのに、何もかも完璧にやろうとして少しできなかったことを大袈裟に自責して、抑うつ状態になりました(そして人生が狂いました)。なので、今までの治療で「自分に甘くすること」「妥協すること」などを学習して、やっと今みたいに比較的ゆったりと構えられるようになったと思います。だから、正直自分に厳しくするのは怖いし、正しいのかもわかりません。だけど、元気な時の頑張りが足りないせいでうつを引き起こしてしまうなら悪影響だし、頑張れる時はもっと頑張ろうと思いました。なぜなら、本気で受験を諦めたくないからです!本当に、本当に今回は諦めたくありません。自分に優しくしまくって目指したことを諦めて「仕方なかったなあ」と脳の不具合を言い訳にして自分を無理に納得させるのはもう嫌です。元気な時は前より確実にたくさんあるんだから、もっと頑張ります。でも、その分自分では対処不能レベルのうつの嵐が来た時は無理をしません。うつが悪化することだけは避けたいです。正直中途半端に元気だから自殺しそうで怖いし、抑うつ状態になるのも本当にもう嫌です。

 

3. 長い目で見る

困惑したら、もう、かなり長い目で見て心を落ち着けたいと思っています。大学受験、確かに大ごとだけど、いうてこの先人生50年以上あるなかの1年とか2年の話だし、最悪受験が上手くいかなくなって死ぬわけじゃなし、家族や友達や恋人から見捨てられるわけでもないと思います。だから、「どうなっても大丈夫」と思うようにします。もうちょっと短い目(?)で見ると、数日や1週間、またはそれ以上勉強ができなくたって、絶対に落ちるってわけじゃないと思います。いや勿論、あまりに長いこと勉強できないと落ちるだろうし、ピアノに関しては毎日弾かないと厳しいとは思うけど、まあ最悪藝大が無理でも慶應に受かればいいし(こんな考え方は良くないと思うけど、追い詰められるよりはマシ)、その2校が無理でも国語英語世界史やるわけだから適当に私大受けるとかもできないことないし、働きながら通信で学位目指すのだって、悪くないと思います。とにかくなんとかなるんだから、今目の前のことに囚われすぎて気を狂わすのはやめようと思います。

 

人と違う道を選んで受験をするのは、強靭なメンタルの人がやるならまだしも、私みたいな心も身体も不安定な人間がやるのはかなり大変なことと思います。無謀に近いし、自分でも自分は馬鹿なのか?と思います。でも決めてしまったことは仕方ないしもう引き下がれないので、やるしかありません。「今この瞬間の頑張りが合格につながる〜!」とか高校生みたいなこと考えながらコツコツやっていくしかありません。

 

まだつらいです。死にたいし、自分が嫌だし、何もしたくないし、全てから逃げたいです。頭は鈍痛がするし手足はだるくて今すぐ寝たいです。色々前向きなことは書けたけど、簡単にうつは消えてくれないです。もどかしいけど、そんなものです。うつとの付き合いは今年で7年目になるので、そんなにすぐバチッと元気になるとはわかっているし、もう少しゆっくりしてみます。気が向いたら好きな語学でもやって、ピアノで好きな練習曲でも弾いてみます。

 

バランスを大事にしながらやっていきたいです。頑張りすぎず、優しくしすぎず。でも今はちょっと甘すぎかな。もう少ししっかりします。応援してください!笑

25歳で大学受験をすることについて

現在25歳。今年、2021年の8月に26歳になるわけですが、来年2022年に、大学再受験をします。私のことを知ってる人は「えっ?前もやってなかった?」という感じだと思いますが、やるものはやるのです。今回は、慶應文学部の通信教育課程(在籍中)から通学課程への編入試験と、藝大楽理科の入学試験、この二つを受けるつもりです。(大学のチョイスが金持ちの娯楽としての学問をやりにいくという感じで我ながらちょっと嫌ですが、これはもう仕方ないです。) 受験科目は、慶應が英語、フランス語、面接。藝大が共通テストの英語、国語、世界史、個別が英語、国語、小論文、実技(副科ピアノ、楽典とソルフェージュ各種)です。実質やることは、英語、国語、世界史、フランス語、ピアノ、楽典、ソルフェージュという感じです。4月まではピアノ、実技、ちょっと英語と小論文、通信の単位を取ることに専念して、単位を取り終えたら晴れて全科目に取り組み始めるつもりです。

 

正直、前述の通り、再受験に挑戦するのってこれが初めてじゃありません。大学再入学を志して勉強を始めたのはこれで3回目です。パニック症状が出たことによりイギリスに戻れなくなって帰国に至った2017年と春〜夏と、わざわざ上京をして東大を目指して勉強していた2018年の冬〜秋かな。毎回、自分の心と体の脆弱性を思い知らされて怖気付いて諦めてしまいました。2017年は、体が異常にだるくて不安が強くて何もできなくて、予備校も怖くて通えなくなったので、仕方なくフリーターしながら治療に専念することにしました。2018年は、ただでさえ勉強が上手くできなくて苦しかったのに乳腺炎になって痛くて怖い日々を過ごして、完全に自分の心と体に対して自信を失ってしまい、通学課程は諦めて通信課程で学ぶことから始めてみることにしたのでした。そんな過去があるから、やはりまた挑戦するのはとても怖いです。通信のテキスト学習をしたりレポートに取り組む/取り組もうとするたびに、ピアノを弾き始めるたびに、「また何もかもが怖くなって何もできなくなったらどうしよう」と思います。私はすぐに「怖い」と言いますが、これは完璧主義思考とイチゼロ思考と強い不安のせいなのです。私は、何かに取り組んでいる時「あ、思う通りの結果が出せないかもしれない」「計画通りにいかないかもしれない」と自信が失せてくると、不安に駆られてくると、「どうせそうなるのならもう一切何もしたくない、できない」という思考に至ってしまいます。無論、こんな自分が嫌です。全くもって楽をしたいわけじゃないんです。レポートを書きたいし提出したい、勉強だってたくさんしたいです。もちろん惰性でやらない時もありますが、こういう思考に至る時は心からやりたいと思っている時であって、だからこそ苦しくて、先週末なんてそのせいで恋人を困らせてイライラさせて彼の心ない一言にド傷ついて大声をあげて泣いたほどでした。(その後和解しました。) この思考は本当にやめたいです。でもこれでもマシにはなってきました。柔軟性が出てきました。計画人間から脱し始めています。だけど先週末の様子からしてまだまだ脳のクセは完全には矯正されていないようなので、不安はあります。だけど、この再受験チャレンジは私と親の年齢を考えても本当に最後のものになるので、うじうじ不安がってはいられせん。あの恐怖感覚は私1人の力ではどうにもできないので、精神科で相談して緩和に向けて努力するしかないです。

 

精神科といえば、最近の心身の状態はかなり良いです。いつからか、心とか体が不調で寝込んで何もできない日というものがなくなりました。バイトをして、帰って少し勉強したりピアノを弾いたりして、休みの日は用事をこなして勉強して、と至って健康に、楽しく日々を過ごせていると思います。今回受験しようと志すに至った理由の一つがこの快調です。今までは本当に自信がありませんでした。自分の精神面にも、体の強さにも。だけど今回は違います。なんだか、すごく毎日健やかで、そりゃたまに泣いたりわがままを言って恋人を困らせたりはしてしまうけど、概ね上手くやれています。この調子でいけば受験まで辿り着けるのでは?入学後も、「普通に」通学できちゃうのでは?そんな期待を心に持っています。

 

もう、「普通」じゃない人生(大学2回中退、再受験)のこととかは割とどうでもよくなってきました。この喜ばしい変化は、明らかに友人たちのおかげです。というのも、7月に失恋した時、あまりにショックでとても1人ではいられなくて、あらゆる友人、旧友に声をかけて会ってもらったのです。その時、みんながみんな私の過去や目標を受け入れて応援してくれて、私は本当に嬉しくて、1人じゃないんだなと思えて、かなり気持ちが楽になりました。2年近く付き合った恋人とのお別れは強烈な出来事で、この食欲の鬼である私が食欲不振で4kg痩せたし、もうこんなの一生体験したくないと思わされました。だけど、幸か不幸か、おかげで友人とまた繋がることができて、彼女たちの大切さにも気づくことができました。目まぐるしく移り変わっていた感情も落ち着いて、元恋人を恋しく思うことも、憎むこともなくなりました。たくさん支えてくれたこと、思いやりをたくさん与えてくれたこと、楽しい時間を過ごしてくれたこと、今はそれらに対して感謝しているだけです。そして今は今の恋人がいて、まだ手探りの段階で難しいこともあるけど、毎日大好きであることに間違いはなくて、大変だけど幸せではあります。

 

恋愛。今年は受験対策と恋愛の両立を頑張らないといけません。私は境界性人格障害の気があります。感情がバカデカくてジェットコースターのようだし、攻撃性もたまに出るし、自傷癖もあります。元恋人と付き合っていた頃は自己理解が不足していたので今より酷くて、「今すぐ家に来てくれないと自殺する/自傷する」と脅したり、実際に何度も首を吊ろうとしたし、パニックに陥ったり、自分のスマホや彼のものを投げ捨てたり、いろいろしていました...。今は自己理解が進んだので自制を頑張っていますが、不安は尽きません。その不安というのは、自分に対してもそうだし、恋人に対してもそうです。自分が自分でもコントロールできないくらいに豹変するのは怖いです。そしてその結果捨てられてしまうことがとても怖いです。私は毎日、綺麗な比喩表現を使えば四季を経験しているし、でも正直それよりか、天国と地獄を経験しています。ダンテもびっくりの行き来を行っています。彼から可愛いメッセージが来たら胸があったかくなってニコニコするし、ちょっと不安になるメッセージがきたら奈落の底に落とされたような感覚に駆られます。胸がきゅっと痛くなって、この恋が終わる妄想、捨てられる妄想に取り憑かれて涙が出そうになります。私をやるのは本当に疲れます。それでも人を好きでいること、私の方がずっと強い気持ちを持っているとわかっていても愛情を注ぐことがやめられなくて、この性分、本当に何とかしてほしいです。こんな感じなので、時間と頭を恋愛に割いてしまいます。毎朝毎晩好きな人のことを考えているし、よくないけど、昼間もメッセージを送ってしまいます。だけど!今年は本物の「正念場」ですから、あんまり恋愛にかまけている場合ではありません!週1回は会えないことも我慢しなくてはいけません。ぶっちゃけこれが一番つらいかもしれないです。勉強自体は、私はやればできるとわかっているし、ピアノも先生を信じて真面目に練習すれば何とかなるかもって気持ちはあります(ソルフェージュはかなり不安ですが...)。だけど好きな人に会う頻度を落とすのは、本当につらい。毎日会いたい人に2,3週間会わないなんて、つらすぎます。だけど同棲するわけにもいかないし、うーん...。頑張って乗りこなしていこうと思います...。つらいけど...。自己実現が恋愛に先行するし、なんとか、なんとか、上手く付き合っていこうと思います...。

 

こんな感じです。ブログはあんまり書きませんが、節目の時には書いておきたいと思っていて、ピアノのレッスンも始まって本格的に受験対策が始まったのでそろそろ書いてもいいかなと思ってまとめました。今年入ってから、毎日忙しいです。やることが常にたくさんあります。だけど、忙しいっていいものですね。ニート歴が割とあるのですがニートの才能が私にはないので、忙しい方が向いてると思います。もっと寝たいとは思うけど、楽しいので頑張れます。こんな風に忙しく毎日やっていって、なんとか受験の日まで行き着きたい。そしてどちらか、もしくはどちらにも合格して晴れて大学生になりたいです。思う存分勉強したいです。新しい世界が見たいです。うおー、頑張ります。図らずしも変わった人生になってしまったけど、特に恥じらいもないし、というか恥じたり悩んだりはシナプスの無駄だし、気にせず、自信持って、とにかくやると決めたことをやっていきます。こんな私ですが、応援してもらえると、もしくはただ認知してもらえていると、光栄です。今年もよろしくお願いします。

音楽、楽しみたい。

私には表現したいものがない。私を表出させることに魅力を感じない。自分なんてしょうもない人間だと思ってる。子供の頃あんなに曲を作るのが楽しかったのは、自分という人間が、自分の感性が、価値あるものだと感じられていたからなんだと今ならわかる。大人になったらこんな風に多くを感じられないだろうから、今感じる世界を音楽に閉じ込めたい、そう思ってた。でも、録音する環境なんてなくて、音楽は生まれては消えていった。ただ思うがままに、知ったばかりの難しい言葉を使ったりして、歌詞を書いては、ピアノの伴奏に乗せて、時にギターの伴奏に乗せて、歌った。それだけでよかった。誰に聞いてもらえなくたって、評価されなくたって、それだけで満足だった。高校生になってから、ガラッと私と音楽の関係は悪くなってしまったなと思う。私は、自分の作る音楽を形にしなくてはいけないという義務感に駆られてた。音楽を楽しむ感性なんてもう、あの時にはなかったのかもしれない。評価されなきゃいけない、目立たなきゃいけない、そんな焦りがあった。周りからも期待されて、つらくて、楽しくなくなった。焦れば焦るほど、音楽は遠くなった。DTMを始めてみたけど一人でやれる自信がなくて、だめだった。やる気も伴わなくて、どんどん萎れていった。そんな高校時代を経て期待を胸に大学に入ったら、精神疾患になって音楽から見放された。思い出すだけで胸が張り裂けそうになる。周りが音楽活動をしている中、何もできなかった。社会と音楽から見放されたショックで人生が変わった。鈍った腕でギターを抱えて、絞り出すような声で歌った曲がサンクラにある。リズムもふらふらで、ギターも下手くそで、声は震えてて、聞くにも耐えないけど、あれが全てだった。そんな時期から5,6年経って、今は音楽との関係は少しマシになった。楽しく聞けるし漁れるし、たまーにDTMに触る気にもなる。音楽学の本も読んでて、以前と違う角度から音楽と関わることができてると思う。ピアノも買った。まだ届いてないけど。私が最初に出会った楽器、最初に作曲に使ったのはピアノだから、やり直してちゃんと弾けるようになりたいと思ったから買うことにした。すごく楽しみだし、生きる希望になってる。さっき音楽から見放されたと言ったけど、そう思っていた時期も毎日欠かさず音楽は聞いていた。みんなが聞いてたようなエレクトロニックやヒップホップやオルタナやロックはつらくて聞けなかった。だから代わりに、甘々の海外のポップスを馬鹿みたいに聞いてた。ポップスなんて興味なかったから、自傷的に聞いてた。だけどおかげで今、世界中のポップスを開拓するっていう趣味ができた。見放されてなんてなかった。そのことに気付けたのはここ1年ほどのこと。すごく嬉しかった。おかげで、音楽、またやろうかなって思えた。技術もないし、やる気も足りてないし、才能もないけど、きっとまだ純粋に音楽を作ることが楽しいと感じる心は残ってるはずだから、何かやってみようって思えた。ずっと触ってなかったギターに触るのはものすごく怖かった。でも弾いてみると、ちゃんとコードが鳴って、その瞬間、鳥肌が立った。体が覚えててくれたことが本当に嬉しくて、泣きそうになったことを覚えてる。そのあとたまにDTMも触ってみて(これは元彼の助けのおかげ。本当に感謝してる。)、曲も作ったりした。ショボい曲ばっかりだけど、個人的には気に入ってる。これからも時間とやる気が生まれたら触ろうとは思ってる。でも義務感になるとまた疲れちゃうので、あくまで、楽しむためにやろうと思ってる。

 

私は幼稚園生の頃ピアノを習い始めてからこの20年、おそらく音楽を毎日欠かさず聞いてきたし、切り離すなんて無理なんだと思う。見放されたなんて思ってかなりの間音楽との関係に苦闘してたけど、かなりその悩みも緩和されて、落ち着いてる。一番つらかった頃、2014年2015年のことを考えると未だに胸はきゅっと縮むようだけど、その頃を彷彿とさせる人物と2年近く付き合ったりもしたこともあって、あんまり気にすることもなくなった。純粋に音楽が楽しいなとか好きだなとか思えることの方が多くなった。本当によかった。5,6年に及ぶ長いジャーニーだった。これからも音楽と仲良く楽しくやっていきたい。義務なんてないんだから、好きなようにしていきたい。子供の頃みたいに、新しい音楽や新しい知識に心躍らせたい。大人だから、過去の音楽に想い馳せたりしたい。あわよくば、自分を表現することに楽しさを感じたい。必要なのはなんだろう、もう少しのナルシズムなのかな。まだよくわからないけど、思索と行動で答えを導いていきたい。音楽、楽しみたい。