The Migratory Bird

自分が渡り鳥だと勘違いしている社会不適合の書き溜め

私にとっての音楽と自然

ここ数日、Hayden Calninというオーストラリアの音楽家の曲をずっと聞いている。

 


Hayden Calnin - For My Help [OFFICIAL MUSIC VIDEO]

 

私の母親は結構偏見が強い人間で、民放は教育によくない番組が多いからつけるテレビ局は基本的にNHK、クラスのみんなが持っているような漫画やゲームは基本的に買ってもらえず、音楽もロックやよくわからないうるさい音楽は小学生の私にはよしとされていなかった。

ただ穴があり、インターネットに関しては母親が無知だったのでやりたい放題だった。インターネットリテラシーは軽く教育されたので、危ないサイトを開いたりブログに悪口を書くようなことはなかったけど、とにかく情報にアクセスし放題で、なんていい時代なんだと思ってた。今思うと危なかったことといえば、アバターチャットにハマって出会ったロリコンの目が青いおじさんとメールしたりしていた。彼は私の大人びた考え方が素晴らしいと褒めてくれて、私もよく思っていた。私が大人になったら白い馬に乗って迎えに来ると言ってくれた。そんなことを子供に吹き込む大人に対して、冷めた視点を持ち合わせつつも、インターネットを使うと私の知らない世界に生きる生身の人間と繋がれるという事実に感動していた。大人になった今でも白馬の足音は聞こえないままだけど、時折彼が今頃どうしているか思い馳せることがある。

 

11歳の頃、iTunesの姉のライブラリを漁るようになった。禁断の音楽がたくさん入っていた。初めてその"悪いこと"に手を染めた時は、ほんの軽い気持ちだった。まさかこんな取り返しのつかないことになるなんて、思ってもいなかった。色んな曲を聞いてみたけど、一番気に入ったのはアジカンだった。ジャケットのイラストが可愛かったし、YouTubeで検索して見つけたループ&ループのPVの後藤正文がかっこよすぎた。(この時から私は眼鏡をかけている異性しか恋愛対象に入らなくなる。取り返しのつかないことをした。)その次に気に入ったのがビョークだった。不気味なジャケットのアルバム(Homogenic)の最後の曲、All Is Full of Loveを聞いた時、今までにない衝撃を受けた。こんな音楽がこの世にあるのかと思った。世界が変わった。英語なんてわからなかったけど、タイトルの意味だけわかれば十分だった。目に見えるもの全てに意味を感じた。聞こえる音、見えるもの、感じる温度、すべて、すべてが愛おしく感じた。音楽が意識を上昇させた。あの曲が与えてくれたフィルターを通して世界を見ると、私は一人ではなく、一部になれた。こんな風に書くとこいつスピってるのか?と思われるだろうけど、言葉で表すとすればまさにこんな感じだった。私は、ビョークの音楽に居場所を与えてもらい、孤独を癒してもらった。学校でいじめられてたわけでも、機能不全家庭に育ったわけでもないけど、どこか居場所がないと感じて自然の現象にいつも心寄せていた私が、新しい生きる世界を得た瞬間だったと思う。それ以来私は家に帰るといつも曲を漁るようになった。いわゆるNO MUSIC NO LIFEだった。音楽は私を興奮・高揚させた。奪われたり貶したりされると許せなかった。依存していた。それゆえの悪影響も色々と出た。クスリ以外の何物でもない。

 

こんな背景もあり、私にとって自然と音楽は"近い"。自然のことを闇雲に愛していた私を、音楽が一体化させてくれたから。私はその頃から、家でも学校でも詩を書いたり、ピアノで曲を作ったり、弾き語りをしたりするようになった。楽器がないときは耳を澄まし、聞こえる環境音を一つずつ拾って音源を想像、把握したのち、それら音源同士がどんなリズムで関わっているのか、どの音源とどの音源が仲間なのか、どれがベースで、どれが旋律で、あ、あれが消えた、新しい音源が入ってきた、。そんな風に遊んでいた。明確に覚えている。その頃、「私は電子楽器で自然を表現する音楽を作ろう」と心に決めた。絶対やりたいと思っていた。ブログにも書いた。

 

なんてそんなことを、Hayden Calninを聞いていて思い出した。やりたかったことは、誰かがやってくれてた。私には何ができるんだろう。

 

おわり 

第一難関

長く書くつもりはないんですが、ログに残しておきたいことがあったので書きます。

 

予備校の授業が始まって四日経った日の夜、私はよく練られた美しい学習計画表の通りに、楽しく歴史科目の復習をしようと思っていました。が、「あ、これはよくないやつだ」とはっきり自覚するひどい眠気と謎の目眩に襲われました。負けずに頑張ろうと思いましたが、抗える力が足りなかったので仕方なく寝ました。

そして翌日、まあお察しの通り、まともに目が覚めたのが昼前でした。

「うわあ!遅刻遅刻!行かなくちゃ!」と行けたらよかったんですが、昼前に目覚めたショック、授業を逃したことによって計画が崩壊したことによる混乱、体のだるさと頭痛となんとも言えない吐き気で体がフラフラで、その日は引きこもってしまいました。目を伏せたい事実なんですが、そのショックと混乱を引きずって、その次の週は一日も行けませんでした。(つらい)

 

原因は明らかでPMSのせいなんですが、正直もうこれには懲り懲りです。毎月毎月、期間や程度は月によるけど、体が鉛のように重いし眠いし各所が痛いし気持ちは落ち込むし無気力になります。今は心も体も快調なキラキラ期なので、あの時の苦しさを鮮明には思い出せなくて、歯痒いです。「あの時もう少し頑張れば行けたんじゃないか、自己管理不足なんじゃないか」なんて思ってしまうほど今は元気です。きっとPMSがない人たちは、こんな風に「わからない」から、そんなことを当事者に思ったり言ったりしてしまうんだろうなあと感じます。それに、期間外は人並みに元気なことが、余計に本当に辛い時期の姿を想像しづらくしてしまうんだろうなと思います。

でも、当時の私だって現在の私と同じでいつも通り真面目なはずだし、「面倒だからサボりたい」なんて気持ちはこれっぽっちもなかったことはわかるので、悔しいです。PMSを緩和する努力なら一通りしてきました。

 

今まで試したもの
・低用量ピル(副作用で断念)
・漢方(加味逍遙散・抑肝散)(継続)
抗うつ薬(SSRI数種類)(副作用で断念)
抗不安薬(リーゼ デパス スルピリド)(するパラダイス継続)
サプリメント(命の母 ルナベリー)(ルナベリー継続)
・カフェインと糖質を控える(継続)
・湯船に浸かってそのあとストレッチ(継続)
・ビタミンB群、マグネシウム、カルシウム、鉄分の補給(継続)

トリプトファンの摂取(セロトニンのため 継続)

ハーブティー(カモミール、チェストベリー)(時々飲む)
・アロマ(面倒臭くて続かなかった)
・ビタミンC誘導体(肌荒れ防止 継続)
・太陽光を浴びる(毎日心がけてる)
・何もかも諦めて寝る

 

ピークだった頃よりは幾分マシになっています。特に頭痛と腰痛と気持ちの落ち込みと起き上がれないほどの怠さはこれでも緩和されました!でもやっぱり朝には支障が出るし、自分でなくなるような異常な状態になります。もういい加減にしてほしいし、何もかも諦めたくもなりますが、これらの努力をやめればきっと私はまた生活できなくなるし、頑張るしかないです。

 

 

今日ログに残したいと思ったのは、ここからの話です!

今回一番大切なことは、私がこの困難を乗り越えて、また予備校に通い始めたということです!(セルフ拍手)(セルフなでなで)

 

今思うと、今まで大学に行けなくなったきっかけはいつもPMS期間から始まってきました。朝起きられなくて授業に出られないと、私は毎回ひどく混乱しました。ただでさえ頭が正常に働いてなくてセロトニンも減ってる状態なのに、「計画が崩れてしまった」「私は意志を貫けなかった」という事実がのしかかると、私はもう完全に思考がストップしてしまいました。冷静さを失うというか、とにかく頭が混乱して何もわからなくなりました。体調不良は自分のせいじゃないから自分を責める必要はないとか、計画なんて立て直せばいいしなんとかなるとか、頭でわかっていても、冷静でいられなくて、自分のことがコントロールできなくなってしまいました。

思い返してみると、中高校生の頃から遅刻が決定すると泣いて登校拒否をしたりしてたし、朝が苦手で休む日もあったし、前髪がキマらないとつらくて休んだりしてたし、なんかもう、努力不足というより脳がダメなんだなって感じます。完璧主義者で、理想が高くて、でも不器用でストレスに弱くて、典型的な心を病むタイプと思います。強さと弱さが同居しているので忙しいです。もうこれは認めざるを得ないし、受け入れて生きていくしかないです。

 

今回は、混乱を鎮めて前に進むために何か新しい知識を入れたいなと思って、クリスティーン・ネフの「セルフコンパッションーあるがままを受け入れる」を読んでみました。

 

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

 

 

 

何か変化を与えないと、スキルを得ないと、また同じことを繰り返してしまうと感じたからです。毎月自己コントロールできない状態になって劣等感や混乱に苛まれては、受験勉強への影響があまりに大きすぎます。ポジティブにとらえて、「つらかったけど、試練が早めに訪れてよかった。今回のことを先に生かそう。」と思いました。なので、勉強しなくては!という焦りは一旦置いておいて、読書に時間を費やしてみました(ツイッターに時間費やすのやめろ)。

 

読んでみた結果ですが、かなりいい感じだと思います!詳しく書く気力はないですが、完璧主義の改善に役立ちそうです。自分に優しい存在を心の内にもつこと、人と比べて苦しむのをやめること、心の状態を静観して混乱を宥めること... できるようになれば楽になれそう!と思えました。綺麗事の羅列に嫌気がさす自己啓発本と違って、心理学の研究者が書いてる本で至って理論的だから安心して読めておすすめです。

 

 

 

話が逸れたし結局長くなってしまったけど、何がログに残したかったかというと、要は、受験生生活開始早々ぶち当たった第一難関を、乗り越えました!今まで乗り越えられず失墜したこともある難関だったのに!乗り越えた!やったー!ということです。読んでいただきありがとうございました。学習計画の遂行や志望校の決定や将来のことを考えるとつらくなりますが、勉強自体は苦じゃなくてむしろ楽しいです。スイスイ進めていきたいです。これからも色んな悩みや困難にぶち当たるとは思いますが、大学受験(と卒業)は絶対諦めません。頑張ります!

 

今回はえらかった!えらい!

 

おわり

入学前学力診断テスト

受験勉強の進捗報告1回目です。

3月上旬に受けた学力診断テスト(クラス分けテスト)の結果が返却されました。

 

英語  185/200  69.6

現代文 78/100  62.3

古文  68/100  54.4

漢文  74/100  57.3

数ⅠAⅡB 10/100  31.3

世界史 28/100  42.9

 

伸びしろが眩いですね!!偏差値30台って、とれるものなんですね!

英語はしょうもない問題と落としたし、恥ずかしいですね!

ここからどれだけ伸ばすかだし、プラス方向にもマイナス方向にもあんまり感想はないです。と、去年の春も思いました(一瞬予備校に通ったけど中退した)。数学にほぼ全てがかかってるなと改めて思います。数学、本当に頑張ります。

 

2月から今日までちまちま数学と日本史を勉強してきたけど、正直思うほどできていないし、独学する能力が高くないのは明白なので、予備校のカリキュラムに真面目に乗っかって勉強していこうと思います。

 

その予備校は明日から始まるのでドギマギしています。

昨日の始業式は(漢方と抗不安薬と頭痛薬と胃薬をぶち込んで家を出る直前まで人と通話して気を紛らわせて通学中はノイズキャンセリングイヤホンを装備してわざとスッピン更に一番楽な下着を装着してお守りの「学校行ってえらい!」と言ってくれそうなコウペンちゃんのマスコットをリュックに入れて30分早めに家を出て)なんとか乗り越えたし、予備校に週5、6で通学できるようになるために去年は週5、6でバイトしたし、ここ数週間早起きの練習もなんとなくしてきたし、セルフカウンセリングも重ねてきたし、これからちゃんと通えることを願っています。

 

去年予備校に通ってきたときは日本の大学に絶対に行くぞという意志が薄弱だったし、体調面精神面共に不穏で途中でやめてしまったので、今回もアー何か、ダメになるんじゃないかと、ひどく不安は多いですが、今回は意志の固さが去年とは違うし、心身も随分元気になったので、アーとにかくやっていこうと思います。淡々と。機械的に勉強頑張ります。私には鳥が一羽ついてるので。

 

 

以上最初の報告でした。ちゃんと通えますように。応援してください。

私のわからないもの 友達

私は今、「友達」というものがわかりません。

私には「友達」が確かにいました。小学生の時は、学校にも習い事先にも「友達」がいて、幼稚園の頃以来の「親友」さえもいました。中学の時も、学校や塾にいました。吹奏楽部の仲間は大切な存在でした。高校の時もいました。クラスのみんなや他のクラスの人、軽音部の人たち、みんなを「友達」と呼んでいました。

私は何の問題もなく、上手くやっていました。むしろ友達が多いとか、社交的だとか言われていました。私は自分はコミュニケーション能力が高い方なのだと思っていました。誰とでも仲良くなれたし、人をまとめることもできました。私のことを面白いねと言ってくれる人が、誰かしらそばにいてくれました。(軽いいじめも受けていましたが、その話は文脈上不必要なので避けます。)

でも今の私は、「自分に友達はいない」と感じています。小中高、また大学で友達だった人たちを誰一人として「友達」だと思えません。私のことを友達だと認識してくれている人にはとても悪いなと思います。だけど、嫌いだとか、飽きたとか、つまらないとか、そんなのじゃなくて、ただ私には理解できない感じがします。友達って、どう繋がっていたらいいんですか?どこからが友達で、知り合いで、恋人で、セックスフレンドなんですか?

 

私には幼少期から自分だけの世界がありました。他人が誰も干渉してこない、私だけの想像の世界がありました。そこでは、私の持っているイメージや音や匂いや感触を自由に取り出して組み合わせて、遊ぶことができました。一日の終わりにその日に入手した情報をポケットから取り出して、見て、触って、笑ったり、時には泣いたりしました。そういった一人の時間が私は本当に好きでした。空を見ながらブツブツ独り言を言ったり、歌を思うがままに歌ったり、詩を書いたり、生き物や植物に話しかけたり、絵に描いた夢見がちな少女みたいなことをやっていました。音楽は一番の遊び相手でした。いろんな景色や感情を教えてくれて、音楽プレイヤーがあれば外にいてもいつでも楽しい世界を提供してくれました。

私の居場所はそこでした。学校で人と話す私は、あくまで「人と話す私」であって、私ではありませんでした。社会生活を送っている人間なら全員が大なり小なり自分を環境に順応させて変えているものと思いますが、私はその順応が過剰だった気がします。家に帰ると、学校の友達に会いたいなんてほとんど思いませんでした。話したいことがあってメールやLINEをすることはありました。でも、女の子たちを誘い合わせて遊びに行くのは気が進みませんでした。実際よく断っていて、人付き合いが悪かったと思います。私は女の子のグループでワイワイするのが今も昔も苦手です。遊びの誘いにも乗らないし、つまらなさそうな顔をしてしまうので、悪印象を与えると思います。いつもなんとなく所属している女の子のグループがあったけど、わからない話が始まると一人で本を読んでいました。ノリが悪いと思われていたと思います。

学校社会は学校社会、私だけの世界は私だけのもの、まったくの別物に感じていたし、私だけの世界のメインアクターである音楽の話は、あまり人にしませんでした。大事な音楽が、苦手な他人の記憶で汚れるのが嫌でした。それは今もそうです。人と音楽の話をすると、その音楽がその相手のイメージを吸収するので、相手との関係が壊れれば、その音楽も壊れます。悲しみや戸惑いのノイズが強すぎて、聞けなくなってしまいます。だから、人が苦手な私は、音楽の話題で人とコミュニケーションが取れません。音楽は私にとって基本的にコミュニケーションの対象であって、媒体ではありません。音楽活動をしようとしたら、好きな音楽を共有したり、自分の音楽を人に聞かせて感想をもらったりしなくちゃいけません。興味のない音楽をやってる人とも話さないといけないかもしれません。そんなことが、私はできる気がしません。大学に入った時に音楽系のサークルに顔を出してみましたが、詳しくは覚えてないけど、とにかく苦痛の方が多かったです。人間関係が嫌で、不安で、疲れて、音楽どころではありませんでした。音楽活動はコミュニケーションなのだとつくづく感じました。私は一人で聞いて、一人で作って、それでいいやと思いました。

 

私は高校を卒業して以来、東京→イギリス→福岡→東京と転々としてきました。だから当然のこと、頻繁に会う友達なんていません。この4年間、ほとんどの時間を一人で過ごしてきたと思います。ゆえに、自分だけの世界に浸っている時間の方が長くなりました。そして、「社会向けの私」は各地で製造され、私は随分と分裂してきました。上手く説明できないんですが、私は、私をいろんなところに置いてきた感じがします。去年以降、私は時々解離状態になります。見える景色が現実味を失うというか、自分の魂が抜けたような感覚になります。自分の体が自分の体に感じず、家族が他人に、見える人間たちが現象、または動く肉に見えます。目に映る全てが、ただの映像になります。私は「自分の回収作業」として、福岡にいる時東京へ出向いてみたり、イギリスにいた時のことを鮮明に思い出す作業をしたり、地元の思い出の場所を訪れたりしました。そのおかげではない気もするけど、解離する頻度は落ちたし、かなりマシになりました。でもまだ時々起きるし、人と話して自分が自分じゃなくなる感覚になるのが嫌で、人と関わりたくないと強く思うようになってしまいました。この、人と話す時に自分を変えすぎる、結局自分の帰属先はないのだという感覚がある、解離をする、というのが、アスペルガーっぽいものだというのが最近わかって嬉しいんですが、このことは省略します。

このようにして、私はこの数年間でかなり対人に関して恐れや苦手意識が強まってしまいました。元々人との距離の取り方が上手くはなかった上に、単純に人と接する機会が減りすぎたというのがあると思います。

 

あとは、恋愛をするようになったのも原因と思います。私は小中高の間、異性と付き合ったことがありません。そもそも6歳の頃仲良しだった男の子たちにハブられてから18歳までの間、異性は極度に苦手で、話すのも触れるのも嫌でした。誰に告白されても、頑張って憧れの人とのデートにこぎつけて告白してもらっても、結局気持ち悪くて受け入れられませんでした。でも大学に入るとことは一変して、ある人がきっかけで恋愛なるものを始めました。しかし、上手くはいきませんでした。付き合った人には振られるし、好きになった人とはセフレみたいな関係で終わるし、異性との距離の取り方がわからないままです。私は異性を拒否していた時間が長すぎたゆえに、"異性の友達"という感覚が欠落しているのだと感じます。異性のことは、恋愛対象として見ないことには深く知ろうと思えません。魅力を感じなければあまり関わりません。むしろ魅力を感じれば、わりかしすぐ好きになって、寝てもいいやと思ってしまいます。その先も、そばにいてくれるのだと信じてしまいます。最近そのメカニズムに気づいてしまい、困っているところです。

 

同性は昔から苦手で友達らしい友達づきあいができない、その場限りのお喋りならできても心開けないし、家に帰るとまるで他人になってしまう。異性との駆け引きみたいなものは難しくて、距離感も掴めなくて、なんだか傷ついてばかり。私は今もう、家族以外の人間とどう関わっていいかが全くわかりません。あまりに対人能力に自信を失っていて、一人の時間も多いゆえに、この世に「友達」がいる感覚なんて、遠く彼方へ消えてしまいました。どれくらいの頻度で話せば友達なのか、過去の友達は今も友達なのか、彼等はもう私のことなんて忘れてしまったのではないか、彼等の知っている私は対人用の私、それなのに、本当に「友達」なのか。「友達」はキスやセックスをするものなのか。私には「友達」についてわからないことがありすぎます。

 

一人は楽だし、自分の世界は幸せです。一人で博物館へ行けば世界一幸せな気分になれます。映画を見れば、現実から逃れられます。一人で空を眺めて風を感じれば、人間社会の一部である前に宇宙の一部なのだと思えて満たされます。けれど、昔から感じてきた疎外感や孤独感も確かに心の内に感じます。

 

最近、『アスパーガール』(ルディ・シモン著)を読んで、自分はアスペルガーの傾向が強いとわかりました。やっと大学に行けなくなった理由が明らかになったし、対処・改善の方法を考えやすくなったので、とても嬉しく感じています。けれど同時に、自分の対人スキルがポテンシャル的に低いこと、対人に関する感覚がズレていること、そのことでこれからも苦労するのだということを痛感して、気持ちに靄がかかっています。私は社交的でコミュニケーション能力が高いはずだったのに、本当は無理していたからそう見えていただけだったのだ、これからは無理せず人と関わっていくやり方を探っていかなくては、私は大学や職場に馴染めないのだ、また、不適合を起こすのだ。そう思うと、怖いし、不安だし、悲しくなります。

 

これからどれくらいの努力を重ねれば、私は対人問題でこんなに悩まない日々を迎えることになるんでしょうか。いつになったら会った翌日にひどく疲れて落ち込まなくて済む、心開ける大切な人に、出会えるんでしょうか。いつになったら「私はこの人たちの『友達』なんだな」という帰属感を感じながら、複数人の人間の輪の中に身を置けるんでしょうか。

それらは、本当に必要なんでしょうか。

私にはわかりません。

ラスト大学チャレンジをします!

今日は、今年のラスト大学チャレンジについて書きます。

いつにも増して赤裸々に書こうと思うので、この時点で緊張しています。

 

 

私は高校卒業後の2014年4月、青山学院大学の総合文化政策学部に入学しました。

早くも6月の半ば頃には体内警報が鳴り始め、6月終わり頃には週1くらいでしか大学に行けなくなりました。これが私のメンヘライフのスタートでした。詳細は飛ばしますが、そうして私はどんどんダークサイドへ堕ちていき、地獄の夏休みが終わり腕も随分お洒落な感じに出来上がった10月頃、申請期限のギリギリで休学を決定しました。

そして翌年2015年の春、1度目の大学再チャレンジをしました。

心機一転、1年生をもう一度やり直そうとしました。不安を抱えつつもやる気満々でしたが、お察しの通り、通学は2週間も続かず、5月には退学を決定したと思います。

 

無駄に行動力があり無駄に志の高い私は、「日本の大学はオワコン、どうせ海外の大学院に行くと決めてたし、もういっそ学部から海外に行っちゃおう、海外ならなんとかなるかも!」と退学検討中に思いつき、退学処理を終えた後早速留学準備に取り掛かりました。今思うと、精神状態も安定してないのに海外留学なんて突飛でリスキーでとても愚かな選択だったようですが、当時はそれが正解だと信じていたし、後悔はないです。

そして翌年2016年、2度目の大学再チャレンジをしました。

海外の大学ならどうせ留学生はマイノリティだし、多様なバックグラウンドを持つ留学生同士なら仲良くしやすいかな、とか、日本の学生よりイギリスの学生の方が真面目に授業受けそうだし精神衛生にいいかな、とか、しょうもない希望を抱いていました。1月にUniversity of East Angliaのファウンデーションコース(大学準備コース)に入学。夏までは順調に通えて、無事好成績でプログラムを修了し、大学入学にこじつけました。しかし、お察しの通り、大学入学から2ヶ月後頃から具合が悪くなり、結局翌年2017年の夏前に退学を決めました。

 

まだまだ私の大学チャレンジは続きます。

イギリスから福岡へ逃げ帰ってきたその年の始め、正直もう人生どうしていいかわかりませんでした。大学にまだしがみつくとして、夏まで休学するのか、冬まで休学するのか、翌年9月まで休学するのか、イギリスは諦めて日本の大学を目指すのか、専門学校へ行くのか、もう働くのか。生きる目的や目標もなく、理由もなく、何もなく、毎日生きた心地がしませんでした。(この時、生きる理由づけのために飼ったのがウロコインコのきよちゃんです。)

結局、University of East Angliaに籍は置いたままで、しばらく日本の大学の受験勉強をして過ごそうと決めました。これが3度目の大学チャレンジです。このチャレンジには確固たる意志・目標が伴っていなかったために、案の定すぐに心折れました。3月から通い始めましたが、6月頃には完全に無気力になったので、ナーナーで予備校は辞めてしまいました。断言してしまいますが、お金の無駄だったと思います。でも他にどうしたらよかったのか、正解は皆目見当つかないので、後悔のしようがないと思っています。いつだってクソ真面目に考えて考えて考えて人生の選択してきたので、基本的に後悔はありません。ただ、親に対する申し訳なさはあります。すみません。本当にいつもありがとうございます。

 

 

そして、今年、これで本当に、本当に最後の大学チャレンジをしようと思っています。

「大学向いてないんじゃない?」「働く方が向いてる人もいるよ」「親の脛齧りすぎじゃない?」「何歳で卒業するつもり?さすがに就職きつくない?」という声が聞こえるような気がしないこともないですが、私は去年高価なノイズキャンセルイヤホンを手に入れたので、そういったノイズはもうほとんど聞こえません。

 

今年は背水の陣で大学受験に臨みます。

ワガママだろうが脛齧りだろうが社会不適合だろうが負け鳥だろうがもう誰にどう思われてもどうでもいいので、私はとにかく大学に行くために勉強します。今年は途中で諦めたりしません。そしてどこかに合格して、進級して、卒業します。大学にこだわる理由は色々ありますが、もうここまでくると半分意地のような気もしてきます。またどこかの段階で何かしらの理由で心身がダメになったら、またその時考えます。愚かな人間だとつくづく思います。

 

 

 

ここからが一番恥ずかしいパートなんですが、具体的に今年の受験について少し書きます。意思の継続のために、これからは勉強のことも恥を捨ててブログに書いていこうと思っています。温かい応援をよろしくお願いします。

 

まず前提としてですが、私は賢くないです。

出身高校は福岡のある学区で2番手の自称進学校で、進路実績としては毎年九大40人程度、その他有名国公立にチラホラ、東大京大は数年に1人という感じです。私に関しては、入学時はトップクラスだったにも関わらず在学中に授業も課題もテストも死ぬほど疎かにしたため、成績はとても悪かったです。この点に関してはとても後悔しています。

 

在学中の状況としては

国語英語→そんなに勉強せずとも学内試験では平均点以上取れるし模試でもまあまあ成績も悪くなかったのでナメ腐っていた

数学→赤点常習者だった(再試験になったこともある)

理科→生物はなんとかなったが化学物理は赤点常習者だった

地歴→基本的に40点台だった

公民→何も記憶がない

という感じで、高3の9月にやっと重い腰を上げて受験勉強を始めました。国公立は今更無理と思ったので私立に絞りました。

 

現役時の大学受験まとめ

●国語

勉強内容:単語を覚えて市販の古文文法の問題集を解いた。過去問をやった。予備校の授業を受けた。

入試:よく覚えてないけどなんとかなった

●英語

勉強内容:単語を覚えて学校でやってた文法問題集を解き直した。過去問を解いた。予備校の授業を受けた。

入試:直前に世界史しかやっていなかったためか予想外にズッタボロだった

●世界史

勉強内容:赤点常習者だったため知識がゼロに近く絶望的だったので、参考書を買って一から通史を勉強して、予備校の授業を受けて、用語を詰め込んだ。

入試:多分過去最高の正答率だった。空虚。

●結果

不合格→早稲田文構・明治国際日本・法政グロ教

合格→青学総文

 

 

書いてみるといかに自分がゴミ高校生だったかを痛感しますが、もう4年前の話ですし悔いても仕方ないので、未来にスポットライトを当てていきます。

 

志望先についてですが、医学部やその他理系学部への理転も考えましたが、結局文系のままでいくことにしました。(アホだと思いますか?そうですか。私はそう思いません!)そして、国公立大を目指します。理由は「色んな科目の受験勉強がしたい」「齧る親の脛の範囲を少しでも狭くしたい」「国の金を使ってやりたい」「私立より国公立の方が雰囲気が少しは落ち着いてそう」というところです。

行きたい大学は、東大一橋東京外大のどれかです。高望みかもしれないけど、重荷になりすぎて悪影響が出ない限り目標が高くて悪いことはないと思うので、その設定でいきます。しばらく勉強してみて、具体的な志望校は夏か秋に決めようと思っています。

 

現在の推定学力(去年受けた模試か学力診断テストか忘れたけど何かの結果から推定します)

●国語→偏差値60くらい。得意科目と思うので伸ばしたい。

●数学→偏差値30くらい。最も不安な科目。意味がわからない。でもセンター8.5割目指したい気持ちがあります。

●英語→偏差値62くらい。受験英語の知識とスキル不足。超恥ずかしい。でもセンター満点狙います。

●地学基礎・生物基礎→勘で回答して偏差値50くらい。勉強が超楽しいので伸びると思う。というか伸ばします。

●世界史・日本史→世界史に関しては確か偏差値45くらい。高3の時詰め込んだだけなので悉く知識は消えました。日本史は生まれて初めてまともに今勉強しています。偏差値はわかりません。地歴は数学の次に不安だけど、楽しいから伸ばしたい。

●倫理政治経済→勘で回答して偏差値50くらい。嫌いじゃないのでまあなんとかします。

 

 

現状はこんな感じです。

 

予備校は四谷学院にしました。去年は河合塾に少しいたんですが、大教室での授業の雰囲気が大学みたいで辛かったので、クラス授業が河合よりは少人数制で55段階個別指導もあったりしてより個人主義色の強そうな四谷、いいな、と思って決めました。宅浪も考えたけど、あまり勉強自体が得意じゃないので、第三者に頼ることにしました。

 

今は漠然とセンター9割狙うぞ!と思っている程度です。その他色々細かいことは予備校が始まってから決めていければいいかなと思っています。甘いのかな・・・。

予備校が始まるのは4月半ばなので、それまでは自信のない自信のある数学をやりまくって、次に不安な日本史世界史、鈍らないように英語、時間見つけてその他の科目もやる、という感じでいきます。なんか色々と、これでいいのだろうかとも思いますが、うーん・・・。

 

 

 

 

とにかく、これからは受験勉強に関することもこのブログに時々書いて進捗管理をしていこうと思っています。受験勉強ド素人なので、プロ浪人生のみなさんからのアドバイス等、お待ちしております。でも厳しいことを言われても伸びるタイプではないので、あくまで優しくお願いします。

 

見た目だけ強そうで実はストレスに超弱いだめだめな人間ですが、このチャレンジこそは諦めず最後まで飛び続けたいと思っていますので、どうか見守っていてください。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

追記:もし本当に心身が限界になったら止むを得ず大学を諦めて他の道を選ぶ可能性はゼロではないですが、そうなったとしても私はまた後悔のない自分の中で最良な選択をして、なんとか前向きに生きていこうと思いますので、もう極論、私が生きているだけで優しくしてください。お願いします。

総括・人格・抱負

今年の元旦の朝も私は泣いていました。去年はほぼ毎朝毎晩、悲しくて不安で怖くて泣いていました。幸せな出来事は自分と関係のないことに感じました。周りのみんなが笑っていると、自分だけ違う次元にいる気がしました。私はこの世界から隔離されていました。流れていく時間と止まっている自分を、一枚ガラスの向こうから、冷たい目で見ていました。

 

去年の初め頃、私はイギリスの大学を休学でなく退学することにしました。信頼できる人間がいる場所で一度きちんと頭を休めてコンディションを整えないと、どの道を選んでも私はまた失敗して、何度も何度も繰り返し傷つくだろうと思いました。イギリス生活は、海外特有の苦労(言語や食や慣習の違いによるものなど)は感じてなかったけど、初めの大学にいた時と同じように少しずつ生活が壊れていく音がしていて、これは持たない、と直感していました。もう同じことを繰り返すことだけは避けたかった私は、いっそ人生を一度リセットしようと思いました。

そのために、海外旅行もしてないし、国内旅行もほとんどしてなくて、本をたくさん読んだわけでもないし、新しいことも始めない、本当に平坦な一年を過ごしました。常に刺激を求めて生きてきたので、自ら進んで代わり映えしない生活を選ぶのは苦痛で仕方ありませんでした。私は「頑張る」ことをせずただ毎日生活をして、人と関わって、生きている実感を得ようとしました。自分を取り戻そうとしました。

というのも、私は高校を出た後の数年間、情報を吸収しすぎて自分が全くわからなくなってしまった気がするのです。この数年で色んな場所へ行きました。色んな人と出会いました。私はその時々で新しい「私」を生み出しました。そして内蔵したり、その場に置いてきたりしました。福岡に帰ってきた時、そこにはその時の「私」の知らない景色があり、とても困惑しました。その時使用していた「私」は福岡を知らなかったため、解離状態になりました。見えるものすべてに馴染みがなく、家族さえも他人に感じて、世界に対する違和感に支配されて恐怖にかられました。

 

多くの人が自分を使い分けて社会生活を送っていると思いますが、多くの人はコア部分がきちんと存在している感じがして、対照的に私は中心となる人格がぼんやりしていて、自分のことがよくわからない感じがします。

子供の頃から、学校の友達は自分を理解してくれない人たちだという前提があったため作業的に彼らとは付き合っていて、私は彼らと違う存在なんだなと感じていて、一人になると友達のことを気にかけることが少なかったように思います。友達付き合いは、やるものだからやるだけで、別に求めていませんでした。だから未だに友達の大切さというのが実感できないし、尊さもわからないし、どうでもいいと思ってしまいます。小中高生の頃はいたってストレスなく付き合っていたけど、一人になると音楽ばかり聞いて違う世界に浸ることでバランスを取っていました。または楽器を触ったり、詩を書いたりしていました。それらは私に影響を与えてくれて、会話も与えてくれました。

私の中にある音楽や言葉に接する私と、各人と会話している自分は、全く別のものに感じていて、どれが私なのかわからないのです。それが苦痛でなければ問題ないんですが、問題が生じたのは今私がズルズル引きずっている軽度精神疾患が発症した時です。抑鬱状態に陥り興味関心を一切失った私は、音楽にも文章にも映像にも何にも感情を持たなくなりました。東京にひとりぼっち、学校は行けなくて学校用の私にもなれず、友達はいないし、いたのかもしれないけど興味がなくて頼ろうとも思わないし、家族も兄しかいなくて、私は、経験したことのない「会話対象のいない私だけの私」になりました。完全なる孤独でした。一番好きだった音楽に見放されたと思いました。なんなら人間の友達より大事だった音楽が、私から離れたと思いました。とても悲しくて混乱して、黒いもの(不安や恐怖や孤独感などネガティブな感情の塊で、心に住み着いて時々襲ってきていました)がどんどん巨大化していきました。

これが強い不安感情や精神疲労に伴う解離なのか、境界性人格障害の気があるから人付き合いが苦手なだけなのか、そもそも子供の頃から解離性ASDの気があるからなのかは、もう何が何だかわかりません。それに、どれが原因なのか知る必要があるのかもわかりません。ただわかるのは、私は人間と関わるのがとても苦手で、音楽が必要だということです。どれが自分かわからず不安になることもあるけど、そういう時はとりあえず好きな曲を聞いていれば私はどこへでもいけるし誰にでもなれて幸せになれるので、その感度が落ちないようにストレスマネジメントをしようと思います。

 

去年一年かけて「私」はとても福岡に馴染んだし、離人状態になることもほぼなくなりました。自分の体と心が一致してる感じもしているし、生きている心地がしなくて苦しかったのも消えました。かなり元気になった実感があります。体がだるすぎて副腎に問題があるのかと思って検査入院までしたけど(結局顕著な異常はなく心的要因があるとされて心療内科に回された)、それもよくなって体力も割と取り戻した感じがします。好き嫌いを超えたコントロール不能の異常な大学生に対する苦手意識も、頑張って自発的に大学生と接する機会を増やして訓練したので、かなり薄れてきた気がします。まだ同年代くらいの集団を見るとウッとくるものがあるけど、人は人だしな、まあなんとかなるかな、と思える心の余裕も出てきました。次の課題としては、自尊心/自己肯定感が低くてちょっとしたことでも激しく落ち込んでしまい、やろうと思っていたことに手がつかなくなったり、他人にさえも悲しみをぶつけてしまう、というのがあるので、今年はもっと自信をつけて落ち着きのある人間を目指そうと思っています。

 

今年は、上京して大学受験生をします。初め大学に行けなくなった時から今まで私が健康になろうと努力してきたのは、その先に「大学で勉強がしたい」という希望があったからで、今更他の道を選ぶことができそうにありません。他にも色々な進路を検討したけど、自分の納得のいくものを見つけられませんでした。海外の大学に行くことも考えましたが、たった1年休養しただけで完全復活したわけではないのでまだまだ慎重に生きて行く必要があり、今すぐの海外生活はリスキーと判断し断念しました(最初に海外に出た時は少し元気になっただけで自分を過信していました)。福岡で予備校生をするのも考えましたが、行きたい大学が福岡にない上に若い時代を福岡で過ごしたくないので、いずれ東京に出るのなら、先に出ておいて生活に慣れた方がいいと考えました。東京なら海外より実家に逃げ帰りやすいし、いい安全策だと思いました。こう書いてみると、いかに自分がわがままでしかもそれが通用しているかを痛感してとても頭が上がりません。生きていてすみません。頑張るので許してください。

 

私は大多数と異なる選択をして優越感を感じたり、そんな自分を愛することができるようなタイプではないので、これらの選択に関して世間の目は死ぬほど気になっています。本当は現役で入った大学を卒業して海外の院に進んでホワイトな一般企業に就職して、バリキャリ街道を進んだり某国際機関を目指したりしたかったので、時折こんなことになっている現実を客観しては頭を抱えます。そういった王道のエリートコースに対して「強さ」を感じているので、同時に今の状況に「弱さ」を感じており、低い自己肯定感の原因にもなっています。が、こうなってしまったからには今あるカードを握りしめて生きていくしかないし、人と比べても仕方ないので、自分を絶対的に捉えて前向きにやっていくしかないと思っています。

全体的に元気にはなっているものの、どんなに前向きなことを思った日でも朝や夜は不安に負けてしまうし、他人の少しの言動でひどく傷ついたりもするし、希死念慮に覆われて抜け出せなくなる時もあるし、限界に達すると自傷行為もします。だけど、音楽が最近は寄り添ってきてくれてるし、きよちゃん(愛鳥)も毎日可愛いので、なんとか東京でやっていけるような気がしています。とにかく勉強して偏差値を上げて、根拠のある自信にしたいです。去年後半はあまり考えすぎずに週5〜6で労働していたらいつの間にか数ヶ月経っていたので、受験生生活も同じ要領でやれたらと思います。大変と思いますが、とにかく大学で健康に楽しく勉強がしたいので、頑張ります。

今年はさらに健康に、幸せになりますように。

 

おわり

私と音楽 with SAMPHAインタビュー

私は音楽との付き合い方がわからない。大好きだし、大嫌いだ。いつも近くにあるのに、すごく遠い。家族かよ。意味がわからない。

 

私は音楽を通してたくさんの人を見るし、人を通してたくさんの音楽を聞く。

音楽は情報が多すぎる。作り手の声質や歌い方、歌詞、旋律、音選びから作り手のことを想像する。自分の共通点を感じたり大きな差異を感じたりする。音のエフェクトから、音楽制作に関わってきたたくさんの人たちの雰囲気を想像する。使われている楽器や機材のイメージがやってきて感触が伝わる。音自体にも質感を感じる。聞き手の層の雰囲気を察する。たくさんの聞き手の一般人たちの像が浮かぶ。その曲の経済効果やマーケティングに関わること、商業的な部分を想像して、芸術の社会的位置を思って苦い顔になる。そういう人間臭い諸々を取っ払ってピュアモードに切り替えて、その音楽がどんなビジョンを見せるのか、どんな心象をもたらすのか感じようとしたりする。とにかく情報が多くて、すごく他人くさくて、あまりの圧に耐えられない場合もたくさんある。と思えば、すごく気持ちがフィットして、心地よくて、幸せになれたりもする。

 

音楽は思い出と密接すぎてすぐに染まる、汚れる。

綺麗に保つためには努力を要する。そうやって守り続けてるアーティストや曲、ジャンルがある。代表格がビョークだ。ビョークだけは守り続けてきた。だからいつ聞いてもそこにいるのは私一人と、小さい頃に私が思い描いたアイスランドの風景、夢、希望その類だ。誰も私を責めないし、孤独にもさせないし、一人ぼっちで、幸せだ。11歳とか12歳の繊細な時期の私のピュアな音楽への思いを、音楽が孕んでいる。いつもそこから私はピュアさをダウンロードしているわけだ。ありがたい存在だ。

 

音楽を聞いて心を掻き乱されて、あまりの高ぶりに涙を流すこともあれば、何を聞いても何も響かなくて悲しくて涙を流すこともある。

美しい景色を見たり、感傷的になったりした時、音楽のことなんて微塵も考えていない時に、突然メロディーが降ってくる。一本のメロディの時もあれば、いくつもの音で構成させた完成された音楽の時もある。なのに、楽器に触れるのが怖くて、他人の像が邪魔をして発信する気になれなくて、悲しくなる。

私にとって音楽は格別な存在で、好きとか嫌いとかを超えていて、まだ言葉でどう表していいかわからない。

 

 

今日はi-D Japanを読んだ。

SAMPHAのインタビューが印象的だった。SAMPHAのことはたくさんの人がそうとは思うけど、SBTRKTの曲で知った。それ以来Young Turks所属のアーティストは大体好きだ。SAMPHAの声好きだな〜くらいの気持ちでいたが、インタビューを読んで、ニューアルバム『Process』を聞いて、さらに好きになった。

 

https://youtu.be/_oM1DFL43Lk

雑誌では彼の生家にあるピアノと制作中に亡くなった母親への思いが詰まった『(Nobody Knows Me) Like The Piano』という曲をフィーチャーしていて、確かに異彩を放つ美しい曲ではある。けど個人的には、本人がとにかく不安から逃れようとしているビジョンを持って作った、恐怖を表現した、と書いていたこの曲に惹かれた。不安や恐怖を音にしてもらえるのは心地いい。

 

 

インタビューを読んで印象に残ったのは、単純に、共感できたからだと思う。

一部抜粋する。

「自分が有名になるなんて考えもしなかった。そんなことが起こるなんて、よく理解できないんだ。僕が作っているような音楽で人が有名になるなんて、起こり得ない ー そう思ってきた。でも同時に、何もわかってないわけでもない。顔も知られてるし本名で活動してきたし、人が共感してくれるようなパーソナルな感情を歌にしているんだということもわかってる。」(引用元 : i-D JAPAN No.3, Vice Media Japan)

さらにこういう部分もある。

 「まずは頭の中で完全な形を見ておく。作品を語るのはそれからだ」という徹底したアプローチで作曲をするというサンファ。『Process』はそれを反映したアルバムだという。世間の注目からも、業界の罠からも距離を置いてきたサンファは、今でも派手な音楽イベントや授賞式などには参加せず、自分と向き合う時間を大切にしている。「静かに、心で物事を見つめたり、気持ちや感情を表現する方法を探ったりするのが好きなんだ。」自身を知ることと、何かを生み出すことの間にあった空間を、サンファは「自分の感情と向き合うプロセスだった」と言い表す。(引用元 : 同上)

 

彼の完璧主義っぽさに好感しか抱かない。音楽への強い思い入れも感じる。それに、音楽からも滲み出ているように、彼の音楽はすごく内向きだ。伝えたい、有名になりたい、という欲求の小ささを私は感じてしまう。そんな低めな構えが私には響いた。きっと音楽を作る人の多くはそうだろうけど、創作活動は自分との対話の上になりたつんだろう。でもその深さや幅、スタイルは本当に様々だと思うのだ。ジャンルの統合や国境の破壊、新しいサウンドの探究、外部へ伝えたいことの表現、色々な目的があるだろうし、どれに重きを置くかも人によって異なるだろう。彼の創作活動への向き合い方は、なんとなく、理解ができるのだ私にも。

 

「『Process』には時間をかけたかった。以前は、心の準備ができていなかったから。僕の人生観はまだ未熟だった。だけど、何かを作り出して人々とそれをシェアしたいと思える瞬間が訪れたんだ。」(引用元 : 同上) 

リスナーとしては、そんな瞬間が訪れてくれて本当に良かったと思う。プロデューサーからシンガーへの移行は、自分が中心の表現者になるという大きな体制の変化であり、簡単ではなかったそうだ。私はプロデューサーでもなんでもないが、自己表現という行動について蟠りを抱えているので、彼の葛藤にどこか共感してしまったのだと思う。

 

『Process』、まだまだ聞き込みたいと思うけど、4周ほど聞いた感じ、かなり良い。DTMをしていないしソウルやR&Bにも詳しくないので上手な解説はできないけど、音へのこだわりと自己世界の描写の忠実さ、それから本人の穏やかな人間性が聞いて取れるような気がして、すごく気に入っている。西アフリカの楽器コラも使われているし、ドラムのビートもアフロっぽくて楽しい。

とっても良いアルバムだし、i-Dもクリエイティブな人間のエナジーに溢れた良い雑誌で面白かったので、ぜひお金を注いでみてください。

 

 

 

 

自己表現。難しい。音楽は自然に生まれるし、楽器も下手だけど弾けて、演奏に関してセンスは悪い方じゃないと(今サンクラにあげてる弾き語りの曲は一発録りだったしほぼ即興なので演奏が酷すぎるけど)思う。鼻歌をレコーダーに、歌詞を専用アプリに、溜めてある。でも人に伝えたいと思えないし形にできない。歌詞を書くとき、どこかしら、共感してもらえるように書いたり、こういうテイストが私には似合いそうだな、とか想像しながら頭で曲を作ったり、誰かから聞かれることを意識している部分がないことない。だけど、制作の過程に興味がないのかもしれない。誰かに伝えたいという欲求がないのかもしれない。全然行動に移せない。音楽を制作しようと思っても、いらないことばかり考えてしまってだめだ。なんだか勿体ないというか、もどかしい。

栓のようなものが外れたら、自由に表現したくなって、誰かに聞いて欲しいと思えるようになるのかもしれない。自分のことをもっと好きになれて、自信がついたら、インターネットの海に作品を流す勇気を持てるのかもしれない。でもそれがいつかわからないし、焦ったって仕方ないと思う。私は今も、音楽との付き合い方がわからない。

 

恥ずかしくてツイッターにはリンクを貼ってないけど、最後まで読んでくれた人になら聞かれてもいいやと思うのでサンクラのリンクを貼っておきます。恥ずかしいので開かなくて全然大丈夫ですが、まあ、練習?として・・・

https://soundcloud.com/asuka-oku

 

おわり